肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『マネーボール』、観ました。

2012-03-31 17:31:31 | 映画(ま行)

監督:ベネット・ミラー
出演:ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、ロビン・ライト、フィリップ・シーモア・ホフマン

 『マネーボール』、観ました。
メジャーリーガーだったビリー・ビーンは、引退後オークランド・アスレチックスの
ゼネラル・マネージャーとなる。しかし、財政が苦しいアスレチックスでは、
せっかく育てた有望選手を、強豪球団に引き抜かれるという事態が続いていた。
チームの立て直しを図るビリーは、統計データを使って選手の将来的価値を
予測するという「マネーボール理論」を導入。イェール大卒のピーター・ブランドと
共に、チームの改革を進めていく。
 一括りに“スポーツ映画”といっても、昨今その様相は徐々に変わりつつある
ようだ。一昔前は『ロッキー』に代表されるように、“主人公自らが競技者”となって
活躍する、いわゆる“スポ根もの”ばかりが幅を利 かせていた。ところが、近年の
『ザ・エージェント』から『ミリオンダラー・ベイビー』、そして本作への流れをみると、
勝負の表舞台にいた主人公は“裏方”へと移り、“フィールドの外”から選手や
チームをバックアップするスタイルに主流が移ってきた。つまり、スポーツ界を
舞台にした“人間ドラマ”の方に重きを置くようになってきたといえる。
この『マネーボール』をみても、これが実話であるとことを十分理解した上で、
(試合シーンでの)過剰な演出を避け、“人物の内面描写”の方に力を注いだ
感じだ。そういう意味で、見応えのあるスポーツ映画に仕上がっており、近年の
スポーツ映画を象徴する作品だろう。
 さて、物語の大筋は、世間から敗者の烙印を押されるも奮い立ち、意識革命から
カムバックを目指すという、至って何てことないスポーツのサクセスストーリーだ。
しかし、それは“スポーツ映画”としての(表向きの)側面でしかない。その内に潜む
“人間ドラマ”は緻密に計算されている。映画における主人公ビリー・ビーンの
立ち位置は二つある――、“球団のGM”としての立ち位置と、離れて暮らす
娘にとっての、“父親”としての立ち位置だ。彼は、決して完全無欠の“強者”では
ない。むしろ、若き頃には気負いが空回りして才能を発揮出来ず、GMとなった現在も
自軍の試合のラジオ中継さえ観戦出来ないことをみても、気が小さくて弱い方の
人間だろう。そんな彼が、あえて冷酷になって選手のクビを切り、敗戦の責任と
周囲の雑音に耐え、“GMとしての重圧”と戦っていくのだ。一方、娘の心配に対して、
努めて平常心で接する“父としての姿”も痛々しい。つまり、この映画のみどころは、
エキサイティングな試合シーンではなく、周囲に悟られず、GMとしての“信念”を貫く
“主人公の、内なる戦い”なのだ。断っておくが、これは“感動の押し売り”みたいに、
オイオイ泣かせる映画じゃない。その夢の先に終わりはなく、未来へと続いていく――、
主人公の、胸に秘めた“強き信念”がひしひしと伝わる作品だ。


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