肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『グエムル 漢江の怪物』、観ました。

2007-02-04 20:52:17 | 映画(か行)


 『グエムル 漢江の怪物』、観ました。
ソウルのど真ん中を流れる雄大な河・漢江に、ある日突然、正体不明の巨大
怪物グエムルが出現。次々と人間を襲うグエムルの魔の手は河川敷で売店を
営むパク一家にも及び、中学生の娘ヒョンソがさらわれる。だが数日後、父親
カンドゥの携帯電話にヒョンソからの着信が。一家はヒョンソを救うため漢江へと
向かう‥‥。
 この映画が“06年度キネ旬年間3位”というのは、ちょっとホメ過ぎだろう、
ってカンジはする(笑)。しかし、それに納得出来ずに、改めてYAHOOユーザーの
映画採点を覗いてみると‥‥、えッ??、5点満点中で2.6点??、おいおい、いくら
何でもそれは“見る目”が無いってもんじゃないのかい。多分、その輩さん達は、
この怪獣映画を“さもハリウッド的なパニックエンターテイメント”としての
一面でしか観ようしないで、その裏に潜む“見えない恐怖”に気付いていない
のでは??、圧倒的な恐怖を前にして、慄(おのの)く人間の無力さと、その心の
弱さみたいなもの。一方、その構図の背景として、現在の韓国が位置する
“微妙な立場”について。思うに、コイツ(この映画)は、一介の怪獣映画とは
違う。むしろ、ここでの「怪物」とは、誰の目にも明らかな“見える恐怖”として、
韓国という国の日常に深く入り込んだ“(目に)見えない恐怖”をあぶりだした
だけに過ぎない。そうさ、怪物は、オレ達の“心の中”にいる。差別とか、偏見
とか、劣等意識とか…。そして多分、それは普段から漢江の大きな流れに潜む
怪物のように…、ある日突然、醜く巨大な姿を現し、人間どもを喰い殺すのだ。
 さて、本作をより深く知る上で、今一度、ポン・ジュノ監督の前作『殺人の
追憶』
を思い出し、両者を見比べてみる。すると、しだいに浮かび上がってくる
一つの共通点、、韓国という国の背後に見え隠れする“大きな影”・・・、それは
《アメリカ》。例えば、前作『殺人の追憶』では、アメリカの圧倒的な国力を
前にして、自国の非力さを痛感し、主人公の滲む悔しさが見てとれた。一方、
この『グエムル』では、アメリカという巨大権力よって流されたニセの情報から、
韓国全体が揺れ動き、右往左往する国民の姿が印象的に描かれている。
又、物語終盤、もう韓国政府だけには任せておけないとばかりに、アメリカが
怪物退治に乗り出すと、韓国の民意を無視した形で“薬剤兵器”を投入する。
まさに、このあたりは他国の内政に干渉し、強引な手法で騒ぎを収拾しよう
とする“現在のアメリカの姿”に他ならない。もしかしたら、巨大怪物グエムル
によって(すぐに喰い殺されず)捕らえられ、暗く狭い排水路に閉じ込められた
少女は“韓国そのもの”‥‥。抑圧され、恐怖に恐れおののき、やっと勇気を
持って怪物の背中から飛び上がろうとした瞬間、再び背後から捕らえられ、
“元の位置”に戻されるのだ。

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