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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/2/24)夫の目の手術、義母の様子。

2020年02月24日 20時20分09秒 | 日常、仕事、認知症
夫の目の手術から5日経った。
夫は以前から、目が見えなくなった、と言っていた。
眼科に行くように進言してきたが一向にその気配はなかった。
私の視力は、文字が見えづらくなったとはいえ、それほど気にするほどでもない。
だから、目が見えない、という経験がないから、物が歪んで見えるなんて想像ができないから
眼科に行くしかない、と言うしかなかった。

夫もそれなりの年齢だから、老眼とか近視とか、それの類だと思ったがそうではなかった。
目が見えないと苛立って、車の運転にも支障をきたす。
年末年始の夫の体調不良を機に、いよいよ眼科にも行く、と決意した彼。
口コミで近くの病院を見つけ、すぐに白内障と診断された。
そして手術が20日と決まった。
それの付き添いで仕事を私も休んだ。必ず、付き添いが必要だそうだ。
あまり多くを語らない夫だったが
手術後、一気に話し出した。
手術前の不安、メスが見えるのではないかなど、手術前にはそんなことは一切言わなかった。
そこの病院の口コミは年配の人たちの書き込みが多かった。
そして、全てが「安心して任せられた。」とあった。
それを信頼するしかない。
右目の手術。
眼帯をした夫に
「痛くなかった?」と聞くと
「全く痛くなかった。」
流水しているせいか、器具など目の前に迫ってくるのは全くわからなかった、と。
翌日も付き添った。
眼帯を外した夫。
保護眼鏡(これも、普通の眼鏡をかけているのと変わらない仕様)を掛けて家路に。

良く見える、とのこと。
歪んでいたものが正常に見えるとのこと。
太陽のギラギラ感が無くなったとのこと。
眼科の先生は多くを語らず。
それが夫の波長に合った、と言っていた。
いずれ左目も手術するかもしれない。

見える、ということを
具体的に細かに説明する夫。
ずっと気に病んでいたことが取れて、世界が広がって、心がすっきりしたようだ。
それを身近に見て、実感する。

これまで眼鏡をかけたことがない夫が
黒縁の保護眼鏡を掛けて一日家で過ごしているのを見ていると
別人がいるように思えた。
「大学教授が休日にゴマ団子を食べているようだ。」と言った。
何はともあれ、良かったね、夫。

父から
義母と夫の手術の見舞金が送られた。
「律儀だねえ。」と私。
「隙を作らないというかなんていうか・・・」と夫の感想。
ほう、そういう見方もあるのか。

義母は
食事がうまくいかない。
どんどん痩せ細っていく。
入れ歯を入れていないせいか、噛むことができない。
かと言って
入れ歯の装着は難しい。
あれは自分で入れるしかない。
ピッタリと収まる感覚は自分が要だ。
それができなくなっている。
以前、入れ歯を外してはどこかに隠していた。
大事なものは隠す、ということで入れ歯は彼女にとって大事なものだ。
歯磨き粉、歯ブラシ、化粧品等、毎日使うものをあちこちに隠しては
私はその都度新しいものを買ってきた。
しかし、入れ歯はそうはいかない。
だから、入れ歯を装着したままだった。
が、病院は入れ歯を外してゴハンを食べさせる。
味気のない、全部とろみにしたものが出てくるが
彼女の口に合わない。
吐き出してしまう。
家にても
時間をかけて、クチャクチャゆっくり自分のペースで食べるが
立ってでも、すぐに食べたがっていた彼女だ。
今の変わり様は
やはり病院だからだ。
動かずに臥せって、声を出さずに過ごす日々。
今日、午後行ってみると
少しベッドを起こした状態で、独り言を話していた。
午前中はベッドでリハビリをしているはず。
その場面は見たことはない。
私なら、もっと厳しく指導しているかも。
もっと手を動かせ、もっと話せ、声を出せ、脚を動かせ、とね。
生きるバネは、それらだと思う。
病院は、治療する所でもあるが、過保護になって本当の病人になってしまう。
亡くなった母の最後の病院での姿がどうしても思い出してしまう。
相変わらず
「トモロッシちゃんのお母さんは元気なの?」と何度も聞かれる。
「死んだよ。あなた、葬儀に参列したでしょ。」といつもの返事。
頭を働かそうとして
彼女の姉妹の名前を出して色々と聞いてみる。
考えよ、考えよ。
夫は
「めし、食えよ。家に戻れないぞ。」と言って聞かせる。
肯定の返事はするが、いざ、食事の時間になれば食べない義母なのであろう。

自宅にては
義母の部屋の掃除を少しずつしている。
立腹しながらね。
寝室から、居間にベッドを移動してこようと思う。
施設に入るかどうかは、これからの問題だ。
私の仕事のことやお金のことやそれらを含めて色々と考えていこうと思う。
職場の人からは「絶対辞めないでね。」と言われた。
私の都合で休んでもいいから辞めないでね、と昨日も言われた。
父は
「あんた(私)の身体は大丈夫なのか、仕事を続けているなんて」と言われている。

昨日から今日にかけて変則的な寝方をしてしまった。
病院から帰ってきて寝てしまった私は
目が覚めて時計を見ると、5時半。朝だと思って、慌てて食堂に行った。
ご飯支度をしなくては、と味噌汁用のお湯を沸かしているときに
「あ、もしかして夕方の5時半?」
二階に上がって、のんびりしている夫を見て、確認するとやっぱり夕方だった。
そういえば、寝る前に
昼食兼夕食を食べたのだ。

そしてこの日記を書きだした。