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◆火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。

2016年07月15日 05時19分43秒 | 聖書
消してはならない。(レビ六・一三)
 
個人の祈りの祭壇の上に絶えず火を燃やせ。これは信仰のいのちである。教会の祭壇も家庭の祭壇もここからその火種を取るのだから、この火をよく燃やさなければならない。密室の祈りは生ける実践的な信仰の真髄であり、証拠であり、バロメーターである。あなたの犠牲の脂肪をここで燃やせ。あなたの密室の祈りをできる限り規則正しくし、外部からじゃまされない頻繁な祈りとせよ。熱心な祈りには大きな力がある。あなたは祈る課題がないと言うのか。主のからだなる教会、伝道、あなた自身の義、あなたの子どもたち、親戚、隣人、国家、全世界にわたる神のみわざ、真理の道について祈っていただきたい。
この重要な問題について、自分自身を調べてみようではないか。私たちは、密室の祈りにおいて生ぬるくはないか。戦車の車輪が重くなってはいないか。もしそうなら、その衰退の兆候を見逃してはならない。私たちは涙を流して、恵みと祈りの霊が与えられるように求めようではないか。特別の祈りのために特別の期間を定めようではないか。なぜなら、もしこの火がこの世との妥協の灰の下にくすぶっているならば、それは家庭の祭壇の炎をけぶらせ、教会と社会に対する私たちの感化力を減じてしまうからである。
この聖句はまた、心の祭壇に適用できる。実に黄金の祭壇である。神は、その民の心がご自身に対して激しく燃えているのを見ることを好まれる。神の御前に愛に燃える心をささげ、その火が決して消えないように神の恵みを求めようではないか。主が燃やし続けられるのでなければ、自らの力で燃え続けるのは不可能だからである。多くの敵はそれを消そうとする。しかし、もし見えない御手が壁の向こう側から聖なる油を注ぐならば、それは高く高く燃え上がるのである。
聖句をもって私たちの心の火を燃やす燃料としようではないか。それは燃えている炭である。説教にも耳を傾けよう。しかし、とりわけ、イエスと共にいるために多くの時間をとろうではないか。
 
 

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