レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「二十四歳ルール」と「緑の党」への途

2020-10-18 00:00:00 | 日記
こんにちは。日本では暑かったり寒くなったりという季節と聞いています。体調を崩されませんよう気をつけてください。

こちらでは意外にも暖かい日が戻ってきました。毎日5-8C°くらいあります。九月の初めには急に寒くなったので「今年の冬はヤバイか?」と心配したのですが、幸いその悪予報は外れてくれました。

この時期になると、車のタイヤをスパイク(ここでまだ使用可)に換えるタイミングを伺うのですが、この様子では焦る必要はないかも。(という落とし穴に何度もはまったワタシですが...)

ところが、実はここのところあまり体調が良くないのです。Cちゃんの兆候はないのですが、眠れない、気が乗らない、腹ペコにならない、というようなことが続いています。

で、考えたのですが、またしても「サブCちゃんシンドローム」かもしれません。Cちゃんに直接感染しているわけではないのですが、いろいろな規制や、仕事の滞り、周囲のよどんだ雰囲気などで、自分自身も気が付かないうちに「Cちゃんウツ」みたいになってるヤツです。

春先にも経験しているのですが、この「気が付かないうちに」という点は甘く見てはいけないですね。皆さんも十分に「気が付かないこと」に気を付けてください。




Cちゃんに対抗する清涼感ピック ウェスターン・フィヨルド
Myndin er eftir Cassie_Boca@Unsplash



さて、今回は最近経験したアイスランド的出来事について書きたいと思うのですが、それには少し「前史」を語る必要があります。

私は牧師になるために神学校へ入る前に、市谷の某マンモス大学で政治学を勉強していました。そうそう、その意味でいえば菅首相の後輩になります。別に嬉しくもないですが。

一時期、せっせと政治活動に身を投じたこともあります。スウェーデ社会民主党のオロフ・パルメ首相にあこがれ、「ああ、なりたい」と思ったものですが、ある時「完璧に能力が足りないこと」「政治の世界で生き残るには人柄が良すぎる?こと」に気が付き、進路を変えたのでした。

こちらへ渡ってからは、政治の基礎にある文化というか風土の違いにやはり気付かされましたし、政治家に不必要な権威主義がないことに好感を持ちましたので、ドップリとはいかなくとも、あらためて政治にもそこそこ付いていくようなりました。

で、2004年か2005年だったと記憶していますが、思い立って「緑の党」という政党に参加したのです。日本語で言うと「入党する」となりますが、この言葉そのものに「入信」と同じような「クサイ」ものを感じますので、「参加した」としておきます。

「緑の党」というのは正式には「左翼運動 – 緑の候補者党」といいます。「左翼運動」というと、日本語ではかつての全学連や内ゲバに走ったような新左翼運動を連想させるかもしれませんが、こちらではそういうことはありません。今では「リベラル」という言葉と同じようなニュアンスだと思ってください。

とにかく、この緑の党への参加しようと思ったのにはきっかけがありました。2004年前後の当時はアイスランド社会での「移民問題」の基礎を据えようとしていた時期であり、「人権」「差別」「偏見」というようなことが多く議論されていました。

移民牧師の私はそういう議論に積極的に参加したのですが、その過程で、どうしても政治に関わる部分が大きいことを痛感していました。その中で「政治にも関係してないと弱いようなー」と思い始めたわけです。




「緑の党」のロゴマーク
Myndin er ur Vg.is


そして2004年。もう十六年も前というのに驚きますが、これは私にとって特別な年となりました。

時の政権は独立党と進歩党(という名前の保守党)の連立政権。独立党の法務大臣ビョルン・ビャルトナソン氏はウルトラ国粋主義者で「外国人法」を好きなように改悪しようと改悪案を提出しました。

その中でも目玉の改悪案は「二十四歳ルール」と呼ばれたものです。アイスランド人と結婚した外国人は、その住居、健康保険、生活費等が保証されていればアイスランド人の「配偶者」として、滞在許可を受けることができました。今でも原則は同じです。

それをビョルン氏は「たとえアイスランド人と結婚しても、二十四歳以下の外国人配偶者は滞在許可をもらえない」と改悪を図ったのです。

この「二十四歳ルール」とは、実際はデンマークで施行されていた政策の猿マネでした。デンマークでは当時既にイスラム教徒の移民が多い国だったのですが、イスラム教徒はわりと早い歳で結婚するのです。

そうすると、デンマーク在住のイスラム教徒の移民(多くの場合男性)が、故国の若い人(多くの場合女性)と結婚し、その若い配偶者をデンマークへ呼んで移住させる、というケースが顕在化してきたのです。

そこでデンマーク政府は「二十四歳ルール」なるものを作り、この「若い配偶者」の流れ込みを止めようとしたのでした。

なぜ「二十四歳」か?という疑問がすぐに出てきます。私も理解できなかったのですが、当時デンマークに留学していたアイスランド人の友人が教えてくれました。

「トシキ、一般的なデンマーク人は、男性も女性ももっと遅くなってから結婚する。二十四歳以下で結婚するのは、圧倒的に外国人あるいは移民に多いんだ。『絶妙』の線引きだよ」

なるほど。でもそうだとしても、そういう事例はアイスランドではまったく起こっていないんだけど?

そう、こういうところが「国粋主義者」「移民排斥主義者」の本性が現れるところなのです。「幸い、我がアイスランドでは、兄弟国デンマークのような不幸な事態には、まだ見舞われていない。だからこそ、先手を取って防止すべきなのだ」

要するに、事実に基づかない机上の、かつ「否定的」な想定に基づいて移民や特定のマイノリティーグループの権利を狭めていこうとするわけです。

ちなみにこのデンマークの「二十四歳ルール」は、多くの人権団体やEUの関係団体からも「重大な人権侵害」として批判を浴びていました。今でもあるのかな?すみません、ちょっと不確か。後で勉強しておきます。




結婚式には人気のあるBudirブージィルの黒塗り教会
Myndin er eftir Simon_Alibert@Unsplash



さて、そのような人権侵害ルールを含んだ、外国人法の改悪案。もちろん、他にも人権侵害の疑いが強い改悪点がいくつも詰まっていました。

そういう移民の権利の危機の時期に立ち上がったのが、白馬のジェダイの騎士、ではない、ただのワタシです。(*^^*)

先ほど書きましたように、私は移民牧師としての職務上かなり全般的に移民の権利ということに関わりがありましたし、しかもこの「二十四歳ルール」は結婚ということにも関連していますので、直に牧師さんの仕事とのつながりもあったわけです。

そういうわけで、この法案が世間に紹介されると、すぐに対応を検討しました。この方の改悪案は移民に対する権利の制限ということもありますが、その論拠の不透明さと、論拠そのものが相当な偏見に拠っていることがあり看過できないものであったわけです。

先にも書きましたが、デンマークの友人から情報を得たり、他の人権団体とコンタクトしたりして、論点を整え、わりとタイムリーに新聞に反対の意を表する記事を送ることができました。

これが2004年の一月から四月まで続く「闘争」の幕開け。なーんちゃって。でも、この時期、かなりこの課題に没頭させられたのは事実です。

やれやれ、先々週から先週にかけて体験した出来事を書こうと思っていたら、とんでもない長饒舌の前振りになってしまいました。でも、そういう事情から書いていかないと、わかってもらえない部分もあるので...

続きは次回になります。老人介護の博愛の気持ちを持ってご容赦ください。m(_ _)m


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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