今日も風が強く
朝や夜の風の冷たさに
少々とまどいがちである。
もう5月の半ば。
ストーブをつけている。
北海道の北東部は昨日雪だったらしい。
一週間の仕事を終えて
午後に帰宅。
遅いお昼を食べて
そのまま1階のオーディオの部屋に
寝に行った。
タヌとダイジローが迎えてくれる。
2時間ほど眠れば疲れが取れると
思って寝て
目が覚めたら、6時過ぎであった。
天窓の空はまだ薄明るい。
一瞬
朝かと思った。
いつも5時半に目覚ましをかけているので
目が覚め、時計を見ると
6時過ぎ。
なぜ5時半にならないのか、と思ってしまった。
いやいや、そもそも寝る前に目覚ましはかけていなかった。
勘違いして
すっかり朝寝坊したと思ったようだ。
それだけ
数時間ぐっすりと眠ってしまったのだ。
そして久々にしっかりと夢を見た。
両親だ。
なんの兆しもなかったのに
なぜ両親の夢などを見るのだろう。
両親が
私に背を向けて二人並んで食事をしている姿。
母の顔は見えない。
そして父は私の高校時代の写真を眺めている。
私は今更、そんな時代を懐かしんでいたってしょうがない、
みたいなことを口にする。
2月に母を見舞って以来
再び私は両親との音信をとだえている。
見舞いに行ったときは父はいなかったので
父とは昨年来、会っていない。
正月も行っていない。
そしていつ行くのかも考えていない。
この先、何をきっかけにして行くのか
理由を考えていない。
実家に行く理由、というのはあるのだろうか。
自分の家に行くのに、理由は必要か、と
誰かに言われそうだが
私の場合、理由が必要なのだ。
今、その理由がないから、ずっとないから
行かないでいる。
すっかり私はあの家と離れてしまっている。
そうは言っても
このように夢に突然彼らが出てくるのは
なぜなんだ、と自ら問うてしまう。
徳孤ならず、必ず隣あり。
自分には徳はない。
ゆえに孤独である。
ゆえに隣人なし。
他者に
笑顔でいるように、などと説いてはいても
自分自身がまるで
能面のような表情で毎日職場で過ごしている。
昨日なんか
たった50分の空き時間でも
自転車に乗って
家に帰り、30分休憩して
また職場へ。
1時間仕事をして、2階の自分のデスクに行かず
そのまま直帰している自分。
(そんなこともできるのは、バイトだからだが。)
孔子の教えなど、身につかないはずだ。
こんな自分では。
徳を積むなら、まずは自分自身を開放せねばならぬのに。
また夜中のつぶやきです。