座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆この町には、

2015年12月04日 07時59分58秒 | 聖書
わたしの民がたくさんいる……。(使徒一八・一〇)
 
これは伝道上大きな励ましを与えるみことばである。神は最も堕落した者、最も汚れた者、酒に身を持ち崩した者たちの中にも、救われなければならない選びの民をもっておられるからである。神があなたを、それらのたましいにいのちをもたらす使者と定められたゆえに、あなたは彼らにみことばを伝えるのである。そして、神があらかじめ定められたところに従って、彼らはみことばを受け入れるに違いない。彼らは永遠の御座の前にはべる聖徒と同様、血潮によって贖われ、すでにキリストのものとされているのである。彼らはおそらく居酒屋を好み、聖潔をうとんじていることであろう。しかし、もしイエスによって贖われた者であるなら、主は彼らを所有せずにはおられない。神は、御子が払われた価を忘れるような不忠実な方ではない。神はどのようなことがあろうと、御子の身代わりの死が無駄になることを許されない。すでに選びに入れられた数えきれないほどの人々は、まだ生まれ変わっていないとしても、必ず生まれ変わるように定められている。このことは、いのちのみことばを携えて彼らのもとに行く私たちの慰めとなるのではなかろうか。
それだけではない。キリストはこれらの不敬虔な者のために、御座の前で祈られたのである。「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」彼らの名前はイエスの胸当てに書き記されている。まもなく彼らは、恵みの御座の前に、悔い改めの嘆きをもって頑固なひざをかがめるに違いない。予定された時はまだ来ていない。しかしその時になれば、彼らは服従する。なぜなら、神はご自身のものを必ず手の中に収められるから。彼らは服従する。なぜなら、聖霊が全き力をもって来られる時、だれもこれに立ち向かうことはできないから。やがて彼らは、喜んで生ける神のしもべとなるに違いないのである。
「あなたの民は、あなたの戦いの日に……喜んで仕える。」「わたしの正しいしもべは……多くの人を義とし……。」
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。