レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

生活の怠惰なリズム

2018-03-25 05:00:00 | 日記
三月の最後の週を迎えています。こちらではこの時期になると、日もだいぶ伸びてきて、夜の8時を回っても、まだ外は「夜」というほどには暗くなりません。

また、今年はもうすっかり雪も消え去りましたし、積もるような雪はもうないだろうな、と期待しています。そういう安易な期待はこれまで何度も裏切られてきましたが。

それでも、今週中には車のタイヤを夏用のものに交換しようと予約を入れてあります。スパイクタイヤの使用許可は4月の15日までなのですが、ちょうどその頃出張の予定があるので早めに換えておこう、と思い立ったのです。

ところで今週は、キリスト教の文化圏では「聖週間」と呼ばれる特別な週です。来週の日曜日が復活祭の日曜日、イースターになります。遡ってこの七日間はキリストの十字架への苦難の道を偲ぶ日々となるわけです。




聖木曜日 最後の晩餐をテーマとした絵
Myndin er ur Visindavefurinn.is


聖週間についてはこれまでも何度か書いたことがありますので、よければそちらも覗いてみてください。

アイスランドの聖週間

教会の鐘がミュートになる時...?


今回は「生活のリズム」ということについて、うだうだと書いてみたいと思います。

皆さんはご自分の「生活のリズム」というものをお持ちでしょうか?若いうちはそんなことあまり気にしないかもしれませんね。それに働き盛りの年齢の方々も、仕事に追いまくられてリズムなど考えるゆとりはない、ということも多いとお思います。

私も今でこそ牧師をして霞を食べるような生活をしていますが、かつては一応サラリーマンでしたので、仕事に追われた生活は経験しています。サラリーマンです、ビジネスマンではなくて。何が違うか?悲哀があるでしょ、サラリーマンには。(^-^;

その頃は本当に「仕事−眠る−仕事」の繰り返しで、薄給の身であったにもかかわらず、お金は結構貯まりました。お金を使うヒマがなかったんですよね。

それでも毎日にリズムがなかったわけでもないですね、行き帰りの電車の中で寝る時間とかは、大切なリズムになっていたと思います。

周囲を見回してみると、学校の先生とかは年がら年中忙しそうにしています。知り合いの大学の先生は「毎日本当に忙しい」と言っています。確かに学校の先生は時間と場所の拘束が顕著な仕事ですよね。ああいう職場環境ではどのようにして生活のリズムを作るのでしょうか?多分、ご苦労が多いことかと。むしろ楽なのかな?

皆がそうだ、ということはないでしょうが、生活のリズムについてじっくり考えたり、実際にそのリズムを作ることができるのは、ある程度歳がいってきて、職場でも家庭でも多少のゆとりを楽しめるようになってからではないでしょうか?

「家庭でも」と言ったのは、例えば赤ちゃんがいる場合には、赤ちゃんに振り回されるのが普通のリズムだと思いますので、子供がある歳になるまでは、親は生活のリズムを考えにくいのではないか、と思ってのことです。それでも、皆さん、それなりのリズムは作っていくのでしょうが。

さて、私自身のことを考えると、仕事の予定はかなり自分で管理できる立場にありますし、また子供も大きくなり「エンプティネスター」となりましたので、自分の生活は自分で支配できるようになりました。

生活のリズムを乱すものはなにもないわけです。ところが生活のリズムなるものを私が持っているとは思えないのです。なぜなら、私は怠惰だからです。
いや、自慢するわけではないですけどね、だらしがないのです。

仕事がメチャメチャ忙しい時期はあります。それはまったく構いません。夜遅くまで仕事を延長することも多々あります。なにしろ自分のことだけかまえばいい身分なので、いくらでも仕事はできます。

ところが、そういう時期が去って、「さあ、少し早起きして、ジョギングして、一日を爽やかに始めよう!」ということが可能になると、 就寝前に無駄にChicago P.D.のテレビを三話も四話も見てしまったり、その結果無意味に寝坊したりしてしまうのです。

リズムを確立するには、そのリズムに従う管理能力が必要なのでしょうが、その部分が欠けているようです、ワタシには。




今の時期は午後8時でもこの程度の暗さ


それでも、変なところで「リズム」はしっかり保っていたりします。これは仕事に関してなのですが、私は実に時間の無駄が多いのです。ですが、これは「だらしがない」のではなくて「リズム」なのです。

例えば、私は平均して週に三回、教会での集会をお世話します。茶菓の準備や、会場のセッティングとかの準備はもちろん自分でやります。毎回、やっていることですので、手順は身に付いています。もし5時からの集会であるならば、実際には4時30分に準備を始めても間に合うことでしょう。ですが、私はそれができないのです。私は3時半には準備を始めます。

当然準備そのものは4時過ぎには終わってしまいますから、それから一時間ほど、何か他のことをするか、ポケッとしているかのどちらかになります。仕事の能率という点から見ると、これはまさしく時間の「無駄」なのですが、私にとっては、これが大切なリズムなのです。

教会の礼拝や祈りの会は、やはり「心から」奉仕する機会です。私は十分前に会場へ登場して、さっと心のスイッチを入れて礼拝を始める、ということができません。相応の心の準備が必要になります。

これは洗礼式や結婚式でも同じことです。邦人のカップルの結婚式を年に何回か担当させていただいています。結婚式というのは、「セレモニー」としては簡単なものの部類に入ります。

しかも日本語。アイスランド語とはわけが違います。そんなに準備するものもないのですが、それでも一時間以上前に教会へ入りますし、何をするではなくとも、式に向かって心を集中していきます。これは大切なリズムであって、壊すことはできないのです。

牧師さんの中には、一日で三組も四組も挙式を担当する人がいます。実際、一時間おきに式を行うのです。私には無理ですね、そういうのは。多くて一日二回でしょう。午前と午後と。

人気ポップシンガーのパットゥル·オスカーという人がいます。人気があるので、よく結婚式で歌うことを依頼されるのだそうです。その彼もポリシーがあるようで、「一日二回以上は結婚式でのパフォーマンスは引き受けません。そして式終了後、少なくとも一時間はその場にいるように時間を確保しています。歌って即さようなら、というのは失礼ですよ、新郎新婦にもゲストにも」

私はパットゥル·オスカーさんのこの言葉にはかなり感激しました。この人、本当にいい人で、自分の周囲にいる皆が気持ち良〜く感じるように気を配っています。ワタシも見習わなくては。

まあ、ワタシが自己弁明的に思うことはですねえ、能率だけでは良い仕事はできないということですよ。多少の無駄を産むようなリズムが、良い仕事に繋がることもあると考えます。

夜更かしのテレビと、それに続く寝坊はそこには含まれませんが...
皆さんも、良いリズムを保って、この一週間を過ごされますよう。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
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