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◆川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。

2017年10月26日 18時53分05秒 | 聖書
川は流れ込む所に、また流れる。(伝道者一・七)
万物は流転している。時間は休むことを知らない。この堅固な地球は回転する球である。巨大な太陽自体も、より大きな発光体の周囲を従順に軌道に従って回る一つの星である。潮は海を動かし、風は大洋を波立たせ、波は岩をすり減らす。海は水の富を蓄えるけちんぼの倉庫ではない。ある力がその中に水を流れ込ませると、他の力が水を天に吸い上げるからである。人はただ死ぬために生まれてくる。すべては焦燥であり、心労であり、憂慮である。
変わることのないイエス様。あなたの相続財産――あなたの祝福の海――について考えるのはなんという喜びでしょうか。あなたの祝福の海は、永遠に満たされています。神ご自身が永遠なる喜びの流れをそこに注いでおられるからです。私たちは、空のかなたに永遠の都を望みます。そして決して失望しません。
今夜の聖句は、私たちに感謝を教える。父なる大洋は大きな受取人であられる。また寛大な分配者であられる。川がもち込んだものを、父は雲と雨の形で地に返される。取り入れるのみで返すことをしない人は、この宇宙の秩序を乱している。他の人々に与えることは、私たち自身のために種を蒔くことである。自分の資産を喜んで主のために用いる良い管理人は、さらに多くを託されるであろう。
イエスの友よ。受けた恵みに従って、あなたはお返ししているか。多くを与えられて、どのような実をあなたは結んだか。できる限りのことを、あなたはしたであろうか。そしてそれ以上できないであろうか。利己主義は悪である。大洋が海の幸を生じなかったら、人類は滅亡するほかなかったであろう。私たちが自らのために生きるという、狭い、破壊的な方針をとることを神は禁止される。イエスはご自分を喜ばせることをされなかった。主の中には、すべての満ち足れる徳が宿っている。私たちはすべて、その中から受けている。おお、イエスの御霊を得たい。今より後、私たちが自らのために生きることがないために。
 

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