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「ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、

2017年01月31日 17時04分36秒 | 聖書

そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて・・」(ルカ10:34)

良きサマリヤ人の動機は「同情」であって、それ以外の何の下心も無かった。
憐れみとは、かわいそうに思う心プラス行動だ。

単に感情的な同情でなく、行ないが伴っている。
彼は、目の前の苦しんでいる、助けを必要とする人に、自分に出来る事をした。

避ける事をせず、「近寄って」ぶどう酒は消毒に、オリーブ油は薬として惜しげもなく使った。
自分の家畜を使って、予定を急遽変更し、宿に伴い、一泊し親身に介護の上、費用も全額負担した。

愛するとは犠牲を払う事だ。金銭、労力、時間、突如の必要のために、彼は躊躇せず犠牲を払った。
犠牲を払わずして愛する事は出来ない。

そして、彼はきちんと自分自身の仕事をするために出て行った。
自分の仕事を成し遂げ、再び帰りにお世話をした。
ここで、自分の義務と責任を放り投げて、世話するのではないと学べる。

自分自身の責任は果たすべきだ。尚且つ、助けを必要とする人に、自分に出来る事をして行くことだ。

自分の力でなく、御霊が助けて下さる。今、目の前に御霊の示しがあるだろうか。
「近寄って」と、なすべき事を促されているか。
祭司とレビ人は保身のために、その場を逃げた。

「自分の家畜に乗せて」自らの何かを献げて、仕える事を、今、導かれているだろうか。
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避けることなく「近寄って」行くと犠牲が生じる。
適度な距離を保って、気持ちだけ寄りそって、ではなく目の前の助けを必要とする人がいるなら、何をしたらいいのか、よく祈って主に尋ねてみよう。


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