肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ゴッドファーザーPARTⅡ』、観ました。

2007-06-02 18:57:34 | 映画(か行)





監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ、ロバート・デュバル、ダイアン・キートン、ロバート・デ・ニーロ、ジョン・カザール

 『ゴッドファーザーPARTⅡ』、観ました。
1958年、ファミリーを引き継いだマイケルは、ユダヤ人ファミリーとの反目を始め、
様々な問題を抱えていた。彼は亡き父ヴィトーの若き日に思いをはせる。ヴィトーは
幼い頃に父を殺され、移民団にまぎれてアメリカに渡った。イタリア人地区で腕と
頭を使って伸し上がり、ゴッドファーザーの地位を獲得したヴィトー。だが、マイケルの
時代は組織も大企業化し、やがて犯罪調査委員会の公聴会で告発される‥‥。
 “完成度の高さ”では前作を凌駕する。まさに“映画史上最強の続編”といって
差し支えない、フランシス・フォード・コッポラ渾身の一作だ。映画は、“その後”の
コルレオーネ・ファミリー、抵抗勢力に立ち向かいながらも、更なる事業の拡大を
図るマイケルと…、“若き日”のヴィトー・コルレオーネが貧困から頂点に駆け上って
いくまでを、“その両側”から描いている。では、何故、そんな複雑な構成に‥‥、
一見、前作でゴッドファーザーのヴィトーが死んでしまったことで、“苦し紛れの
構成”のように思われるが、実はこれには列記とした理由がある。幼年期に両親を
殺され、故郷シチリアから追われるようにアメリカに渡ったヴィトー・コルレオーネ。
まだ少年だった彼は、辿り付いた船の甲板から見る“自由の女神(=アメリカ)”に
自分の未来を託す。一方、現在は父の跡を継ぎ、巨大権力を手に入れた
マイケルだが、“新しい時代の波”にファミリーの変革を余儀なくされ、周囲との
ギャップの中で“自分だけ孤立”していく。しかし、よく考えてみれば、それは
そのまま“アメリカの歴史”でもあることに気付かされる。今世紀初頭、押し寄せる
移民たちにとってアメリカは“希望の象徴”だった。彼らは、そこに自身の未来を
重ね、その国の明日を信じた。その後、アメリカは恐慌(=貧困)と戦争(=暴力)の
中から驚異的な発展を遂げていく。まるでヴィトー・コルレオーネの半生そのままに…。
そして、“現在のアメリカ”の方に目を転じれば、軍事よりも“政治や経済”の方を
重点に…、もはやその活動の拠点はアメリカ国内だけに留まらず、莫大な利益を
求めて国外へと進出していく。更に続ければ、“金こそがモノを言う時代”、豊富な
資金源をバックに現在貧困にある国の政府を味方に取り付けるが、同時に
相手(の国民)からは大きな反感を買ってしまう。様々な事情が複雑に絡み合い、
決断を簡単に下せなくなったマイケルの苦悩がファミリーを取り巻く環境の変化を
浮き彫りにすると共に、“時代の移り変わり”を切実に印象付けるのだ。
 改めて、『ゴッドファーザー』とは“家族のドラマ”だ。それは前作のレビューにも
書いた。中でも《信頼》という言葉が、重要なファクターとなっているのは間違いない。
その、“信頼”が何らかの形で失われたとき、“疑い”は“裏切り”へと変わっていく。
では、どうしてヴィトーは成功を…、何故マイケルは失敗を…、マイケルは言った、
「それは(ファミリーを取り巻く)“時代の違い”だ」と。確かに‥‥、でも、ボクは
それだけとは思えない。ヴィトーは自らが一人一人に救いの手を差し伸べることで
“それぞれの信頼”を勝ち取っていった。いや、それ以上に、彼がその家族に向かう
“優しさ”に…、その3人の子供たち注ぐ“愛情の深さ”に、思わずボクは涙溢れた。
かつて10年前に観たときは、何ともなかったシーンの筈なのに、今“家族”を持ち、
初めて“人の親”になって知る、その“家族の温かさ”とは何と美しく、感動的に
見えてしまう(涙)。が、どうだろう。現在のマイケルはと言えば、その優しさも、
その温かさも感じない。同じように、ファミリーの将来を按じ、家族を想ってはいるが、
ヴィトーのそれとは微妙に違う。他人(弱者)に対する“救い”はおろか、僅かの
ミスさえ決して許さず、裏切り者は抹殺する。そして、それは例外なく、マイケルの
元を去った妻の帰宅さえ認めず…、たった一度の過ちを犯した兄フレドさえも‥‥。
“家族の結束”とは、力と制裁をもって抑えつけるものではなく、“過ちを許す”
ことで繋ぎ止め、“双方の信頼”の上で初めて成り立つものなのに。父ヴィトーは、
“家族のため”に強くなろうとした。しかし、マイケルは“ファミリーを守るため”に
父の強さを真似ていたに過ぎない。それは、本当の強さじゃない。むしろ、彼の
非情は“弱さの証明”でもある。「家族を大事にしない奴は、男じゃない」、今にして
再び『PARTⅠ』の冒頭でヴィトー・コルレオーネの言った言葉が脳裏に蘇ってくる。
ラストシーンは、公園のベンチに独り佇(たたず)むマイケルの、その横顔に
“孤独”が滲む。そして、思い出されるのは、家族と過ごした輝ける時間(とき)。
しかし、吹き抜ける風のように、“過ぎ去った家族の幸せ”は二度と再び戻ることは
ないのだ。



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