ほぼ本当でしょう(笑)。実際、演者が楽しそうだと観ている方も
楽しい気分になってくることは多い。間違いない。
間違いない・・・と言うか、一理ある・・・くらいが持論では
ありますが。
自分の考えは「自分の楽しみよりお客さんを優先する」だったので、
「自分が楽しければそれでいい」と言うライブはあまり行ったことが
ない。
まず一番初めは「自分のやりたい理想を描く」
この時点では完全に自分本位。
で、努力して練習してメンバーの協力も得て、それがどこまで
可能かシミュレーションしてみる。
やや誤差が出てくる(笑)。
こっからのすり合わせが難しいんだ。と言うかセンスを問われる。
大体、「このレベルくらい楽勝だろう」と思っても意外と出来ない。
どうもサマになっていないってことも多い。
ここ大事ですよ。ここで勘違いを起こすから「観ている側からすると
痛いステージ」になるんだ。
で、いい線いってる、と言うかこの辺が限界だろうと言うところまで
持ってきて、お客さん側目線で考える。
「この曲はウケないかもな」「この曲はちょっと飽きたけど盛り上がる
曲だしやらないとね」「この曲はがんばって練習したけど、長いので
今回は外そう」
などなど。
決して、「さっきアレンジが完成した新曲でまだ演奏があやしいけど、
自分たちが楽しいからやろう」とはならない。
リスクを冒してまでその曲をやる大きな理由があれば考えるけど、
そうでないなら自分たちの感情のみで選曲はしない。
最低限、49%は自分たち優先で51%はお客さん優先で初めて
成り立つと思っている。逆転はしない。
もちろん、これは最低に自分たちとお客さん側の好みが別れて
いた場合で、まあ、そんなに一致しないとも思わないけどね。
まあ、でもまず初めに「自分のやりたい理想を描く」から
スタートしているわけで、ステージに上がる際に、そこまで
かけ離れているわけもないから、本当は楽しめているんだよ。
同時に緊張感と責任感でプレッシャーとの戦いにもなってるけどさ。
気を付けなければいけないことは、「今日は自分が楽しかったので
お客さんも楽しんだだろう。めでたしめでたし」って、「自分が楽しめ
なければお客さんも楽しめない」と言う言葉を免罪符にしてしまうこと。
「自分は楽しかったけど、果たしてお客さんはどうだったかな?」くらいは
終わったあとに考えると、成長すると思う。
まあ、そうは言っても、これは一つの考え方に過ぎない。
世の中には自分の好き勝手をやっても人気のあるアーティストさんも
いる。もちろんその人なりにお客さんのことも考えてはいるだろうけども。
だから「自分はあくまで自分の理想ややりたいことに焦点を絞る、周りの
ことはあまり考えない」と言うならそれでいいんだ。
それも一つのやり方。そういうわがままなミュージシャンを好きな人も
たくさんいるし、要は魅力があればなんだっていいんだけどさ。
ただ、例の言葉を、自分の甘えのために免罪符に使うことはどうかなと
言うことね。