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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/3)母の姿

2012年12月03日 21時04分38秒 | 両親のこと、入院のこと
朝の冷え込みが段々と
本格的になってきた。
私の鈍麻な感覚がようやく
「冬になっているんだぞ」と教えられているような寒さになった。
だが
まだまだ寒さは序の口。

昨日
実家に行ってきた。
仕事を終えて
隣の市に、ネコ缶を買いに行き
その後実家へ。

老夫婦2人がこれから入院する重々しい空気。
母は
入院に向けて家の何かをしなくては、と思って
洗濯をしていた。
父は
耳が痛いと先週から言っていて
その痛みと
今はそれよりも考えなければならない大腸ガンのことでイライラしている。
母に対する態度は
母を萎縮させる抑圧的な態度だった。

父は自分の入院の準備は終わっていた。
母には
このパンフレットを見て、自分のを用意しろと言っていたが
母は、物の認識がはっきりできないため
オロオロしていた。
私がそろえてあげようとしたが
なにしろ
どこに何があるかわからない。
パジャマはどこにあるのか、と聞いても
パジャマが何のことかパッとわからない母だ。
タオルケットもどこにあるのかわからず
1階と2階の往復を母と何度もする。
父は
毎日それら類(たぐい)のやりとりにウンザリしているから
母に対して冷淡な態度である。

大きな洗面器は
父が持っていくので
もう一つ買わなければならない。
あれもこれも買わなければならない。
母といっしょに買い物に行こうとしたが
母は
眩暈がする、と言って座り込んだ。
血圧も高いので無理しないで、
私たち夫婦が行ってくるから、と出かける。

母の具合の悪さは
頭の問題もある。
あれはどこ、これはどこと言われて
あれの認識ができない、
できないから、在る所もわからない、
そのうち父にまた
なじられる、と頭、心に負担が来るのだ。

私たちが買い物から帰ってきたら
大分落ち着いていた。

いっしょにそろえているとき
母は
自分の入院の意味をきちんと把握していないのでは
と思った。
父が言うに
母の大腸ガンは
直腸にまで広がっているとのこと。
敢えて写真は見せられなかった。
父のは、先日積極的に見せてきたが
母のは見せられなかった。
母の心の負担を考えてのことか。

「自分は腹を切るの?」と私に聞いていた。
「切る、と思うよ。」と私は言った。
人工肛門のことも口にしなかった。
何のことかわからないだろうし、
入院先の医師からの説明もないところで
それを言うのは憚られた。
脳梗塞以来、何度か入院しているので
その延長のように考えているのかもしれない。
だから
自分の意思で動いている、というよりは
次のことを
父の指示で動いているようなもので
母はそれもストレスになっていることだろう。

4日(明日)に
入院先の病院に行き
入院日、手術日を指定される。
6日に
父が別の病院に入院。
そしてすぐに母が入院、となることだろう。

母が可哀相だ。
母の脳梗塞の後遺症を理解して
話が通じないときもある、ということを
周囲がわかってくれればいい。

頑張れ、母。

(12/1)雪が降る。

2012年12月01日 20時08分43秒 | 両親のこと、入院のこと
今日、雪が降った。
煙草の灰が舞ったのか、とまちがうほどのはかない雪。
しかし、北の方ではもっと多く降っているにちがいない。
もう、いつのまにか冬になっていた。
私はまだまだ秋を感じていたい(秋さえ受け止めていないままに冬)のに
街の銀杏の木はまだ黄葉しているのに
冬の季節、とはっきりわかった今朝の冷え込みである。




明日
実家に行ってみないと
わからないことなのだが

両親2人とも
大腸ガンで手術入院、入院先も決まった、ということだけは
把握した。

肝心の
彼らの気持ちがまだよくつかめていない。

彼らは
市のガン検査健康診断を受けての結果。
普段は
健康で、腸が痛い、気になる、という自覚症状はなかった。
ただ、共通しているのは
便秘気味だ、ということ。

年齢的に
どこかに故障があってあたりまえの2人。
父の性格上
切って、これからも頑張って生きる、人生を楽しむ、という考えだと思う。
しかし
父はそうであろうが
母はどうであろうか。
父よりひどい状況、と聞いてショックを受けているかもしれない。
父からの一方的な電話なので
母のことが見えない。
明日、行ってくる。


12月に入った。

あっというまの10月以降。
今月も
私の休みが動く(両親の入院のため)。
そのため
Iさん、Eさんにはまたも今月も迷惑をかけることになる。
しかし
彼女たちは
今日、私の母も入院する、ということを聞いて
私の休みを優先する、と言ってくれた。
自分の休みが、両親の付き添い等になるため
自分自身の休みがない。
私も若くない。
身体に気をつけなければならない。
疲れているとき、寝不足のとき、耳鳴りがひどい。
通常も耳鳴りがあるが
それらのときはもっとひどい。
気が遠くなるような感じで
夫には予め
「今、耳鳴りひどいから、話し声聞こえないからね。」と言っておく。

では
またのちほど。

(11/30)母も入院することになった

2012年11月30日 21時16分20秒 | 両親のこと、入院のこと
母も
大腸ガンの疑いあり。
いや、決定か。

父よりひどい状態とのこと。


2人して
別々の病院に入院する。

断片的にしか聞こえてこない様子。
明後日、仕事が終わってから実家に行ってくる。

先週も行ってきたのだが
父と話して
病気とは別に、非常に不快な思いをしたもので
それをまとめる間もなく
今日、母の入院のことを聞かされる。

自分の身体が2つ、3つあればよい。

(11/3)実家に

2012年11月03日 20時37分14秒 | 両親のこと、入院のこと
仕事を終えてから
実家に行き
母を連れて、父の入院先へ。

まだ手術前なので
父はとりあえず元気だった。
年齢の割には
元気、しっかりしていた。
個室だった。
父の鼾が周囲に迷惑をかけるということで
個室希望だった。
手術は再来週の予定。

母は
自分で家事はできる、ということで
こちらに来ることはなくなった。
父の用意した作り置きと冷凍したものがあるので
それを食べるということだった。
そこで
私たち夫婦は
母が用意したものを食べることにした。
母が
電子レンジをどう使うか
魚を焼くというので
ガスをどう使うかなど
見ていた。
何とか大丈夫だった。

洗濯もできる、掃除機もかけられる、
できないのは
電話を掛けることだった。

近くにいる父の甥息子夫婦に電話をしたいが
掛けられないので
10分ほど歩いて
ことづけをしに行ったそうだ。
それだけでかなり疲れていた。

もしも
私やその子たちに緊急の連絡をしたい場合
電話番号を記入したメモを持って
隣の家に行き
「ここに電話をしてください、と頼むこと。」と言ってきた。
そのほうが手っ取り早い。
隣の家や斜め向かいの家にもお世話になっている(事情を知っている)ので
頼みやすい。


まあ
いろんな意味で複雑な気持ちになって帰宅した。
全てはここに書けないけれど
音信不通の自分たちが
複雑な思いをするのも当然。

また近いうちに顔を出す。
父にも
メールを教えておく。
手術日は
私の付き添いも言っておく。


溝は埋まらないよ。
そうすぐには。

(11/2)父が入院

2012年11月02日 09時28分11秒 | 両親のこと、入院のこと
ここ数日
天候が不安定。
一昨日は
帰宅する頃に雨になり、ずぶ濡れになって帰ってきた。
そのあと何事もなかったように晴れた。
昨夜は
夕食準備のときにいきなり雷が落ち、
雹が降り、外は真っ白になった。
バラバラと叩きつける音が不気味で
一階に下りてきていた猫たちが
一斉に二階に逃げていった。
そして晴れる。

さっきは
朝7時頃に買い物に行ったのだが
途中雨になる。
今は晴れているが、再び雲行き怪しい。



前回の休みから2日置いてまた今日休み。
不定期に取るので
このようになった。
私は3番手で休みを入れるので
空いているところに入れていくと
こんな休み方になる。

昨日の午前11時ごろに携帯に電話が入っていた。
帰宅したあとに気づく。
父からだった。
携帯に電話とは珍しい。
音信不通の私たちなので
このように
電話をかけてくること自体
何かあったと考えるのが普通。

父は入院していた。
以前から
首が痛い、と言っていた。
手術したほうがよい、と自ら言っていたので
とうとうその決断をしたようだ。
車椅子になるのはいやだから、手術して
好くなるならそれをしたい、ということだった。
今は検査の最中で、手術は来週あたりになりそうだ。

そこで心配なのは
家に残された母である。
母は脳梗塞で、快方に向かったが
まだ不十分。
これ以上治ることはないのかもしれないが
会話は冗漫ながら通じる。
家事は
掃除機をかけることができるようだ。
料理はできないので
父が全部やっていた。
食べるものは父が作り置きして冷蔵庫に入っているから
それは大丈夫だろう、とのこと。
あとは
近所に居る父の甥の息子夫婦に任せてある、とのこと。
それでも気になるから
いつか見に行ってほしい、と言われた。

このブログを続けて見ている方なら
わかると思うが

私と両親の関係について書いたことがある。
最新の大きな出来事として
震災のときのトラブルがあった。
それ以前には両親と私とで最初で最後の
北海道墓参り里帰りの旅行に出かけたことも書いた。

震災のトラブルは
私たちを一気に遠ざけた。
あれから1年半以上経つが
その間実家を訪問したのはたったの1回である。

仕事に忙殺されて
全く両親のことを考えない、ということではなかった。
父の誕生日が来れば、電話をしようかとか思ったし
母はどうしているだろうか、とも考えるときはあった。

どうも身体が動かない。
ま、いいや、と軽く考えることもあれば
このまま溝を深くしたまま
どちらかが死んだら、どちらかは老人ホーム行きとなるんだろうなとも
考えていた。
おそらく父はその方向で考えていると思う。
私に面倒を見てもらおうなんて考えていないだろう。
そんな
流れに持って行くような私たちの関係になった。
頼っているのは、近所に住むあの夫婦である。
私と父は
血のつながりがないので、自然に血のつながりのある
父の血縁関係の者を呼び寄せるだろうと
想像している。

夫に
父の電話の内容を話す。
私の言いにくいことを伝える。

父の入院先が
夫の会社の近くであるので
もし
父に何かを頼まれたらあなたは引き受けてくれるか、と。
非常に言いづらかった。
夫は
私以上に
父のことを嫌っている。

「いやだけれど、仕方ないじゃないか。」と言われた。

明日
私が仕事から帰ったら
まず母のところに行ってみる。
場合によっては
母を連れてくることを考慮しておこう。
夫にそれを言う。
義母にも話しておこう。
父に
私のメールを教えておこう。

あの震災のときのトラブルのことを
父が心から悪かったと思っていればいいのだが。
父は
確かに謝っていたが、それでも
私たちはわだかまりは消えなかった。
前年の秋
3人で、思い出の地北海道に帰ったときは
想像以上に有意義で楽しい旅だったのにね。