新年、明けましておめでとうございます。
旧年中はこのマイナーブログを訪ねてくださり、感謝申し上げます。新年も引き続きよろしくお願いいたします。m(_ _)m
Gledilegt nytt ar! グレーズィレクト・ニヒト・アウル! 明けましておめでとうございます
とは言うものの、実は私はまだ2021年の世界にいます。大晦日の午後なのですが、毎年この日の午後三時から夜の零時まで、新年が明けているような、まだ明けていないような、という時空の歪み?に紛れ込んでしまいます。
日本とアイスランドの間には九時間という無視できない時間差があります。日本が先を行っています。つまり、日本の午前零時を迎えて、新しい一日が始まった時、アイスランドでがまだ「古い日」の午後三時なのです。
もちろん普段からこの時間差はありますし、目新しいものではありません。ですが、新年のようにカウントダウンをしながら祝うような状況になりますと、どうしてもこの「狭間」に迷い込んでしまうのです。
こちらへ移ってからも十年間くらいの間は、そんなには気になるものではありませんでした。というのは、1990年台から2000台の初頭は、まだインターネットがそれほど普及していませんでしたので、日本時間と、こちらの時間を同時に体験するような機会はほぼなかったからです。
それが徐々に、二国間(別に三国以上でも同じことですが)の九時間とか十時間とか、時間差はしかと存在してはいるもの、「体験時間」としては同じ時間を共有できる環境になってきました。
実際に、私は毎日のようにNスタの生放映でホランちゃんの顔を拝んでいるのです。Nスタは午後四時前からの三時間ですから、こちらでは朝の七時から十時までとなりますが、Nスタを日本の視聴者の皆さんと同じ時に(実際は多少のズレはありましょうが)見ていることに変わりはなく、これが「体験時間」です。
普段はそれだけのことなのですが、大晦日の午後三時になると、「明けましておめでとう!」とFacebookなどで書こうかな?フライングかな?と迷うようになってきてしまいました。
で、しばらくの間「日本ではもう新年なので」とか注釈をつけながらHappy new yearをやっていたのですが、現在はもう「時空の歪み」の中で年明けを二回楽しむ、という風に落ち着いています。
世界の時間をはたから見ると...
Myndin er ur Wallpapertrip.com
どうでもいいこと、と思われるでしょうが、実際に日本を離れて生活していますと、こういうことが「自分の『魂』はどっちにあるのか?」みたいな気持ちにつながってきたりするのです。「どっちにも」が現在の私のスタンスとなりました、へへ。
新年は明るい希望を持って迎えたい! のはやまやまなのですが、アイスランドの2022年は相変わらずのコロナ禍中で始まります。
コロナの大騒ぎ始まってからの約二年。小国アイスランドでの一日あたりの新感染者数は、先の十二月中旬まで最大で二百人ちょっとでした。それも「毎日のように」というわけではなく、ポツンポツンと、「そういう日があった」という感じでした。
それがこのクリスマスに直前から急に「毎日四百人超え」みたいになってしまいました。おかげで、また各種制限が復活し始め、教会もクリスマス礼拝を自粛せざるを得なくなったことは、先日書いた通りです。
クリスマスを通り越すあたりから、一日の感染者数は八百人とかにまで跳ね上がり、昨日のみそかにはついに1601人の感染確認。このうち国内感染者数は1557人、海外からの帰国者・入国者の感染確認が44人ということです。二百が四百、四百が八百、八百が千六百。ネズミ講か?これが礼拝参加者の増加だったら嬉しい限りなんだけど...
ネズミ講的爆発のオミクロン
Myndin er ur Covid.is
絶対数が小さいのでなかなかピンとこないと思います。現在の十万人あたりの感染者指数でいうと、なんと1708。これを東京の人口数に換算してみると、約1400万人だそうなので、23912人ということになります。東京で一日の新規感染が二万三千を超えたくらいなのだ、と言うと「大変だ感」が伝わってくれるのでは?
こういう状況下、教会はクリスマスに続いて年末年始の礼拝も中止としました。クリスマス時には「中止令」ではなく、各個教会が「よーく考えての自主判断」だったのですが、今回は「一律中止」と決まりました。
アイスランドでは、大晦日の午後六時と元旦の午後二時に、それぞれ礼拝が持たれることが多いのです。特に大晦日の礼拝では、最後にアイスランド国歌になっている讃美歌が歌われるのが常で、わりと厳粛な雰囲気の礼拝です。
正直言って、私は両者ともそんなに参加したことがありません。日本人たるワタシとしては、大晦日の午後六時はソバをゆでるのに忙しく、元旦は家族と過ごすのが第一だからです。「マルチ・カルチャーライフ」の現実の最先端はこのような日常の中にあります。
大晦日名物の花火 環境保護との兼ね合いどうなるか?
Myndin er ur Visir.is/VILHELM
そんなこんなで、決して夢いっぱいで始まるわけではないアイスランドの2022年ですが、年間を通してみれば「困難ばかり」とか「良いことばかり」ということはあり得ないわけで、両者が混合しているのが一年三百六十五日。
黒雲だけ見上げて歩むことのないようにしたいものです。コロナに関してさえ、感染者数の爆発的な急増に比して、重篤者数は増加していません。オミクロンの毒性はそれほど高くない、というのは事実のように見受けられます。
ただ、重篤になる方、亡くなられる方もゼロではありませんので、念のため。このあたり、人の生命に関することは表現が難しいですね。統計で表しきれない部分がありますので。
日本でもオミクロンは必ず増加してくると思いますが、国や社会の指導の任を担う方々がパニックにならずに、納得できる施策をタイミングよく打ち出してくれることを願います。
この一年が皆さまにとりましても、なるべく幸が多く、なるべく難が少ないものとなりますようお祈りしております。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
旧年中はこのマイナーブログを訪ねてくださり、感謝申し上げます。新年も引き続きよろしくお願いいたします。m(_ _)m
Gledilegt nytt ar! グレーズィレクト・ニヒト・アウル! 明けましておめでとうございます
とは言うものの、実は私はまだ2021年の世界にいます。大晦日の午後なのですが、毎年この日の午後三時から夜の零時まで、新年が明けているような、まだ明けていないような、という時空の歪み?に紛れ込んでしまいます。
日本とアイスランドの間には九時間という無視できない時間差があります。日本が先を行っています。つまり、日本の午前零時を迎えて、新しい一日が始まった時、アイスランドでがまだ「古い日」の午後三時なのです。
もちろん普段からこの時間差はありますし、目新しいものではありません。ですが、新年のようにカウントダウンをしながら祝うような状況になりますと、どうしてもこの「狭間」に迷い込んでしまうのです。
こちらへ移ってからも十年間くらいの間は、そんなには気になるものではありませんでした。というのは、1990年台から2000台の初頭は、まだインターネットがそれほど普及していませんでしたので、日本時間と、こちらの時間を同時に体験するような機会はほぼなかったからです。
それが徐々に、二国間(別に三国以上でも同じことですが)の九時間とか十時間とか、時間差はしかと存在してはいるもの、「体験時間」としては同じ時間を共有できる環境になってきました。
実際に、私は毎日のようにNスタの生放映でホランちゃんの顔を拝んでいるのです。Nスタは午後四時前からの三時間ですから、こちらでは朝の七時から十時までとなりますが、Nスタを日本の視聴者の皆さんと同じ時に(実際は多少のズレはありましょうが)見ていることに変わりはなく、これが「体験時間」です。
普段はそれだけのことなのですが、大晦日の午後三時になると、「明けましておめでとう!」とFacebookなどで書こうかな?フライングかな?と迷うようになってきてしまいました。
で、しばらくの間「日本ではもう新年なので」とか注釈をつけながらHappy new yearをやっていたのですが、現在はもう「時空の歪み」の中で年明けを二回楽しむ、という風に落ち着いています。
世界の時間をはたから見ると...
Myndin er ur Wallpapertrip.com
どうでもいいこと、と思われるでしょうが、実際に日本を離れて生活していますと、こういうことが「自分の『魂』はどっちにあるのか?」みたいな気持ちにつながってきたりするのです。「どっちにも」が現在の私のスタンスとなりました、へへ。
新年は明るい希望を持って迎えたい! のはやまやまなのですが、アイスランドの2022年は相変わらずのコロナ禍中で始まります。
コロナの大騒ぎ始まってからの約二年。小国アイスランドでの一日あたりの新感染者数は、先の十二月中旬まで最大で二百人ちょっとでした。それも「毎日のように」というわけではなく、ポツンポツンと、「そういう日があった」という感じでした。
それがこのクリスマスに直前から急に「毎日四百人超え」みたいになってしまいました。おかげで、また各種制限が復活し始め、教会もクリスマス礼拝を自粛せざるを得なくなったことは、先日書いた通りです。
クリスマスを通り越すあたりから、一日の感染者数は八百人とかにまで跳ね上がり、昨日のみそかにはついに1601人の感染確認。このうち国内感染者数は1557人、海外からの帰国者・入国者の感染確認が44人ということです。二百が四百、四百が八百、八百が千六百。ネズミ講か?これが礼拝参加者の増加だったら嬉しい限りなんだけど...
ネズミ講的爆発のオミクロン
Myndin er ur Covid.is
絶対数が小さいのでなかなかピンとこないと思います。現在の十万人あたりの感染者指数でいうと、なんと1708。これを東京の人口数に換算してみると、約1400万人だそうなので、23912人ということになります。東京で一日の新規感染が二万三千を超えたくらいなのだ、と言うと「大変だ感」が伝わってくれるのでは?
こういう状況下、教会はクリスマスに続いて年末年始の礼拝も中止としました。クリスマス時には「中止令」ではなく、各個教会が「よーく考えての自主判断」だったのですが、今回は「一律中止」と決まりました。
アイスランドでは、大晦日の午後六時と元旦の午後二時に、それぞれ礼拝が持たれることが多いのです。特に大晦日の礼拝では、最後にアイスランド国歌になっている讃美歌が歌われるのが常で、わりと厳粛な雰囲気の礼拝です。
正直言って、私は両者ともそんなに参加したことがありません。日本人たるワタシとしては、大晦日の午後六時はソバをゆでるのに忙しく、元旦は家族と過ごすのが第一だからです。「マルチ・カルチャーライフ」の現実の最先端はこのような日常の中にあります。
大晦日名物の花火 環境保護との兼ね合いどうなるか?
Myndin er ur Visir.is/VILHELM
そんなこんなで、決して夢いっぱいで始まるわけではないアイスランドの2022年ですが、年間を通してみれば「困難ばかり」とか「良いことばかり」ということはあり得ないわけで、両者が混合しているのが一年三百六十五日。
黒雲だけ見上げて歩むことのないようにしたいものです。コロナに関してさえ、感染者数の爆発的な急増に比して、重篤者数は増加していません。オミクロンの毒性はそれほど高くない、というのは事実のように見受けられます。
ただ、重篤になる方、亡くなられる方もゼロではありませんので、念のため。このあたり、人の生命に関することは表現が難しいですね。統計で表しきれない部分がありますので。
日本でもオミクロンは必ず増加してくると思いますが、国や社会の指導の任を担う方々がパニックにならずに、納得できる施策をタイミングよく打ち出してくれることを願います。
この一年が皆さまにとりましても、なるべく幸が多く、なるべく難が少ないものとなりますようお祈りしております。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
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