最近、書斎までの耳学で
聴き直し始めた
斎藤一人流「道は開ける」(永松茂久さん)。
この話と神社参拝での一つのポイントのおかげで
私が自分自身を責める気持ちが和らいだこと。
それは、
「夢が持てなくても大丈夫」
だということ。
というのは、
私が足を踏み入れた学びの場では
具体的かつ大きな夢を掲げて
それを実現していく方が何人もおられました。
もちろん、全員ではないですが。
その状況の中で
自分がワクワクする具体的な夢が抱けずにいた私
ふと聴き直した音声から
若き日の永松茂久さんが
斎藤一人さんから言われた言葉
「夢がない?」
「よかったじゃないか、夢が持てなくて!」
「夢がなければ、これから何にでもなれる」
この一連の言葉の意味が
ようやく分かってきた感じがします!
何か具体的な夢を持って
自分も周囲もしあわせにしていく!
これは、とっても素晴らしいこと。
ただ、このやり方が得意でない人もいる。
それは、
個性の問題で
能力が劣っていたり
努力を怠っているわけではない。
わざわざ、自分を責めて
自分を不幸にするのでなく、
自分の個性を認め、
その個性のいい部分を見ればいい
その個性のいい部分を引き出してくれたのが、
私にとっては、神社参拝だったのです。
ポイントは、
「しあわせを委ねる」
というものでした。
この経験を織り交ぜ
8月8日の場でお伝えさせていただくことを思案中
【しあわせです、感謝】