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民数記11章1、10-11節、12章1節

2014年04月30日 08時18分50秒 | 聖書

★11:1  さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。

★11:10  モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。

★11:11  モーセは主に申し上げた。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう。なぜ、私はあなたのご厚意をいただけないのでしょう。なぜ、このすべての民の重荷を私に負わされるのでしょう。

★12:1  そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の 女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。

■O:今日のコラム

4月29日、昭和の日の朝です。今日1日、神様が与えてくださる恵みに感謝し、主に信頼していきましょう。僕らは、苦しみの中を通る時に次のステージへと行くことができるからです。

イスラエルの民たちとミリアム姉さんとアロン兄さんたちの愚痴とモーセさんの主への訴えの違いは、目線です。

前者は、自分中心、自分はこうしたい、あれが食べたい、マナ(神様の御言葉)よりもあっちの方が自分は満足する、人よりも自分の方が優っているという高慢な訴え、愚痴です。人を傷つけ、神様を自分の欲望を満たすための神様としての見方です。

後者は、主が与えてくださったモノを自分の力では治めることができない辛さ、正しいことをしようとしてるのに周りに理解してもらえない辛さ、神様の目線で歩みたいのに歩めない辛さ、そして何より、神様と一緒に同じ方向を向いての腹の立て方でした。

モーセさんも腹を立てたのでした。『も』。そして、神様に、この問題解決を持っていきました。不平不満をモーセさんと神様に言った民にではなく、神様に告白したのです。

イエス様も腹を立てたことがありました。

『それから、イエスは宮に入って、宮の 中で売り買いする者たちをみな追い出し 、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。

そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」』(マタイによる福音書21章12-13節)

天のお父さんと同じ考え、同じ目線、同じ方向を向いての行動でした。一般的には人のものを壊して… と思ってしまうかもしれませんが、神様の前では、これは罪とはなりませんでした。

『私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです 。』(ヘブル人への手紙4章15節)

イエス様は、いつでも天のお父さんの御心を求め、いつでも天のお父さんに聴き従っていました。十字架と復活の御業も、ゲッセマネでの天のお父さんへの訴えから、御心を求めていました。

イエス様は、僕らに、この世での生き方と、天のお父さんとの関係をいつも教えてくださいます。愚痴を言ってしまう時、僕らは、天のお父さんの方向を向いていきましょう。一呼吸おいてからでも、自分のペースで、自分の声で、イエス様に求めていきましょう。イエス様に、訴えていきましょう。自分の弱さを隠さず、イエス様に取り扱っていただきましょう。

■A:考えてみよう

愚痴を言わないためにはあなたは何ができますか?

それでも、感謝が口から出ない時、誰に、どのように愚痴を言いますか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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