午前中に知人から電話があった。父の友人(故人)の娘さんで、介護の仕事をしている。彼女の小学生時代から知っていて、近年は正月に父を囲んで皆で集まっていた。今年の正月も、私も退院したことだし、そのようになるだろうと思っていた。しかし、昨年12月27日に実家に行ったとき、父は正月には集まらなくていい、気を使う、あんたたちも来なくていい、と言われた。その時に、差別的なことや、不快なことも言われ、もうこちらから連絡するのは避けよう、と思った。父は、人間関係を、自分の役に立つか否かで判断することが多い。娘の私の存在もその一つだ。だが、私の身体がこうなった以上、逆に厄介者扱いだ。それらしい言葉が耳に残っている。一昨日の地震の時もチラッと頭をかすめたが、口には出さなかった。夫も何も言わない。もし何かあれば実家の隣か、近くにいる父の又甥から連絡が入るはず。そんな矢先に、介護の知人が父に連絡したようだ。そして、地震の後片づけに行くので、トモロッシちゃんも顔見せに行くと喜ぶから一緒にどう?と誘われた。そして、私は退院後のあれこれを詳しく述べた。「顔を出すだけでも喜ぶ」よく使われる言葉だし、私も他者に使っていた。うちは、そういう段階じゃない。
10年前の震災当日、次の日の父との悶着を思い出す。自分の考えに固執した人間を相手にするのは、血圧を上げるだけだ。10年経っても強烈に印象に残っている。今年の夏、父は90になる。足腰は私は負けている。