レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌 (3) - 縮んだ胃

2012-09-09 05:00:00 | 日記
お世辞ではなく、札幌そして北海道の食文化の質はとても高いと畏れ入っています。どういうことかというと、高級なグルメレストランへ入らずとも、普通の庶民のお店で美味しいものが食べられるという点が全体としての質の高さを象徴していると、私は感じています。

一人旅の際は、外食よりもデパ地下でお弁当を買い込んで宿屋で一杯やりながら食べるのが常の私ですが、今回は娘同伴のため夕食は毎食、外でしています。昨日はごく普通の居酒屋に入りました。

娘は未成年なこともあり(すみません、年齢確認のある店は避けました、へへ。ただお酒は飲んでいません)、私が全て見繕って注文したのですが、結果として刺身、串焼き、焼き魚等美味しい小料理を大分残してしまいました。

大学、サラリーマン時代を通じて居酒屋通いした私は、二人ならこのくらい、三人ならこのくらい、という見積もりにはかなり自信があります。ところが実際にもてあました小料理を前にして、どうしてかなあとひとり反省会を開きました。

よく考えてみると、私の頭にインプットされているデータは全て20年以上前のものです。アイスランドには日本のような居酒屋文化はありません(居酒屋文化の素晴らしさに着いては、機会を改めて述べたいと思います)。よって私には渡氷島以来20年間ものデータ空白期がありました。その間に起ったことは何かというと、私自身20年前と同じようには食べられなくなっていたということです。

私はこの11月で54になりますが、自分の歳というのは最も意識しないことのひとつです。自分の意識のなかでは大学時代などはついこの間です。多くの人が同じように感じられていると思うのですが、20歳までの異様に長い20年に比べると、30歳以降の20年などは2年間ほどの体感ですよね。

それでもいやおうなく「歳」を感じさせられる現象はあります。例えば手元の文字が見えにくくなること。私の場合は、まだ老眼鏡は使わずにすんでいますが、仮性近視用のメガネをしたままでは手元の原稿を読めなくなり、教会でのお話しの際などではメガネなしで登板するようになっています。歳を否めない状況のひとつです。

「昔のようには食べられない、飲めない」も同じような現実ですね。こちらは毎日徐々に体験していることなので、普段は自分でも気がついていませんでした。居酒屋での注文のように、たまたま私に取っては「20年ぶり」の体験をきっかけにしてはっきりと知らされたわけです。

歳を取るとは楽しみが減っていく哀しい過程なんでしょうかね?いやあ、何かその分、いいことも起っているはず。考えなくっちゃ。

自分には関係ないな、と思っているあなた。すぐにあなたの番になりますよ。(^_-)☆

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