レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

いつもスイカをくれる掃除のおじさん

2022-07-22 20:50:09 | 日記
こんにちは/こんばんは。

前回、三月に始まったウクライナからの難民の人たちへのさまざまな支援活動のうち、私自身が関わっている、子供たちのデイケアセンターのことを紹介しましたが、まだまだ書ききれないことがあったので、今回はその続きを書いてみたいと思います。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Francesco_Ungaro@unsplash.com


前回書きましたように、本当の「デイケア」を提供しているわけではなく、原則としては保護者同伴が必要です。「保護者」とは、ほとんどが母親か祖父母になりますが、ひとりの保護者が複数の子供の責任を持つことによって、互いに自由になる時間ができるように助け合っているのです。

センターのオープンは、平日の午前10時から午後3時まで。子供三十人に保護者十人が集まるとしても、ランチやおやつ、コーヒーの提供や、片付け等々の世話をしてあげるヘルパーが必要となります。

その部分を、アイスランド在住のウクライナ人、教会等からのボランティアの人たち等がカバーしているわけです。

始まった当初は、まったくの手探りでの運営でしたので、それなりに時間と労力、集中力を必要としました。利用するウクライナの人たちも、アイスランドに来たばかりで、その意味で「手探り」状態。

幸いにも、その時期はボラの数も多かったため、乗り越えることができました。約五ヶ月が過ぎた現在では、手探り状態を脱し、多くの面で運営の仕方は合理化・効率化し、まとまってきました。

例えば、新しい人が来た場合でも、こちらの様子に通じてきた、以前から滞在している人たちが、その人たちの世話をしてくれます。さらに全体的に子供たちへの監督や気配りにも慣れてきた感があります。




これは週一のプログラム「みんなで編み物」


運営がスムーズになる一方で、サポートに来るボラの数は減ってきました。それは理解できますよね。平日の日中に、何ヶ月もボラを続けるのはそう簡単なことではないでしょう。

というわけで、定期的に必ず参加しているサポーターは、こちらに在住している若いウクライナ人の夫婦といく人かのアイスランド人、そして私だけになっています。

私の場合は、純粋なボランティアではありません。仕事の一部ですから。それでも、「この活動に毎日参加しろ」という命令が来ているわけではなく、自己判断で続けていますし、もともとの職務はそっくりそのまま残っていますので、全体として仕事が増えています。手当も付きませんので、「ボラ的」な部分はあります。

さて、今現在は、私は午後一時半くらいから始めて、三時半くらいに閉園後の掃除を完了するところまで詰めるようにしています。

私の役割も、かなり出来上がってきていて、第一に皿洗いを含むキッチン関係。ついで拭き掃除、掃除機等の清掃の手伝い。この間に、子供たちの使ったおもちゃの片付けが入ることもあります。これが意外にも膨大なお仕事... (^-^;

これは偶然そうなったわけではなく、子供たちの監督とケアをするにはやはりウクライナ語ができないといけません。だからウクライナ人ボラや保護者はそちらが主な役割。皿洗いやゴミ出しにウクライナ語は不要、ですがゴミの分別等の知識は必要、とうような常識的な役割分担。






上 この程度はまだまだ序の口
下 We LOVE スイカ!


あと、エクストラな役割は、週何回かスイカを買って行って、子供たちに食べさせてあげることです。意外な発見。ウクライナ人はスイカ大好きなのです。メロンも喜びますが、スイカはダントツ人気。

喩えは悪いですが、レイキャビクの池のアヒルたちにパンをあげる時みたい。スイカを持って部屋に入ると、子供たちが周りに群がってきます。歓声を上げながら。大きなボウルいっぱいのスイカ、三分ほどで完食となります。

六月の終わりまでは、数少ないウクライナ人の壮年男性とこれらの役割を一緒に分け合っていました。難民のひとりなのですが、すっごく一生懸命働く人で、四歳の娘さんと一緒にセンターに通っていました。

英語がほぼダメなので、詳しい事情は知らないのですが、多分、戦争開始時に国外にいたか、非常に早い時期に出国したのでしょう。「自分は国外にいる」という意識のせいで、あれだけ一生懸命に働いていたのだろうと想像しています。

この人とは、言葉はなかなか通じないものの、毎日同じ作業をしている中で、かなりの「相棒」になりました。七月始めに、ポルトガルに逃れていた奥さんともうひとりの娘さんと、こちらで合流。

嬉しい限りなのですが、それによって住居探しや、職探しに奔走することとなり、センターでのお助けはできなくなってしまったのです。




中央、赤シャツの男性が私の「相棒」

その他にも、顔見知りになったお母さんたちもありますが、名前とかはほとんど知りません。このセンター、以前書きましたように、女性と子供が大半。ですから、万が一にも変な誤解を招かないよう、なるべく馴れ馴れしい態度は取らないように気をつけています。

そういうわけなので、毎日のように通っていても、そんなに個人的に親しくなった人はいません。大方の人は私の名前も知らないでしょうし、おそらく「よくスイカを持ってきてくれる掃除のおじさん」なのだと思います。確かにそうですね。

このボランティアなのか仕事なのかはっきりしない活動。八月の終わりまでは続けるつもりでいます。九月の新年度からは、レイキャビク市がきちんと予算をつけて、幼稚園なり、市が責任を持つデイケアセンターなりを開くはずなのです。疑わしいけど。

教会は当初から関わってきましたし、それまでは誰かしらがきちんと関わっていくべきだと、自分では考えています。




スイカを持ってきてくれる皿洗いのおじさん


でも、自分がこのセンターに通い続けている一番の理由は、そこにいるのが好きだからだと思います。別に個人的に誰かと仲良くなる、というようなことではなくても、ウクライナ難民の人たちが、そこで互いに助け合い、支え合っているのを見ることができるのは、「当たり前」のことではないと考えています。

東日本の大震災の後でもそうでしたが、自然災害や戦争等のとんでもない災厄の中にあっても、というか「中にあるからこそ」現れる人間の強さ、連帯、美しさというものがあるじゃないですか。

恵まれた状況では、「自分」をついつい優先させてしまう人間のエゴがあります。それが、集団的な困難、危機の中にあると、文字通り「One for all. All for one」がエゴを超えてくるのです。

残念ながら、困難が収束しまた恵まれた環境に戻ると、エゴが再び優勢になってしまうのが人の常のようではありますが。




弟の手洗いを助けるお兄ちゃん

それでも、この「人の美しさ」を目撃し、きちんと心に留めておくことは、牧師としての私にとってはかけがいなく大切なことなのです。なぜなら、この「美しさ」こそ、本来、神が人に与えた祝福だと信じているからです。

その祝福が、困難の中にある時ほど、より鮮明に現れるとしたら、それが人の世の罪深さなのでしょう。ですが、そのような祝福が「確かにある」ということが大切なのです。

そのような大切なものを、このデイケアセンターで私は見出していました。だから、手当云々に触れましたが、そんなものは本当はどうでもいいのです。「いつもスイカをくれる掃除のおじさん」はすでに十分な報酬をもらっているのでした。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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