レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「Afsakid Hleは終わりました」の回

2023-05-04 15:18:28 | 日記
こんにちは/こんばんは。

Afsakid Hleアフサキーズ フリェー「失礼してちょっとお休み」と言ってから、なんとほぼ四ヶ月が経ってしまいました。これが2023年になってからの僅か二回目の更新なんですね(と、自分がびっくりしてます)。




清涼感アップ用Pic
Myndin er eftir Jorge_fernandez_salas@unsplash_com


さすがにこれほど間があいてしまうと「ちょっと」ではなくなりました。幾人かの奇特な方々からは「大丈夫か?」「生きてるか?」とのご連絡までいただきました。

ご心配かけましたのは、不得のなすところでまことに申し訳ありませんでした。m(_ _)m  大丈夫です。別に病いを患ったわけではありませんし、怪我をしたわけでも、破産したわけでも、彼女と別れたわけでもありません。... 最後のに関してはもともといないから、というむしろ悲しい事情があるにはありますが。

しばらくお休みしました理由は、やはり十年間続けてきた後で「マンネリ感」が出てきてしまい、払拭することができなかったためです。

このマイナーブログは、まったく金銭や他の利益に結びついていない、純粋な「趣味」のブログです。ですから、ただひとつの有益さというか、プラスになることは、ブログを書いてシェアすること自体の楽しさに他なりません。

さらに、読んでくださる方々とのなんらかの交流を持てたとしたら、それはエクストラなご褒美と受け取っています。

ところが「マンネリ感」が出てきてしまうと、書いている本人が楽しく感じられないのですよ。「書こう」と思って書いているのと、「更新する期限だから」と書くのでは、自ずと違いは出てきてしまいます。

で、思ったんです。「そういうことを続けていたら、多分ブログを読んでくださっている方々も『読んで楽しい』とは感じなくなってしまうだろう」

というのがAfsakid hleの真相です。別に何の事件も、ドラマも、スキャンダルもありませんでした。




これはなんでしょうか?いずれご紹介


ですが、それと重なって、もうひとつの大きな流れというか、変遷のようなものがあって、そちらもお休みの原因に繋がっていました。そちらは別に目新しいものではなくて、いつでも視野には入っていたのですが、まあ、時機を見て立ち止まって考えてみる、ということを必要とするものでした。

それは年齢のことなのです。ワタシ、今年の十一月で65歳になります。65歳というのは、高齢者の部類に入るのでしょうが、自分自身ではまったくそんな気はしていません。なにしろ精神的には発達をやめてしまっていますから、まだ40歳代のような気がしています。

ところが、やはり「きまり」というものがあって、こちらの教会では67歳で年金生活の入いる100%の権利が与えられます。67歳で実際引退される方もありますし、仕事を50%とかに減らす方も結構います。

その気があれば、最長70歳まで働き続けることはできます。この場合の「70歳」はかなり文字通りの「70歳」であって、原則七十の誕生日まで働くことができ、それを越したら「強制引退」となります。

私は、身体的にも特に問題はないので、70歳まで突っ走る、いやいやトコトコ歩き続けるつもりでいます。

しかしですねえ、たとえ70歳まで続けるとしても「あと5年しかないではないか!」ということに、この年明けに気が付いたわけです。まあ、実際には以前から気が付いてはいましたが、あまり「実感」がなかったわけですよ。

それが、2023年の年を迎えた時に、ふと2018年のある出来事を思い出していて、「ああ、もう五年も経ってるんだ。ついこの間のような気がするけど...」となり、そして「五年間って、こんなに短いんだ!」「ヤバッ!あともう、それっぽっちしか働けないんだ」とプチパニックになったのでした。




ラジオ放送用の礼拝 これもいずれご紹介


それが実感されてくると、いやでも「終活」ならぬ「仕事上の終活」をスケジュールに入れなくてはならなくなります。つまり、残された時間で、自分は職務中のどの事項に優先順位を与えていくのか選択する必要があるわけです。すべてはできませんから、五年では。

このことも、本当は以前から考えていたのです。ですが、ここでも「実感」の圧力はかなりなもので、抽象的にではなく、具体的に「これ」「あれ」と選び始める時期にきたんだ、と考えさせられました。

そこから、仕事はもちろんなのですが、身の回りの他のいろいろな事柄を含めて、一度今の自分の立ち位置と周囲の状況を見直して、これから五年間の生活設計を頭にインプットしよう!と思い立ったわけです。

そういう流れの中で、今年の始まりは「ちょっと立ち止まって、見直してみましょう」という時期になったのでした。

では、今はもうしっかり、スッキリ、まるっと解決済みか?というとそんなことはないです。「解決」するような課題ではないですね、常に付いて回るというか。ただ原則的な事柄だけでも了解しておくと、かなり役には立ちます。

じゃあ、どんな原則があるかというと、例えば「今はできて、いずれできなくなることに優先権を与える」今年になってから、また筋トレを再開し、今は週に四〜五回の頻度で行っています。

筋トレ、今はできますが、いつまでできるかは不明。だったら今のうちにしっかりやっておこう、ということです。やっている中で、特定のツールが欲しくなり、「買うか、買うまいか」と悩んだりもします。そういう時は「今しかないのだから、ケチらないで買う」を選択。これが原則の一例です。他にもいくつかありますが、それはまた順を追ってご紹介してみたいです。




清涼感アップ用Pic2
Myndin er eftir John_salvino@unsplash_com


自分ではまったく実感がない「65歳リーチ」のワタシ。思わぬ伏兵だったのは、自分は実感がなくとも、周囲はそういう「高齢者」としてワタシを見ることです。「席を譲りましょう」とか、そういう意味じゃないですよ。

仕事している中で、若い世代の牧師さんとかには「あと数年したら引退するトーマ牧師」という視線で見られていることを感じることがあります。まあ、それは仕方がないですね。私もそういう目で年配牧師を見ていましたから。いや、今でも見ているよね。

問題はそれをどう受け止めるかですね。きちんとした仕事の手際を示れば「良き上長」として問題なく協働できますが、いい加減な仕事や、やる気のない態度を見せたりしたら「こんな、先のない人に費やす時間はない」となってしまいます。

これも、そういうものだと思います。自分もそうしてきましたから。要するに、今まで他の人たちにしてきたことが、そのまま自分に返ってくる、ということのようです。これは「終活」だけではなくて、フツーに生活の原則なのでしょう。

というわけで、またブログ再開します。時々覗いてくださると嬉しいです。よろしくお願いします。m(_ _)m


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする