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◆熱心になって……。

2018年06月07日 17時05分39秒 | 聖書
(黙示録三・一九)
もしあなたがたましいの回心を見、「この世の国は、私たちの主の国になった」という叫びを聞きたいと思うなら、また、冠を救い主の頭に置き、その御座が高められることを願うなら、熱心になれ。神のご支配の下におけるこの世の回心の道は、教会の熱心によるほかないからだ。すべての徳はそれぞれの働きをする。が、熱心が第一である。深慮、知識、忍耐および勇気はそれぞれの役目をもつ。が、熱心が先頭に立たなければならない。あなたの知識は役立つ。あなたの才能を軽く見てはいけない。しかし、重要な役割を果たすのは知識でも才能でもなく、あなたの熱心なのである。
この熱心は、聖霊の実である。熱心は、心の中における聖霊の不断の働きから、その活力を引き出す。もし私たちの内なるいのちが衰えるならば、もし私たちの心臓が神の前にゆっくりと脈を打っているならば、私たちは熱心ということを知らないであろう。しかしもし、私たちの内なるものがすべてたくましく、活発になるならば、私たちは、キリストの王国が来るのを見、みこころが天で行われるように地でも行われるのを見ようとする愛の熱情に燃えないわけにはいかない。
深い感謝の思いが信者の熱心を養う。私たちが掘り出された穴を見るなら、なぜ生涯を神のために費やさなければならないかの十分な理由を見いだす。
そして熱心はまた、永遠の未来を思うことによってかきたてられる。熱心は涙にかすむ目で地獄の炎をながめるので、まどろむことがない。憧憬のまなざしで天の栄光を見つめるので、奮い立たずにはいられない。熱心は、しなければならない仕事が山積みしているのに、時はわずかしかないことを感じている。したがって、そのもっているすべてを主のためにささげる。
熱心はまた、キリストの模範を思い起こすことで、絶えず強められる。キリストは衣をまとうように熱心をまとわれた。義務の車輪は、なんと速く主と共に進んだことだろう。主は道草することを知っておられなかった。私たちは、これと同じ熱情を表すことで、主の弟子であることを証明しようではないか。
 

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