レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

自分史の中の「倍返しじゃ!」

2020-11-01 00:00:00 | 日記
十一月一日を迎えたレイキャビクよりこんにちは。もっとも日付は世界のどこでも同じですから、日本も十一月と思いますが。(*^^*)




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Garrett_Sears@Unsplash


始めにこの一週間のこちらの出来事をお伝えしますと、相変わらずCxxxx 関連がトップニュースです。この十日ほどでふたつの集団感染(クラスター)が発生してしまいました。

そのうちのひとつはLandspitaliランドスピータリというアイスランドでメインの大きな病院でです。高齢者の方々の治療をしている病棟 -「高齢者病棟」みたいな呼び方をしていますが- そこでクラスターが発生し、患者さん、医療関係者、家族等を含めて百四十人が感染しました。

数も多いのですが、さらに深刻なのは、被感染者に八十代、九十代のご高齢の方が多いことです。きちんと確認してはいませんが、直近で亡くなったふたりの方はここで感染したように見受けられます。

もうひとつのクラスターはレイキャビク市の南東の地区にある小学校。こちらではアメリカのように「十学年制」ですので、実際は「小中学校」です。ここで生徒を中心に四十四人が感染。全体で三百人余りが「隔離」に入っています。

また、これまで平静だった田舎の東部でも、お葬式が原因でクラスターが起こっています。

こういう事態を受けて、政府は昨日土曜日の真夜中を起点として、コXX対策を強化しました。二十人Maxだった集会は十人Maxとなりました。これまでは特例として五十人まで許されていた葬儀参列も三十人まで減少。

葬儀後のお茶会は恒例なのですが、これは十人限度。つまり、ごくごく近親者のみ、となります。

美容院、マッサージ等の濃厚接触を基本とするお店は営業禁止。バーやナイトクラブ、ゲームセンター等の娯楽施設もクローズ。フィットネスやプールも同様。普通のレストランは夜九時まで営業が許されます。

ニュースでご覧になっていると思いますが、スペイン、フランス、イギリス、ドイツ等、ヨーロッパでは軒並みコXXの第二波、第三波がすさまじくなっています。スペインではしばらく前から「夜間外出禁止令」を発令していますし、フランスはつい先日、再び「外出禁止令」を発令。イギリスも今週、同じ道に入ります。

アイスランドでは「今のところ、外出禁止令まで出す必要はないと考えています」とのカトリーン首相の弁。そう願いますよ、本当に。




清涼感というよりはのんびり感アップ用 ブルーラグーン
Myndin er eftir Jeff_Sheldon@Unsplash


さてさて、Cxxxxの話はここまで。ここのところ続けています私と「緑の党」の関係についての昔話しの続きに移ります。

皆さんにとっては、何の益にもならない話しであることは承知しています。ですがもともとこのブログは「日本からやってきた中年のおじさん(注:今は初老のおじいさんなりかけ)が、アイスランドで何を考えて、どんな暮らしをしているか」をご紹介することが主たる目的ですので、まあ、そういうものなのです。m(_ _)m

2004年の外国人法改悪の出来事の後、私は「政治も大切だなあ」という思いを持っていました。私は教会の牧師で、移民に対するサービスが主たる専門分野です。

その頃は、移民に対する確固たる国や地方自治体の考えがなかったため、そういう基本政策の構築に参与することも仕事の一部、というよりかなり大きな部分を占めていました。

権利の拡充と保証、偏見と差別に対する活動、あるべき社会システムの提言等々などです。ですから牧師とはいえ、職務はもともと政治っぽいような性格が強かったのです。

つまり、「政治にももっと参加しようかな」という思いは、職務遂行への熱い思いの必然的な産物だったわけです。... と、いうのは、ウソです。まあ、三割くらいはホントですが、あとの七割はもっと個人的な「ギラギラの野心」でした。

移民担当の牧師の私ですが、いうまでもなく私自身移民です。しかも「非白人」の。その当時のアイスランド国民教会というのは、まだまだ前世紀の遺物のような性格を有していて、「え?日本人の牧師?キリスト教のこと、ちゃんと知ってるのかな?」みたいな空気がありました。

ですから、私の方もキリスト教についてではなく、この「国民教会」と「その牧師たち」には辟易していて、ほとんど忠誠心のようなものは持っていなかかったです。持てるわけがない。

良い仕事をしても、良き意見を言っても、無視されるのが日常でした。そういう体験をしている中で、「アジアからの移民でもきちんとした仕事をできることを、必ず証明してやる」という思いは強くなってきたわけです。

前にも書きましたように、当時の私は新聞の投稿欄に頻繁にオピニオンを書いていたのですが、これも実をいうと「オラが教会の中で発言しても、誰も聞こうとしない。だったら、直で社会にものをいうぞ」という背景があったのです。

良い仕事をしたい、というのは当然ありますが、それはまだまだ、なんというか、かなり「きれいな」部分です。その下には「自分を証明してやる」というような、かなりドロドロしたマグマ、情念みたいなものがありましたね。

「お前ら、いつかオレの靴を舐めろ」... とまではいきませんでしたが。「半沢直樹」は観たことがないのですが、多分「倍返しじゃ!」に似たものでしょうか?




去年の緑の党全国大会での党首カトリーンさん
Myndin er ur Fretabladid/Valli


2004年の外国人法改悪に反対する中で、新聞に投稿したり、ラジオで意見を言う機会が何度もあったのですが、その過程でかなり私も知名度を上げました。「アジア人のくせに一丁前の口を叩く」というのもありましたが、一方で私の意見に賛同してくれる人も多くあったのです。

そういう風にして「緑の党」に入ったので、始めは結構チヤホヤされて、緑の党のレイキャビク市の組織のボードメンバーに招かれたりしました。

結果は散々で、しばらくして「自主的に」抜けさせていただきました。市政というのは、問題がものすごく具体的で、「どの会社の誰々と話しができる」「このグループのリーダーは誰で、どこの誰とどう繋がっている」とかいう基本知識がないと、話しが始まらないのです。

市政は私にはお門違い、ということを学びました。私がもう少し得意だったのは、人権とか、差別対策とか、大義名分に関わるようなことで、これはどちらかというと国政の課題なのでした。

で、今度は2007年でしたが、アルシンキ(国会)選挙を前にして、その選挙の政策要項を作るための作業部会に加わりました。これは結構大変な作業で、休日返上のうえに夜も結構遅くまで自宅でシコシコと作業を続けた覚えがあります。

その政策要項を提出して、協議し賛否を決めるのが年に一度の全国大会です。これは日本でも同じでしょう。その全国大会では、いろいろな政策要項案の協議の他に、いくつかの役員選挙があります。

そのうちのひとつがFlokksradフロックスラウズというもので、これは全体で二十人くらいかな?党全体の役員会みたいなものです。これは党の上に行こうとする人の登竜門で、議員を目指す人が「私をフロックラウズに選んで!」と党内選挙を展開するのでした。




全国党大会での様子
Myndin er ur Liverstream.com


党大会は三日間の日程。私にとっては初めての経験。移民政策の要項の協議が主たる課題でした。

三日目は日曜日なので、午前中は教会。午後からヒョコヒョコ会場に着いてみると「トシキ、おめでとう。フロックスラウズに選ばれたよ」だって。「ハッ?オイラ、立候補してないんだけど... ?」

何でもフロックスラウズは他薦で十分で、立候補は必要事項ではないとか。だけど、せめて推薦されたとか、言ってくれないの?

結果を聞いて驚いたのですが、ワタシ、二位で選ばれていたのです。トップは党結成当時から中心にいた高齢の女性で、これはもう名誉職を捧げる的なものだったようです。

これは正直言って悩みました。ありがたいことですが、党活動にそこまで身を捧げる覚悟はできていなかったのと、「他に有識な適任者が大勢いるではないか?」という正直な思いがあったからです。

というところで、長くなりましたので続きは次回に。

引き続き、Cxxxxにはくれぐれも気を付けてお過ごしください。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント (2)
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