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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

元気のない子猫。

2006年10月20日 12時22分24秒 | ネコ
最初に捕まえたネコは
簡単につかまえられるほど
動作が鈍かった。
鳴き声も立てない。

2匹目に捕まえたネコは
簡単には捕まえられなかった。
動作もすばしこい。
そしてようやく捕まえた時は
ギャーとかミャーとか鳴いたので
扱いづらかった。


しかし、この差。
これが生死の分かれ目かもしれない。

1のネコはおとなしくて
いいなあと思ったら
ダメだ。

元気がないということだ。

寝ているときも
目を開けている。

子猫らしいぐっすり寝るという
動作ではない。

そしてシャンプーをしたときに
体型が違うのがわかった。

体毛で覆われているから
そんなに大きさとか
太り具合とか
変わらないと思ったが

痩せていた、1のネコ。
栄養が行き渡っていない。

下痢もしている。

今も
2のネコは
身体を触ってあげると
子猫特有の
コロコロ喉を鳴らして
喜んでいる。
ミャーミャー鳴き声もあるし、
ケージから這い出ようとする
動作もあるし
じゃれることもする。

しかし1のネコに
同じことをしてやっても
全く反応がない。

元気がない。

ノラというのは
このように自然淘汰される。

元気が無いネコは
親に見捨てられる。

親は元気なネコを
引き連れて育てていく。

病気になったネコや
元気のないネコは
置いていかれる。

もしかしたら
1のネコは
まもなくそういうふうに
見捨てられるかもしれない
存在か。

3匹目はなおすばしこかった。
あれを育てていくのだろう。

さあ、
1のネコを
様子見だ。

今、使い捨てカイロを入れて
身体を温めている。

トモロッシ君、
少しは覚悟しておいたほうが
いいかもしれない。

子猫シャンプー。

2006年10月20日 10時02分53秒 | ネコ
おはよう
今日のお天気はですが、
なるようです。
朝の陽射しがあるうちに

子猫の
シャンプー。

ノラの必ず持っているものは

ノミ

見た目は
なかなかわからないけれど
シャンプーすれば
すぐにわかる。

ノミの糞、ノミの血が
いっぱいとれるんだ。
だから
湯水も赤くなる。

やっぱり
赤くなった。

ノミもいるいる。
呼吸ができなくて
毛の外に出てくるものや
逆に
もぐって取れないものや

大粒のノミがいる、いる。

全てを駆除できない。
でもとりあえず
少しでも取っておかなければ
私も素手で触ることができない。

何しろ他にも
ネコがいるから
それらに
移ったら大変。

人間には移らない。
人間には体毛が
ネコよりないもの。

ノミには体毛が必要なんだ。
もぐれるほどの体毛。

根本的な駆除は
病院でやってもらう。

ノミを媒体とする病気を
治す注射など。

今日の分は
私が素手であれこれ
世話をするための駆除。

おとなしく
お湯につかって
気持ちよくて
排便もしたよ。

たくさん
古タオルを用意して
人間用のボディシャンプーで
洗って
少しは綺麗になったみたい。

おとなしいほうのネコは
その後
ぐったりしたので(昨日から動作は鈍い)
どうしたかと
思ったが
その後
起き上がった。


ネコ用のノミ取りシャンプーは
あるけれど、もう何年も
使っていないので古い。

人間用のシャンプーでも
OKだね。

身体を拭いてあげて
ケージに移し
陽の当たるところへ。

ミミもナナも
落ち着かない。

朝からご飯を食べていないんだ。
子猫たちは
食べたけれど。

でも最初だけ。
いつも新しいネコが
来るとそう。

シマトラが来たときも
落ち着かず
目つきもにらみ顔。

でも2、3日経ったら
ナナとシマトラは
ベッタリ。

ミミもシマトラも
仲良し。

もうわかっていますから。
ネコの心理、行動。

女の子は
避妊手術していても
母性とか
慈しむ心とか
備わっているようで

いつも子猫の世話を
してくれるのは
女の子。

シマトラもメス。
おそらく
一度、二度出産を経験していると
思うんだ。
子宮に何かたまっていたもの、
拾って検査した時。

そのシマトラが
子猫に興味津々で
いるので

病院から帰ったらご対面させたい。
一生懸命排便排尿の世話など
してくれるに違いない。

でも、
鼻炎が気になるなあ。

今は子猫
自分の身体を
倒れながらなめている。

子猫を拾う。

2006年10月20日 01時21分11秒 | ネコ
今日の夕方(日付は変わってしまったが)、
買い物に行く途中の駐車場に
3匹の子猫がいるのを
見かけた。

そのまま素通り
ダメだ、ダメだと
自分に言い聞かせて。

もう
これ以上
ネコに関わってはダメだと
強い気持ちを持って
通り過ぎる。

そして帰り
車道の真ん中で
その3匹が
固まってうずくまっていた。

遠くから車のライトが見える。

私はあわてて
自転車から降りて
追い払った。

3匹はまた駐車場の車の下に。

近づいてきた車も
その様子を見て徐行したが
気づくにはあまりに小さく
生き物に見えず、
何かの塊に見えたので
動いたときはびっくりしただろう。
危うく轢くところだったかもしれない。

というわけで
関わらないと思っていた私は
いったん
家に帰り、
タオルと紙袋と懐中電灯を
持って
同じ所に行ってみた。

するとまた
道路の真ん中に
固まっていて
車が立ち往生していた。

通りすがりのおじさんと私で
追い払う。

これでは今日のうちに
轢かれて死んでしまう
自ら車道の真ん中に
移動してきているもの。

車の下に
逃げ込んだ子猫を
捕まえることは
難しい。

手が届かない。

伸ばせば隣の車の下に
移動する。

とうとう1匹を捕まえた。
タオルに包み
袋に入れて、逃げないように
家に連れて帰る。
他のネコたちを
捕まえているうちに
せっかく捕まえたものを
逃がしてしまう可能性が
あるからだ。

そしてまた駐車場へ。
なかなか
なかなか
捕まらない。

2匹目捕獲。
また
家へ。
私も汗だくだ。

その騒動を遠くで
親がじっと見ていた。

親、やっぱりいるんだ。

もう一度行って
3匹目を捕まえようとしたら
姿を消していた。
もっと
安全な所に移動してくれれば
いいが。

いつもここは
ノラの行き交う場所だ。

うちの
タヌも、ハルも、ロッシも
その駐車場で
ウロウロしていたネコだった。

生まれてまだ
2週間くらいか。

病院用に使う
ケージに入れて
2階の奥の部屋へ。

手前の部屋は
ギャングネコたちが
いるから
ちょっとダメ。

奥は女の子が多いので
そこにした。

ミミも
ナナも
落ち着かないし、
目つきが
きつくなった。

シマトラだけが
興味を持って
ケージに
ゴロゴロ言いながら
近づく。

でも、シマトラは
鼻炎持ち。

シマトラは
うちの最後のネコ。

死に掛けてカラスに
狙われていたところに
偶然私が
居合わせ
とりあえず保護した。

痩せこけて
骨が浮いているようだった。

病院に連れていき
血液検査をしてもらったら

先生は
持ってもあと一週間ぐらいだ
と言っていた。

では、先生、
最期を看取りますので
それまで治療お願いします、
最善を尽くして
死んでいくならば
そのネコの運命だと
思うことにしますので
よろしく

と自分に言い聞かせるように
先生に伝えた。

しかし、シマトラ
用意したエサを
食べる、食べる。
食べ足りなくて
自分の便まで
食べていたようだ。

その食欲が
みるみるうちに
体力を回復させたんだ。

見事生還したよ。

私も確かに、初め
身体を見て

ああこのネコは
ダメかなあと
思っていた。

でも病院での
点滴と
食餌とで
本当に奇跡のように
元気になっていったんだ。

足もふらついていたのが
お見舞いに行ってみると
しっかりした足腰になり
目も輝くようになった。

入院させた時の痛々しさや
明日にでも死んでしまいそうな
ふらつきが無くなって

あ、もしかしたら
この子、生き延びるかも
と思ってしまった。

病院ではすごくなつっこくて
先生に身体ごと
すがっていた。

珍しいノラである。

人間に脅えがなく
助けてくれてありがとうと
言っているような
すがり方だった。

あれから3年。
シマトラは
元気になり
うちのネコたちにも
すぐになじみ、
なぜか全員
シマトラをいじめるものがいない。

いじめようとして
追いかける子もいるが
シマトラは
それが嬉しくて
追いかけっこのつもりでいる。

なるほど。
シマトラのその性格は
いいなあ。
脅える姿を見せれば
もう上下関係できてしまうもの。
誰の傍でも
くっついて寝てしまうのは
シマトラの特長。
いい性格だ。

そのシマトラ、
やはり、子猫たちにも
友愛の情を示していた。
ミミたち長老が
顔をしかめて、ご飯も食べないで
いるが
シマトラだけが
進んで子猫たちに近づいていく。


でも、ダメ。
シマトラ、
あなた鼻炎持ちでしょ。

あなたの鼻炎はハンパじゃない。
ノラ特有の鼻炎。
これ以上は悪くはならないが
治りもしない、持病。

ロッシもタヌもそう。
ノラ生活が長いと
どうしても鼻炎になり、
特に季節の変わり目は
鼻炎がひどくなる。
だから、
鼻炎がひどくなったら
季節が変わっているんだと
判断できる。

かと言って、
他のネコたちに
その鼻炎が移るわけでも
ないんだ。
その可能性はあっても
お薬もあるし、
免疫ができるのだろうか、
移ってはいかない。

しかし、
子猫は違う。
あまりに小さいし、
予防接種もまだしていないし、
抵抗力もない。

シマトラ、
残念だけれど
あなたのその鼻炎の顔で
近づけるわけにはいかない。

それに子猫もノラ。
どんな病気があるかわからない。
ノミもいる。

ケージに入ったままにしておく。
病院には日曜日に連れていくことになった。
先生はそれまで不在なので。

またも
先生にあきれられそう。
何回、先生をあきれさせたことか。
でもしょうがない。

今回だって、
私は自制心を
持ったじゃないか。
でも
あんなふうに
路上に固まって車も立ち往生
する場面に出会ったら
幾らなんでも
無視するわけにいかない。


今は
何とか里親を探そうと
思っている。

しかし
しかし
頭の中に
ポワーンと
浮かぶものがある。

名前だ。

以前、今度ネコが来たら
名前を
山下君
トモなどにしようかと
書いたことがある。

それが出てくるんだ。

情が移らないうちに
何とかしなくては。

私は
子猫のうちは
何とか里親が見つかるような
気がするんだ。

シマトラとか
ロッシとか
大きくなってしまったら
なかなか里親は見つからない。
だから
自分で最後まで
育てることにしている。

子猫よ
何とか里親がみつかれば
いいね。

そうそう、
子猫を連れてくるとき
路上のガマガエルも
1匹拾ってきた。
これもすぐに車に轢かれそうだった。
うちの庭の
ガマたちの巣に入れてやる。

今日は路上の生き物の
拾い物ばかりだ。

お金でも拾いたいよ。


友人の手術後のブログ再開。

2006年10月20日 00時26分41秒 | Weblog
手術した友人のブログが
更新されていた。
流動食になったと。

無事生還した、と。

よかった。
気になっていたんだ。
でも
自分から問い合わせることが
いいのかどうか
迷っていた。

内臓摘出手術だったから
術後の状態がわからず
とにかく
彼女自ら
ブログを書く日が
気持ちも安定した
日だろうと
判断していた。

よかった、よかった。
予後を
大事にしてほしい。
食事のありがたみを
感じながら
徐々に
体力をつけてほしい。


秋田の友人

2006年10月19日 08時39分50秒 | Weblog
おはよう。
今日は朝からです。
昨日の曇り空から一転、
陽射しが差し込んで
温度も少し上がりそう。
洗濯、洗濯。

ネコたちは
皆無事でした。
このごろ
毎日外出しているので
ネコたちも
ストレスが
たまっていそう。

でも暖かい
陽だまりの中
ゴロンゴロンして
喜んでいる。




昨日の秋田の
友人と
ランチを食べ
コーヒーを
飲み
お土産を持たせ
とても
いい時間を過ごして
帰っていった

中学時代の話とか
先月のクラス会の

現在の話と
笑いあいながら
過ごしてくれた

少ししゃべり過ぎたかな
といつも
後悔する

でもずいぶん笑ってくれたので
いいことにしよう

それにしても
やっぱり
彼女は
時間を無駄にしない
私のように
ぼんやりする
時間を愛さない
現実的な
しっかり地に足をつけた
生き方をしている

そういう姿が
私には
刺激的になるんで
嬉しい存在だ

いろんな人たちの
生き方を
見ていたい

ネコたちの喧嘩

2006年10月18日 23時21分59秒 | ネコ
コンバンワ。
昨日に引き続き
今日も12時前に
眠ることにした。
ちょっと疲れている。

今日外出して
戻ってきたら
大変なことになっていた。

猫たちが・・・・



2階のネコは
全部で9匹。

いじめをする
ネコがいるので

2つのグループに
分かれているんだ。

それで
奥の部屋に4匹
手前の部屋に5匹
となっているのだが

その仕切りは
うちでオリジナルで
作った仕切り

風が抜けるように
ドアを開けて
ラティスで作った柵を上下に
つけているんだ

それが開いていた・・・

そう、奥の部屋に
こっちのギャングネコが
侵入していったんだ

ノリ
トチ
カズ
ヒカル
シンノスケ
の5匹が

向こうの部屋に行き
ミミ
ナナ
クロポチ
シマトラ
の所へ


特に
ミミとナナが
いじめられる対象で

私が帰ってきたときに
ナナはブルブル震えていた

ああ
ショック

これまで不注意で
そういうことは
1,2回はあったが
いつも私がいる時だった

だから喧嘩になる寸前で
くいとめられたが

今日は留守中の
出来事だった

申し訳ない
ナナ
ミミ



シマトラは
全くどっちにいても
皆と仲良くなれるネコ
クロポチも
毎日こちらの部屋に来て
いじめられながらも
ずっといるネコ

しかし
ナナとミミは
弱い

だから
柵ごしに顔を
見合わせても
絶対いっしょにしては
いけないことになっている

ああああ

いやだなあ
こういうこと
自分の不注意と油断だね

いつも出かけるとき
点検していくけれど
柵のネジが緩んでいたんだね


だれも傷ついてはいなかったようだが
ショックが大きかったようだ

本当に
いじめっこなんだ
ノリとかトチは


今日の友人とのことは
明日にでも書こう

山羊座の彼女

2006年10月18日 09時07分28秒 | Weblog
おはよう。
今日は寒いですよ。
お天気も曇天模様。
いよいよ冬への入り口に立ってしまいそう。

昨夜は12時ごろに眠ったので
朝は6時前に目が覚める。

今日は出かけない予定でいたが
昨日秋田から
友人が来たので
お昼近くに会いに行く。

華道展を見に来たとのこと。
いつも大きな華道展があると
東京でも京都でも
出かけていくとのこと。

この間のクラス会での
彼女と話したことは

人生一度だけだから
周りに多少迷惑をかけてでも
やりたいことをやりたい

と言っていた

周りに迷惑という表現を
したけれど
つまり
周りの協力を得て
ということだったのだろう

この間の
赤西君のことを思い出す


その彼女は
中学時代の親友
ライバル的な存在かな

お互い影響し合っていたなあ

彼女は山羊座
私は牡羊座

性格は似ていない

山羊座の彼女は意志堅固
牡羊座の私は意志薄弱

なのに
惹かれあったり
ライバル意識を持ったり

大学時代の友人も山羊座
彼女も山羊座らしく
強い意志と責任感のある真面目な人だった

私にないものがあるから
私もかなり影響されたのだろうね

では
反対に彼女たちが
私に惹かれた理由は?

浮世離れをしている私のような
性格は
我慢ならない対象のはずだが

いやいや
だからこそ
羨ましかったのでは

飄々としていたわけでは
ないけれど
時折
大胆なところ
自由人のところ
豪放磊落なところに
きっと
惹かれてくれたのだと
思う(って自画自賛じゃないよ)

だから
遊ぶ時は別な人が多かったね
お互い

でもいざ何かを
相談したり
議論する時は
必ずいっしょだった

同じ考えの持たない
意見を互いに
求め合ったのかも

だから
手紙の量とかは
他の人たちより
多いんだ

Pちゃんの親友も
山羊座だね
そして
赤西君は蟹座
ここに天秤座がいれば
最高なんだ
天秤座といえば
生田斗真君

この90度同士の
星座の結びつきは
最高の友人の位置


私の場合は
天秤座というのは
異性が多かったかな

クラスの親しかった友人も
惹かれていきそうな異性も
職場での影響力のある上司も
天秤座だった

今日は
そういうわけで
向上心の強い
意志の強い
山羊座の彼女に
会ってきます


秋田から友人がやってきた。

2006年10月17日 23時26分19秒 | Weblog
今日はもう12時前に寝ることにした。
いつも1時過ぎに寝るので、
朝の起きるのがつらくて。

夜、外出先から帰ってくる途中
携帯が鳴った。
秋田の友人からだった。
この間のクラス会に
参加してくれた人。

今から2時間後にこちらに着くと
いう電話。
あわてましたよ。

なんで急に
こっちに来ちゃったの?

明日のお昼
いっしょに食べることになった。

クラス会では
何年ぶりかに会って
また
何年先に会えるかなんて
思っていたけれど

一ヶ月して
また会うことになったよ。

でも
この間は
行事、観光が充実していたぶん
話語りというのが
あまりなかったので
明日はゆっくり
お話しよう。
落ち着くお店で。

さあ、今日は
ネコたちよ、ごめんね。
シンノスケがすがって
きたけれど
今日は頭がクラクラするので
おやすみするよ。

今日は友人の手術日。

2006年10月17日 09時52分42秒 | Weblog
おはよう。
今日も朝からの満点日和。
風もなく穏やかな秋の朝だった。

今日は友人の手術日。
昨日は手術前の手記が多かった。
病室の様子や、
術前の毛剃りのことや
医師の様子など
細かに書いていた。
いよいよだね。

今日のこの
穏やかな天気を
見ると
いい兆候のように
思える。
頑張れ。

私のこのブログを
開設するのを
手伝ってくれた
友人。

年が違うにも
拘わらず

感性が似ていると
思う時点で

あなたは私の後継者
みたいな
ことを
言ったことがある私。

私の持っている
書籍を受け継いで
などと言ったことがある。

自分の持っている
内臓を摘出するのは
相当ショックだったろうけれど
そのことによって
根本の病気が快方に
向かうのであれば
それは仕方なしと
思うしかないのか。

もし自分が
その立場に立たされたら
自分もどれほど
悩むだろう。

なるべく
考えないでおこう。

もしそういう立場になったら
彼女に
どうその気持ちを
克服し決断したかを
聞くしかない。

ウーン
いいお天気だ。

今日は出かけることにした。
北海道の先生らに
この間送られてきた
ジャガイモの御礼のものを
送らなくちゃ。
こちらの名産を送ろう。

今日の占いで
「決断したことは
猪突猛進でいこう。」
とあった。

決断したこと?
何だろうと考えてみた。

そういえば
昨日、友人と会ってお話したとき
私は
別な仕事をやるかもしれないと
その仕事について
説いていた。

それか?

ならば今日から行かなければならない。
というわけで
ちょっと
変わった仕事をしてこようと思う。


今日も山P不足。
断然不足。
いつになったら
新CMのメイキングを
WSで取り上げてくれるのだろう。
それとも噂だけで
取り上げないのかな。

山P、全国的に再放送ラッシュ。

2006年10月17日 00時08分48秒 | 山P
コンバンワ。
もう12時近い時間。
寝ようという時間ですね。

今日会った友人が
一次審査通過合格。
来週がテストのようだ。
いろいろ聞いてくれるとのこと。
お互い
こういう情報は交換し合って
高めあえたらいい。




最近
Pちゃんの情報とかテレビでの
出演がなくて
寂しいなあ。
でも
今白虎隊の撮影に
頑張っているので
我慢。
厳しい現場で一生懸命
やっているんだなと
想像している。

ところでそんなファンの
寂しさを埋めてくれるように
全国的に
Pちゃんの過去のドラマの
再放送を流してくれている。

もちろん
そんな配慮の気持ちで
流しているわけではないと
思うが

再放送ラッシュがすごいね。

こっちのテレビ局でも
そう。

また
ドラゴン桜を再放送しているんだ。
ついこの間4月から5月にかけて
再放送したんだが。

その時は
DVDに録画しておいた。
リアルタイムでは
観ていたが録画まではしなかった。

あの時は
話の内容がおもしろそうだったから
観ようと思っていたんだ。
Pちゃん目当てではなかった。
もちろん同じ誕生日の子として
気にはしてはいたが
当然今の自分を想像できなかったね。

そしてちょうど1年前の10月15日。

野豚をプロデュースが始まった日。
あれから1年なんだね。

第1回目を観たとき、
山下君、壊れている、何この役は、
と正直思ったよ。

亀ちゃんとのそれまでの番組宣伝も
観たことがなく、
新番組が始まるから
ただ観ようと思っただけで。

亀ちゃんのことも全く知らなかった。
ごくせんというのを1回も
観たことがなかったから。

カトゥーンも全然知らなかったし。

修二と彰が
Pちゃんと亀ちゃんを一致させるのも
かなり後になってから。
ドラマを見ていながら
役名にも気づいていなかった。

今思うと
どうやって
自分が
彰にハマッていったのか
想像すると楽しい。


その野豚も関東あたりで
再放送しているらしい。
クロサギも
突然嵐のようにとかいうドラマも
どこかの地方で
再放送しているようだ。

すごいなあ。

過去のドラマで
私が観たことのないものは

その
突然嵐のように
スタンドアップ
漂流教室


カバチタレと
ランチの女王
少年たちは
再放送で観ることができた
今年になって

上の3つが
まだこちらで
再放送されていないんだ

いつか
再放送されますように

本当はDVDを
買えばいいのかもしれないけれど
Pちゃんの主役ではないので
テレビの
再放送待ち。
これから
どんどん
主役をやっていくと
そのDVDBOXを
買っていかなくては
ならないのでね。

明日は
セブンティーンを
買ってこよう。
Pちゃんが
0409を
連載している限り
ファイルコレクターとしては
1回もはずされません。

夜中
ネコたちが暴れだした。
下にいる
ダイジローたちの
相手をしてこなければならないので
これで終わり。

友人たち。

2006年10月16日 15時04分02秒 | Weblog
こんにちは。
今日も秋晴れ、快晴、半袖、のいいお天気。

少し前に友人と
お昼を食べてきた。

先日の説明会の報告を。
実は
彼女もそれに参加する
予定だったが
日程の都合上
参加できず
私一人の参加となった。
もし
彼女も
いっしょに参加していたら
突然の
資格試験について
どうしただろうか。
彼女も受けただろうが
出てくる言葉は
きっと
私と同じだろう。

なぜネットに
きちんと
試験があると
書いていないんだ、と。


彼女も
別な試験を受けることに
なっている。
その
一次審査の発表が
今日の夕方らしい。

彼女の場合は
あらかじめ
試験があるとわかっているので
それに沿って
勉強しているようだ。



結論は
やはり今回の話は
なかったことにしようと
思っている。

どうも
次が進まない。

あとで
お断りの手紙を書くことにする。


さて、
帰宅して
知ったことは
東京の
友人の手術が
明日と知らされた。

いよいよか。

あがいても
医師の診断だから
しかたないのか。
任せるしかない。
信じて。

まず手術が成功し、
しばらくはつらいと
思うが
また元気に
ブログで語ってほしい。

そして
また元気に
いっしょに食事に行ったり、
東京の話を聞いたり、
遊んだりしたい。

神様
どうぞ彼女の不安な
気持ちを軽減してください。
祈りが通じるように。

私も頑張れ。
人間として。

先日の資格試験の結果。

2006年10月15日 22時35分05秒 | Weblog
コンバンワ。
今日は結構暖かくて、
半袖で過ごしていた。
穏やかな秋の日曜日だった。

先日ある所の
説明会に行ってきたことを
書いたが
その返事が届いた。

説明会を聞きに行っただけの
予定が
抜き打ちテストを
やらされて
血圧を上げた私だったが
国語だけは
解答しようと、全部書いた。
が、
自信のないところが2箇所あった。
急に
漢字が思い出せないのである。
いつも使っているはずの
漢字がド忘れしてしまった。
そしてそれに近いものを
書いたが案の定
間違っていた。

その結果、ほぼ満点という
報告があった。
できれば
完璧を目指したかったが
自分で2箇所間違った
というのに気づいていたので
満点というわけにいかなかった。

まあ仕方ない。国語に関しては
合格。

つぎ数学。これは
ゼロ解答。
全く手をつけなかった。

恥ずかしながら
一体この問題は
何年生の問題なのかさえも
見当がつかない。

中学生レベルのものか
小学5,6年生のレベルのものか
全く見当がつかなかった。

単純な足し算とか掛け算とかなら
分数があっても大丈夫。
しかしグラフなどが出てきたら
もうお手上げ。
読解力も必要とはいうけれど
読解力が全くなかったな。

いきなり
試験をやると言われたことで
抗議した私は
もう血の気を多くしていた。
だから全く何がなんだか
わからなくなっていた。
国語さえも手をつけられない
のではないかと思っていた。

数学はダメ。
もう何年もやっていない。
もともと得意でもないので
数学とは縁の切れた人生を
送って、何の支障もない。

数学をもう一度受けて
クリアしてください、とあった。

親切ではないか。
聞きようによっては。

しかし
もう自分ではあきらめている。
これから一週間勉強しても
ダメなものはダメ。
すっかり自信喪失。
ああ
試験に弱い人間。
英語だったら何とかなりそうだが
もうダメダメ。

やーめた。

というわけでこちらから
お断りの返事を伝えることにした。

別な仕事を探すことにした。
いい経験になった。
世の中やっぱり甘くない、と。




さて、入院している友人のブログが
途切れている。
4日程。
毎日更新して
病院から見える大都会の
風景の写真や
病院の若いドクターたちの
様子を書いていたが
また途切れている。
手術を受けるときには
その予定を書いてくれるもの
と思っていたが
それを書かずに
いきなり手術になったのだろうか。
気がかりである。

明るい話題がほしい。

2006年10月15日 00時36分03秒 | 山P
もう夜中になってしまった。
そろそろ寝る時刻だが、
まだ一階にいる
タヌやダイジローたちの
相手をしていない。
これを少し書いて
下に行って
ネコたちの
相手をしてこよう。




まだまだ続くね。
仁君の問題。

Pちゃんの仕事にも
多少なりとも
影響があるに違いない。

やっぱり
親友がこういう事態になれば
心にひっかかって
仕事も手につかなくなる
ような状況になるだろう。

難しい仕事だけに
本当は
一点集中で
頑張ってほしい。

風邪でも引いたのか。

体調も心も
不調では
仕事も身に入らない。
乗り越えて。

今Pちゃんには
やらなければならない
大役が課されている。
頑張れ
頑張れ
あなたは
平常心で
取り組んでほしい。


仁君のことは
憶測やら誹謗中傷やら
飛び交っているけれど

人間て
こうまで
鞭打つものなのだろうか。

私も
ここ3日暗い気持ちなので
少し
他の所を
読むことをやめにしよう。

赤西君と「大人は判ってくれない」

2006年10月14日 11時35分00秒 | 山P
おはよう。
朝から眠いです。
昨夜は1時半頃に眠り
朝6時過ぎに起床。
今日のお天気は弱いです。
時々陽射しが雲の切れ目から差し込むけれど
寒さが日一日と増してきています。

仁君について。

この2日間、仁君の話題沸騰で
心がざわついている。

ゆうべ0時過ぎに
ニュースで仁君の記者会見の
報道をしていた。
録画もしておいた。

アイドルという纏い(まとい)を
脱いだら
普通の青年だった表情。

少しやつれて、目の下のクマが
目立ち、髪の毛も手入れしていないような

全体的に疲れきった表情に見えた。

ギリギリまでこの問題について
事務所などと話し合っていたのだろうか。
その疲れを残したままの会見に見えた。

語学留学。

活動休止の表向きの理由なのだろう。
本当に語学留学をしたいのなら

なぜこの時期に?というのが
どうしても出てくる

いろいろ情報が入ってきたり
ワイドショーのコメントを聞いたり
記者会見を見たりしていると

語学留学という言葉が
空虚に聞こえるんだ

あまりの唐突な活動休止のため
しかもその理由が
語学留学という
それほど切羽詰った理由とは
思えないため

語学留学を前から希望していたのなら
時期を考えるだろう

希望を叶えようとする姿勢は
素晴らしい

しかし
こんなに売れっ子なのに
いやこれから
人気を不動にするために
仕事にガムシャラに
打ち込んでいかなければ
ならないのに
職業人として
責任を果たさなければならないのに

どうしてこの時期に
語学留学なのか

ここまでは一般的な疑問だろう




さっき
ワイドショーでやっていたが
女性関係問題ではないかと
言われていた

ううん・・・
仮に女性問題だったにせよ
大事な仕事を休業して
そっちに走るんだろうか

それも違うような気がする
結婚とか相手を追いかけてとか
コメンテーターが曖昧に言っているけれど

仕事の面
人付き合いの面
上下関係の面
女性関係の面

それら全部ひっくるめて
不本意なまま
月日が流れて
それらを自分の中で
消化できぬまま
出てくる思いは
上手く自分で対処できない
自分への不満もあったのではないか

このままでは自分がつぶれる
だから
冷却期間がほしい

そういう思いが大きくなっていった
のではないか

女性問題?
長い人生から見たら
よくあることだし
それほど重要なことではない
と気づく時があると思う

熱のように
熱くなっているから
冷めて落ち着いたら
周りが見えてくる

もっともっと
自分に大切な
重要なものは何かと
見えてくると思う

今は
どうしても戻ってこないような
印象があるけれど

彼には
若い時から
身に染みた歌や踊りという
絶対のものがある

ともに苦労した友人とか
無邪気に戯れた友人とか
歌に対する情熱とか

彼のふるさとだろうに

それを捨てていくには
自分の希望のためだけではない
そこまでして捨てていくには
そこに今問題があるからだ
自分も含めて

そして
外に飛び出して
そのふるさとを眺めた時に
見えていなかったものが
見えてくるに違いない
自分も含めて

だから
帰ってくる

そう踏んだ

ふるさとに帰ってくる

いつ、とは断言できないけれど
帰ってくるはずだと
自分も思っているかもしれない

帰ってくるとき
その門戸を
ほんの少し
開けておいてほしい

グループの仲間は
そういう思いでいるだろう
事務所も
そう思っているだろう

脱退とかあれこれ
言っているのは
芸能レポーターとか
そういう人たち

芸能界はそんな甘いものじゃない
とは
よく言うが

甘いだろう、過去の人たちを見ていると
どんな不祥事を起こしても
再起とか言って戻ってくるだろう

彼はその不祥事を起こしているわけではない
根強い人気があるのだから
才能、魅力があるのだから

十分帰ってこられる

この時期に留学と
決めたことに対して
怒りもあるかもしれないが

帰ってきて活躍すれば
相殺される
おつりが来るかもしれないほどに

「大人は判ってくれない」

というフランス映画のタイトルがある

その言葉が今
彼にあてはまる

大人は判ってくれない

大人
世間
世間体
酸いも甘いも知る大人
清濁あわせのむ大人

言葉足らずの彼は
どれほど
大人に
彼の真意をつぶされただろうか

それは山下君にも
通じるところがある

デビューしてはじめて
見えた
大人の世界
芸能界に長くいながら
見えていなかった
大人の世界

そこに順応できる人と
できない人がいる

大人になるために
語学留学という大義名分を
立てて

彼は敢えてこの時期
旅立っていく

帰ってこい
仁君

あなたのその理由を
敢えて受け入れよう
それが真実だとかそうでないとか
問題じゃないんだ

帰ってこい
判ってくれる
大人もきっといるよ

手を差し伸べてくれる
大人もいるんだ
そして
何より
メンバーや山下君とか
ガキの頃から
分かち合ってきた
仲間がいるじゃないか

疲れた表情は
痛々しかったけれど
生き生きした表情に
なって
帰ってくることを
強く期待している


赤西君 活動休止正式発表ショック

2006年10月13日 09時15分29秒 | 山P
おはよう。今朝はです。
でも朝の空気はヒンヤリしていて、少しずつ秋が
深まっているようです。

ゆうべは
久しぶりに12時前に眠った。
疲れていてPCの前で
眠ってしまった。

夜にここを書こうと思ったけれど
その疲れと
どんよりした気持ちがあったので
書けなかった。


今朝も気持ちは
どんよりしている。

昨日、出先から
帰ってきて
朝の気持ちに追い討ちを
かけるような
ことを聞かされた。

近所の親しくしている
老夫婦がいるのだが

突然大家さんから
立ち退きの話をされたとのこと。

そこの老夫婦の住む家は
戦前からある
古い家。

ネコを飼うために
どんなに古くてもいいから
ネコを飼える家を探し
ここに住んで7,8年。

その家を壊して売地にするとのこと。
そのため来年3月まで
明け渡してほしいと言われたと
パニックになって駆け込んできた。

私の所にいた
ハルというネコが
その老夫婦の家にころがりこんで
数年。

すぐ近所なので
いつも私は遊びに行っていた。

長い人生
何があるかわからない。
せっかく
居心地良く暮らして
晩年をそこで
迎えようとしていたらしいのに

年を取ってから
また家を探すことが
可哀想だった

昨夜聞かされたので
私は
じゃ明日
冷静になったら
今後どうするか
お話しましょうと
伝えた

自分の知っている
不動産屋さんを
紹介するから

ネコ3匹
飼えるところを
何とか探してもらいましょう

と伝える

なかなか街の中で
ネコを飼ってもいい一軒家って
難しい

ああつらい
今日そのおばさんと
待ち合わせをして
お話してくる
   ・
   ・
   ・
そして

仁君の問題

昨日はそれ一色だった

やっぱり
事務所から
正式発表出たね

本当だったんだ・・・

ああ
あまりにショックで
何を書いたらいいのか
わからない

仁君のファンの気持ちを
考えると

どれほど
仕事も勉強も手につかないほどに
落ち込んでいることか

この私でさえも
Pちゃんのファンの仲間たちでさえも

衝撃は大きいから
仁君ファンにとっては
いかほどのものかと
想像してしまう

活動休止が

年内半年半年以上復帰未定

という表現に変わっていった

本人次第だが
最短距離
年内で何とか
再生して
来年すぐに戻ってきてほしい
せめて半年でもいいから
絶対に戻ってきてほしい

ファンがたくさんいるんだよ
あなたを待っているファンが
たくさんいるということを
忘れないで

今日本中のあなたのファンは
何も食べられないくらいに
ショックを受けているよ

せめて希望の持てる
言葉を残していてくれたらと思う


私たちNEWSのファンは
あの
コンサートの最後の
言葉
「でっかくなって帰ってくるから!」
を拠り所にして
ずっと待っている
あの時
5月から活動休止を聞かされて
12月まで何て長いことかと
思っていたけれど
こうして
信じて待って今はあと1ヵ月半を
残すのみとなった
あの
力強い言葉をPちゃんが
言ってくれたおかげで
希望を持って待つことができたんだ

だから仁君も
海外に行っていろんなことを吸収して
大きくなってファンの前に
帰ってくるからと
言ってくれれば
ファンは少しは救われると思うんだ

あなたをずっと応援してきた
ファンのことも考えてほしい
心が鉛のように今
重い状態で
針の筵状態で
何も手をつけられなくて
いると思うよ

あんなにデビュー前は
無邪気に伸び伸びと
過ごしていたのに
いつもグループの仲間や
Pちゃんと笑って過ごしていたのに


仁君  大きくなって 必ず ファンの前に帰ってきてね!