
先週の今日
出発したんだ。
あれから一週間か。
朝8時の飛行機で久しぶりに北海道へ。
私個人としては
12年ぶりであった。
個人としては何回か帰っている。
今回は
両親の意向が強く
私の行きたいところははずされた。
初日は
父の元いた会社の人たちとの昼食会とそのあと
定山渓の温泉へ。
この昼食会では
私にとっても懐かしい人たちとの対面であった。
父がいた会社は北海道の主要都市に
支店があり
父含め皆転勤族であった。
今は皆引退したり嘱託であったりと
悠々自適の生活をしている。
以前
思い出を紐解くと題して
7歳からの思い出(札幌時代)を書いていたが
8歳の函館編から中断している。
その函館時代の
会社の人や苫小牧の人が集まった。
私の小学生時代を知っている方たちである。
その函館時代の人が
なんと
私といっしょに撮った写真を持ってきてくれた。
それは
私も持っている別バージョンのものだった。
あの冬の港で撮った写真が何枚も存在したんだと驚いた。
わざわざ持ってきてくれたこと
私しか写っていないのも存在し、それが保存されていたことに感謝する。
小学生の私と
会社の若い人ともう一人事務員の女性がいたっけ。
函館の会社は
港の近くにあり
会社裏は港に通じる道路があった。
雪の日に
長靴を履いた小学生の私とその若い会社員と事務員がおどけて
シェーなんてやっている。
手前味噌ながら
このころの私は可愛かった、純真だったなあと思った。
今にして思うと
私はダシだったのではないか、と。
そこで聴いてみた。
「もしかして私、ダシだった?この女性のこと好きだったんじゃないの?」
「そうなんだ。フラレちゃったよ。」と言っていた。
子供をダシにして
いっしょに騒ぐ、楽しむってあるよね。
あの頃は全くそんなこともわからないで
皆とてもいい人たちだったので
ホントに楽しかった。
若い時代だったんだね、皆さん。
青春時代がこうして確実に存在したんだね。
それから
苫小牧時代の会社の人たち。
私のうちはアパートだった。
別棟のアパートに会社の寮があった。
そこで
私の母が賄いをしたり掃除をしたり
私もよく手伝いに借り出された。
あの頃も楽しい時代だった。
会社の寮があるということで
しょっちゅう、他の会社の人たちも訪ねてくる。
うちにもよく皆来ていた。
お正月などはうちのアパートは
満杯になるくらいに集まった。
そして私の楽しみの1つはお年玉だった。
皆、必ず持ってきてくれる。
子供は得だね。
その寮にいた人のひとり
いつも目を合わさない人という印象があった。
会社から帰ると
大声で
「○○町のみなさ~ん!ただいま、帰りました!」とふざけて
叫んでいたのを思い出す。
それを言ってみると
大いに照れていた。
もう大人も大人、初老の人。
若い頃の思い出を私の口から語られるとは思ってもいなかったろう。
そんな思い出話をしたあとに
日帰り組の人たちとの別れ。
あの写真を持ってきてくれた人も
温泉には参加できず。
そして
その方は泣いていた。
よほど懐かしかったんだね。
ありがとう。
今後も
父たちとゴルフに行ったり
旅行に行ったりと
してくれるようだ。
父は
杖をついてでも、こういう会合には
せっせと参加する人である。
皆が父をフォローしてくれる。
その夜
定山渓温泉の旅館に。
父たちはマージャンをし始めた。
これが楽しみのようである。
会社の寮でもよくやっていたっけ。
私と母と
もうひとり奥さん(この方も小学生のときから知っている人。)
とで
昔のお話を。
母は思い出しながら一生懸命話していた。
昔のことを思い出し話すことはリハビリにもなるね。
料理はお腹いっぱいになるほど食べる。
上の写真はその一部。
出発したんだ。
あれから一週間か。
朝8時の飛行機で久しぶりに北海道へ。
私個人としては
12年ぶりであった。
個人としては何回か帰っている。
今回は
両親の意向が強く
私の行きたいところははずされた。
初日は
父の元いた会社の人たちとの昼食会とそのあと
定山渓の温泉へ。
この昼食会では
私にとっても懐かしい人たちとの対面であった。
父がいた会社は北海道の主要都市に
支店があり
父含め皆転勤族であった。
今は皆引退したり嘱託であったりと
悠々自適の生活をしている。
以前
思い出を紐解くと題して
7歳からの思い出(札幌時代)を書いていたが
8歳の函館編から中断している。
その函館時代の
会社の人や苫小牧の人が集まった。
私の小学生時代を知っている方たちである。
その函館時代の人が
なんと
私といっしょに撮った写真を持ってきてくれた。
それは
私も持っている別バージョンのものだった。
あの冬の港で撮った写真が何枚も存在したんだと驚いた。
わざわざ持ってきてくれたこと
私しか写っていないのも存在し、それが保存されていたことに感謝する。
小学生の私と
会社の若い人ともう一人事務員の女性がいたっけ。
函館の会社は
港の近くにあり
会社裏は港に通じる道路があった。
雪の日に
長靴を履いた小学生の私とその若い会社員と事務員がおどけて
シェーなんてやっている。
手前味噌ながら
このころの私は可愛かった、純真だったなあと思った。
今にして思うと
私はダシだったのではないか、と。
そこで聴いてみた。
「もしかして私、ダシだった?この女性のこと好きだったんじゃないの?」
「そうなんだ。フラレちゃったよ。」と言っていた。
子供をダシにして
いっしょに騒ぐ、楽しむってあるよね。
あの頃は全くそんなこともわからないで
皆とてもいい人たちだったので
ホントに楽しかった。
若い時代だったんだね、皆さん。
青春時代がこうして確実に存在したんだね。
それから
苫小牧時代の会社の人たち。
私のうちはアパートだった。
別棟のアパートに会社の寮があった。
そこで
私の母が賄いをしたり掃除をしたり
私もよく手伝いに借り出された。
あの頃も楽しい時代だった。
会社の寮があるということで
しょっちゅう、他の会社の人たちも訪ねてくる。
うちにもよく皆来ていた。
お正月などはうちのアパートは
満杯になるくらいに集まった。
そして私の楽しみの1つはお年玉だった。
皆、必ず持ってきてくれる。
子供は得だね。
その寮にいた人のひとり
いつも目を合わさない人という印象があった。
会社から帰ると
大声で
「○○町のみなさ~ん!ただいま、帰りました!」とふざけて
叫んでいたのを思い出す。
それを言ってみると
大いに照れていた。
もう大人も大人、初老の人。
若い頃の思い出を私の口から語られるとは思ってもいなかったろう。
そんな思い出話をしたあとに
日帰り組の人たちとの別れ。
あの写真を持ってきてくれた人も
温泉には参加できず。
そして
その方は泣いていた。
よほど懐かしかったんだね。
ありがとう。
今後も
父たちとゴルフに行ったり
旅行に行ったりと
してくれるようだ。
父は
杖をついてでも、こういう会合には
せっせと参加する人である。
皆が父をフォローしてくれる。
その夜
定山渓温泉の旅館に。
父たちはマージャンをし始めた。
これが楽しみのようである。
会社の寮でもよくやっていたっけ。
私と母と
もうひとり奥さん(この方も小学生のときから知っている人。)
とで
昔のお話を。
母は思い出しながら一生懸命話していた。
昔のことを思い出し話すことはリハビリにもなるね。
料理はお腹いっぱいになるほど食べる。
上の写真はその一部。
羨ましいくらい。
その時代に過ごしていたご両親のお人柄の賜物でもあるのですね。
今は人との交流がどんどん希薄になっていくなか、
過去を共に過ごした仲間と語り合える、なんか心暖まるお話です。
今日はちらっと見せていただいただけですが、お気に入りに登録させていただきます。またゆっくりおじゃまするつもりです。
悲しい出来事もあったのですが(苫小牧時代においての子犬の件。でもそれは触れず仕舞いに。会社の人たちも悲しんでいたこと)
今は楽しい思い出を語ったほうが幸せな気持ちになりますものね。
父の人徳、という言葉があの会合で出てきました。
それを手放しに首肯できる自分じゃありませんが、会社においてはきっとそうだったのでしょう。
まだまだ旅の話は続きます。
またお付き合いくださいませ。
ここを訪れてくださいましてありがとうございます。
お気に入りにも入れてくださりありがたい。
音楽もネコも文学も
これからも語っていきたいと思います。
今は旅行記が中心の日々ですが、
その合間にもそれらについて書いていきます。
どうぞ
これからもよろしくお願いします。
昨日は早くに寝たためにテレビ観ませんでした。
夫に言ったら、何の番組だったのだろうと言っていました。
カップスは実力派と言われていましたね。
私の好きなのは
銀色のグラス。
あの加部さんのベースさばきが凄い!
目立たないはずのベースが
よく音を聴いてみると
リードギター並みの音さばきなんですよね。
ちょっと
動画で探してみます。
ところが、昨日は夜行バスで横浜まで行って、先月から神奈川に長期出張している夫と落ち合い、鎌倉から江の島までうろうろしてきました。
で、また横浜から夜行バスに乗って大阪に帰ってきた、というわけです。
なぜそんなきつい旅をしたかというと、
休みにこっちに帰る用事(仕事上の)が無いので、遊びに来るか、ついでに血圧の薬も持ってきてほしい、と夫が言いますので、
それならと、茶々を家に残して出掛けたのです。
鎌倉は鶴岡八幡宮に行っただけです。
江の島はサーファーが蜘蛛の子を散らしたように波に浮かんで、沖にはヨットが群がってました。
横浜では市内循環観光バス〈あかいくつ号〉に乗ってみました。
せっかくだからと、中華街でカップスのメンバーがやってるという店を探したのですが、なくなってたみたいです。
ケーブルテレビの、ゴールデン・カップス ワンモアタイム、というドキュメンタリー番組で、見たんですけど。
茶々のことは、離れて住んでる息子に見にきてくれるように頼んでおきましたので。茶々に怪しい奴あつかいされたそうですが。
コメント遅くなりました。夜中です。
「茶々」という名前は、飼っているネコちゃんとか犬ちゃんとかにつけたものでしょうか。
動物がいると、なかなか留守にできないですよね。私もこの通り、ネコ中心の生活ですので、
旅行に行くことが激減しました。今回は久しぶりの旅行です。
横浜中華街は2回ほど行ったことがあります。
そこで本場の中華を食べる、ということが楽しみでしたが、何の情報もなく行ったので、おいしかったかどうか全然記憶にありません。
横浜元町くらいしか記憶にないくらい、縁のない所です。横浜って、昔はとてもカッコイイというイメージでしたよね。
うちは猫しか飼ったことないんですが、茶々は二代目の雌猫です。
一代目も雌でこげ茶のトラでした。20年ほど一緒にくらしましたが、最後は老衰で寝たきりになって、見ててもかわいそうな最後でした。
もう猫は飼わないと言ってたのですが、2年前に息子が知り合いから貰うと決めたのです。
携帯の画像が可愛く撮ってありまして、私も思わずカワイイって言っちゃいましたけどね。
その息子、この夏結婚して、茶々を置いて出ていったと、いうわけです。
うちは一匹ずつしか飼ったことないですが、事情が許せば何匹でも飼いたいところです。
最近、友人と電車で奈良へも行ったりしたのですが、たまに京都へも行くことあります。
近いうちには、久しぶりにバイクで琵琶湖かどこかへ行くつもりにしているのですが、
そんなこともこちらに書かせていただいてよろしいでしょうか。
ネコちゃんだったのですね。
うちと同じです。うちにも茶トラ、黒トラいますよ。
ここしばらく、カエルについてのブログでした。ちょっとへこんでおります。
コメントは新しい記事に書いてくださって結構です。
どこに書いても、ブログ左の案内に表示されるので、どこでもOKです。
私のは一貫していなくて、好きなもの、感動したものを中心に書いています。
音楽のときもあれば、ネコ、カエルのときもあれば、はやぶさのときもあり。
日記も兼ねているので、本当はもっと毎日書くべきですが、たまに開いてしまいます。
どうぞ、どこにでも書いてください。