肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『告白』、観ました。

2011-09-19 07:47:23 | 映画(か行)

出演: 松たか子, 岡田将生, 木村佳乃
監督: 中島哲也
原作: 湊かなえ

 『告白』、観ました。
ある中学校、雑然とした教室。終業式のホームルーム。1年B組、37人の
13歳。教壇に立つ担任・森口悠子が語りだす。「私の娘が死にました。
警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではありません。
このクラスの生徒に殺されたのです」一瞬、静寂に包まれる教室。物語は
「告白」から始まる‥‥。
 この映画の構造は、ちょっと変わってる。ある子供の事故死を背景に、
多人数の視点から角度を変え、その事件を“立体的”に描いた愛憎の
復讐劇だ。まず、そこで映画の肝となってくるのは、様々な人物の
異なった視点から事件を描きつつも、それぞれはそれぞれの“視野の
狭さ”から事件の全体像が見えていない。(いや、見ようとしない
といった方が正しいかも)いずれにせよ、共通するのは、《自分が
こんなツラい目にあうのは、他の誰かが悪い》。子を捨てた親のせい…、
先生がしっかりしていないからいけない…、悪い友達にそそのかされた…、
それぞれが我が身に降りかかる責任を転換し、一様に他の“スケープ
ゴート”を探すのだ。さらに、観ていてゾッとしたのは、「コイツは
悪いことしたのだから、罰を受けて当然だ」という歪んだ論理が蔓延し、
クラス全体がおぞましいイジメへと暴走していく点だ。いや、そもそも
この映画の中の世界はどこか狂っている。何か大切なものが欠落している。
仮にも年上の教師に対して、尊敬の欠片さえみせない生徒らの態度しかり、
熱血漢の新任教師は自分の理想を追い求めるばかりで、その脇で生徒の
気持ちは置き去りのまま。また、我が子の悪事を叱るどころか、逆に
擁護している母親の姿にも違和感を感じずにはいられない。ここには
学校や家庭や社会…、本来あるべきはずの“パワーバランス”ってやつが
滅茶苦茶だ。人間同士のコミュニケーションは崩壊し、個々が“てめえの
都合”だけを振りかざす。勿論、ヒロインの教師には同情する。親として、
これ以上の地獄はあるまい。オイラからみても、今日(こんにち)の
法は万人にとって平等ではない。しかし、だからといって、各々が各々の
論理で捻じ曲げて解釈したり、悪法だからの理由付けで黙殺すれば、
社会は社会でなくなってしまう。ひとつ言えることは、法律や厳罰によって
社会の安全が保たれているのではなく、“秩序”や“調和”の中で暮らす
“人々の信頼関係”がこの世界を作ってるってこと。人として…、
まず最初に従うべきは、法律や規則である以前に、自らの“良心”であり、
日常に当たり前に存在する“モラル”なのだ。ヒロインの教師がとった
復讐が正当だったか、不当だったのか、それはこの際あまり関係ない。
問題の論点はそこではない。それでは何時、何処で彼らは道を間違えたのか、
今一度、事故の以前にまで戻って考えてみよう。その時すでに、しかし、
確実にその“前兆”はあったのだ。



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