肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『マリー・アントワネット』、観ました。

2007-08-16 20:38:01 | 映画(ま行)





監督:ソフィア・コッポラ
出演:キルスティン・ダンスト, ジェイソン・シュワルツマン

 『マリー・アントワネット』、観ました。
オーストリア・ハプスブルグ家の末娘マリー・アントワネットは14歳で、フランスの
ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)と結婚。格式を重んじるヴェルサイユ宮殿での
生活に始めは戸惑うものの、盛大な晩餐会やファッションリーダーとして贅沢三昧の
日々を送っていた。4年後、ルイ15世は急逝し、若いふたりは王位を継承する‥‥。
 ソフィア・コッポラ監督作品3作目。一言で言えば“もうひとつの『ロスト・イン・
トランスレーション』
”だと思った。さて、その理由は追い追い書くとして、本作が
これまでにマリー・アントワネットを扱った映画とは明らかに違う点がひとつ。それは
“歴史的事実の残酷さ”や、“マリー・アントワネットの罪”に関しては一先ず(ひとまず)
脇に置いといて、物語は一度も“国民の側”の立つことなく、“宮殿の内側から見た
マリー・アントワネットとその立場”を中心に展開される。さらにその上で、ポップな
映像と軽快な音楽に乗せて描き出される彼女のイメージは、“歴史上のマリー・
アントワネット像”とは程遠く、“どこにでも居る多感な乙女”のそれのよう。“夫”は
居るのに愛されない、“娯楽”はあるのに楽しめない、どんな“宝石”で着飾ってみても
心だけは満たされない。そして、独りになった時、ふと例えようもない“やるせなさ”に
包まれる‥‥。いや、考えてみれば、ソフィア・コッポラの前作『ロスト・イン・
トランスレーション』
は、“夫の愛”に確信を持てない若妻が、異国の地“トーキョー”で
ひとり取り残されたとき、“自分自身の存在価値”を疑い出すという内容だった。
そう、この2作品で共通して浮かび上がってくるものは、少女がまだ触れたことのない
異文化へ入っていった時に見舞われる“孤独”とか“不安”みたいなもの‥‥。その心の
隙間を埋めるために、若妻のヒロインは“別の愛”に走り、片や次期王妃のヒロインは
“お洒落や贅沢の浪費”に走っただけのこと。いわば、この2作品は、タイプの違う
姉妹みたなもの。“ジミな姉”が『ロスト・イン・トランスレーション』だとしたら、
“ハデな妹”が本作『マリー・アントワネット』かもしれない。ただ、どうなんだろう。
その《姉》が“等身大のヒロイン”として観る側の共感を得たのに対して、今回の《妹》は
庶民の感覚からあまりに掛け離れ過ぎてしまって、結果として観る側がヒロインの
内面にまで入って行き辛い状況を作ってしまったのではないか。それにしても、ひとつ
ボクが解せなかったのは、映画終盤、何故マリー・アントワネットは頑なに宮殿から
去ることを拒み、夫と一緒に残ると言い出したのか…、自身への罪の意識?、それとも
夫(家族)への愛?、それまでの展開からしてあまりに唐突過ぎるように思えたのだが。



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