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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/12/8)もうすぐで・・・・

2020年12月08日 05時34分47秒 | 日常、仕事、認知症
しばらくブログを離れていますが、概ね元気です。今週の金曜日に退院の予定です。倒れた頃は梅雨がまだ明けていなかった。そして、退院するときは冬の季節。浦島太郎ですね。
「好事魔多し」ですから、後の2 、3日何事もなく、無事にその日を迎えたい。これまで経験した事、学んだ事、感じた事、整理して書いて行こうと思う。まずは、夫に謝りたい、感謝したい。

(2020/11/12)11月7日、家に7月以来に1泊。

2020年11月12日 19時25分06秒 | 日常、仕事、認知症
何回も書き直ししている。そうこうしているうちに日が経ってしまった。11月も10日以上過ぎた。今は、退院に向けて、リハビリを頑張っているところである。同室の人は、入れ替わり5人が退院していった。現在のメンバーで私が1番古い患者になった。家に一泊の許可が出て、それを楽しみにしてきたが、夫とこじれてぎりぎり前日まで互いに連絡を取 らなかった。空気として最悪。真夏に一人で車椅子で転院してきたことを時々思い出すが
宿泊前日も思い出した。夫婦って、相手の役に立つか、立たなくなった場合はどうしたらいいのか、そんな観点から考えるようになるのかと思った。二日目の午前中にそれを投げかけたが、どんな話になったか今忘れている。もっと詳しく説明したいところだが、スマホの文字打ち苦手。8月以来の夫。家に滞在中は、協力してくれた。食事も作ってくれた。彼なりのルールを作って一人で頑張ってくれていた。あと1ヵ月、この家に戻るまで私も病院で頑張る。うちに出入りしているネコ3匹はすっかり夫に懐いていた。彼らは私を見て、逃げて行く。私の存在は忘れたようだ。写真撮影も儘ならない。遠目で撮る。夫といちゃついている所を。そして、トモ。ぐっすり眠っていた。「トモ!トモ!トモ!」と呼んでも、全然起きない。耳や体を撫でてやると、ますますまどろむ。私に気付いても、不審な目で見つめるだけ。自らスリスリしてくれることはない。夜中に私は何度もトイレに起きるのだが、テーブルの上に座ってジッと私を見つめていた。「アンタは偽物」と言いたそうだ。突然姿を消した私のことは彼女の中で解決済みなのかもしれない。最後まで、「怪しい奴」という目だった。そして、私は逆に安心した。吹っ切れて病院に戻れた。淋しそうな表情なんてされたら、私の心が乱れる。1ヵ月後、私たちすぐ復活する。悲観しないで再会を待てる。神様、ありがとう。

(2020/10/20)走った夢とむくみの取れた左足。

2020年10月20日 10時28分58秒 | 日常、仕事、認知症
夕べ、夢を見た。前の暗い内容と違って、自分の家の前の庭で走っている夢だった。自宅に仮に帰宅して、車の助手席から降りて杖をついて歩こうと思ったら何だか杖無しでも歩けるような気がして車の周りを杖無しで、駆けるようにして玄関の階段を上るんだ。現実にはあり得ないことだけれど、家に帰れば脳が刺激されて、身体も良い方向に行くのではと思っているんだ。やっぱり、病院に入りたての患者は、生気を失い、険しい表情になっている。数カ月後に立ち上がることができた人たちは、表情が生きてくる。私の左足の甲の痛みがなくなった。悩みだった足の裏のむくみがいつのまにか取れていた。朝からパンパンに腫れた足裏、歩きの練習の妨げになった。少し前に、あれ?むくんでいない・・・・と気づいた。偶然にも、リハビリの先生が左足のマッサージをしていて、「今日は足裏が柔らかいね。」と指摘し、やはりむくみが消えたんだと思った。次の日も、その次の日も、むくみなかった。左足が喜んでいるようだ。

(2020/10/12)初めて知ったこと。

2020年10月12日 10時20分05秒 | 日常、仕事、認知症
リハビリがお昼少し前から開始するので、その前に書いていく。リハビリをやっていて、初めて知ったこと。リハビリの先生方の家庭訪問。患者が退院して、自宅で再び生活するとき、段差のものを上手に一人で超えられるか、どこに手すりを設けたらいいか、補助台の設置など、実際に現場を見て、アドバイスするそうだ。そんなこと全く知らなかった。それを聞いたとき、「それを拒否できるの?」と聞き返した。どの位、拘束力があるのか。病院、リハビリの指導者という権威ある者に従わざるを得ない空気はいやだった。「他の人たちは、どうだったのか。」「人それぞれの事情があるので、もちろん強制ではありません。」ということで私は断った。そこに、あそこに、これを設置した方がいい、と言われて、断りにくい空気になるのもいやだ。私たちは、あくまで二人で検証 して、取捨選択して取り付けようと思っている。家庭訪問はなし、ということになって、ではせめて、玄関の上がり框や階段の高さなどを計測して、それに合わせ想定した道具を使って、練習しようとなった。リハビリ室にある浴槽はクリアした。お風呂も、今までシャワーのみだったが、浴槽に体を沈めることも学習している。要は、転倒には気をつけること、これに注意を払って風呂慣れしていった。家での様子をいつもシミュレーションしている。

(2020/10/10)退院まであと2カ月。

2020年10月10日 20時43分54秒 | 日常、仕事、認知症
あと、2ヵ月。私の退院日まで。8月末に、私たち夫婦と主治医、リハビリの先生らとの話し合いの時に提示された退院予定日は、12月10日。その日付けを聞いた時の絶望的な気持ち。それから、ブログを書く気になれなかった。夜中、眠れなかった。ようやく眠れて、目が覚めた時、まだ10時とか、日付が変わっていないことに愕然とする毎日。今でもそうだ。夜が異様に長く感じられた。夢も、いやなものだった。自分が囚われの身で、逃げて逃げて、暗い海の波打ち際に、兵士のような監視員がいる。その人たちを突破すべきか、その為には・・・・・・・夢の記憶はそれ一つのみ。あの暗い海は何を意味しているのだろう。悪いことをしていないのに、自由に出て行けるのになぜ「囚われの身」と思っているのだろう。現実にそう思っていた。その間、「地味」なリハビリだと思っていた。それは、ブログに書いた。地味と思っていたことが、しっかり身に付いていたことに気付いていく。後ろ向きの自分が、少し変わったのは、リハビリの成果の実感があったからだ。(まだ、消灯前なのに、電灯消された。私の所だけ付いている。)その都度、リハビリの先生に伝えている。今月から、自分は変わろう、と良いものを見ていこうと意識した。今何とか続いている。さてトイレ行きましょ。

(2020/10/8)無意識の膝であること。

2020年10月08日 19時57分50秒 | 日常、仕事、認知症
私の歩き方は、まだまだ一人で歩けるようなものじゃない。両足のバランスは悪いし、左足の膝がカクカクするし、右側に力が掛かり過ぎ、右膝まで笑うようになった。リハビリの先生や、主治医に、「前よりかなり良くなった。」と言われても、私は内心首をかしげていた。杖や先生のサポートがあってこそ、ようやく歩ける。しかも、どんなにかかとからつま先の順に踏むと頭でわかっていても、コントロールできずベタン、ベタンとなってしまう。そして足の甲、足首、膝頭を痛めてしまう。わかっていても、思うようにいかない。自分にとって、「停滞」であった。今日、午後のリハビリの時、膝が笑わなかった。膝の痛みがなかった。膝の安定感を感じた。何も感じない安定感。「膝が頑張っていたね。」「膝がカクンとしたね。」「膝が笑うの。」それらの言葉が出ないただの膝の存在。皆さん、歩いている時、膝
を意識しますか?歩いている時、膝が何も感じなかったという感覚が何カ月かぶりに味わった。それを先生に伝えた。左膝と右膝が平等感覚。でもその後またいつもの足首、膝。でも、いつかまた甦る。
トイレに行く時、杖で一人で行って良し、と言われる。夜は車椅子だが、車椅子から離れる訓練だ。

(2020/10/6)2カ月半意思のなかった左足が・・・

2020年10月06日 20時47分10秒 | 日常、仕事、認知症
今日、インフルエンザワクチンの接種を受けた。もし、普通に生活していたら、私のことだから、受けなかったであろう。でも、今の自分は、病院という環境で何カ月も生活するので、打たなくてはと思った。リハビリの後の手洗いも忘れてはならない。トイレも、そう。
左足の甲の腫れは引いたと思う。杖で歩く量が増えたのと、左足を集中的にグイグイ、マッサージしているので、痛めたのだと思う。それで、良かった点を書こう。私は倒れたとき、左半身の機能が奪われた。ということも、2
、3日して理解できた。左足首は、内側にぐにゃりと曲がり、プラプラの状態だった。左手もそうだったが、何とか7割程度回復した。筋力がないから、重いものを持つとプルプル震え、定まらなかった。左右の握力の差も大きかったが、大分縮まってきた
。しかし、左足のマヒは厄介だった。指がびくともしなかった。もうずっと動かないままと思っていた。最初の病院で、大きなバランスボールを手繰り寄せるリハビリをやったが、左足のかかとはボールの上で、ただバウンドするだけで、手繰り寄せる動作など程遠かった。内側に曲がった、意思のないだらしない足首を見て、こういうスタイルで、私は出発するのだ、とつい最近まで思っていた。こちらのリハビリ病院に 来ても、内側に曲がったまま2カ月なろうとしていた。2、3日前、あれ?と思った。あの、頑固な内側曲がりが、まっすぐ、か、外側に傾き加減になっている。あれほど、足の甲が痛い、腫れているなど、この痛みがリハビリの意欲を無くしていると思っていたのだが、痛みもリハビリのプロセスの1つだ、と今ベッドの上のハの字の反対に置かれた両足首を見て思う。昨日は、その足首のことをリハビリの先生に伝えた。バランスボールの上でバウンドするから、それを見ると思い出す、と。そして、やって見ようとなった。左足を乗せると、多少揺れるとはいえ、手繰り寄せることができた。先生のオーケーサインもでた。本当に、本当に、リハビリって、身体をよみがえらせる。100パーセントではないにしても、侮れない身体、脳の神秘を感じている。

(2020/10/5)左足の甲が腫れる

2020年10月05日 19時15分44秒 | 日常、仕事、認知症
今日は、今一つ、気分が沈みがちの日だった。午前のリハビリで、床を見ながら行動していると、目まいがする。午後は大丈夫 だろうと思ったが、気分が立ち直れないまま終わった。左足が痛いのが継続して、それを押し隠すようにしていたら、左足首の上が膨れていた。ああ、これが原因か、湿布薬を貼って足を休めている。良いことも書きたいが、また後にしよう。

(2020/10/4)夫の家事

2020年10月04日 18時43分04秒 | 日常、仕事、認知症
夫の家事が優秀だ。日曜日だけの休みなのに、私ならダラダラとやるのに、
午前中に掃除機、洗濯、通いネコ(=^_^=)の世話、風呂掃除、夕食の仕込み、車で食料、ネコ缶詰など買いに行き、昼ご飯も食べて午後はゆったりとネコたちと過ごしていた。一週間の疲れを取っていた。なかなか取れないけれど。
私の今の動作は、病気前の半分以下の動作だ。しかも、転倒厳禁なので、活動範囲も制限される。夫の手を煩わすこと必至。足手まとい必至。でも、家に帰るだけでも、彼にとって、トモにとって、通いネコにとって、最高に嬉しいことだよね。今まで、全部私がやっていたこと、プラス姑のお世話も。夫、これから二人で頑張って行こうね。

(2020/10/3)「まんごすちん」「マンゴスチン」

2020年10月03日 09時48分47秒 | 日常、仕事、認知症
今日は、10時過ぎから、次々と忙しくなるので、少し書いておこう。
先日のブログの「まんごすちん」の話の続きなんですが、ひらがなでメモったために、初めて見る人は混乱したようです。そして、聞いたことがない、何者、何物?何、そのヒワイな字面(じづら)は、ということで、若いリハビリの先生と笑いが止まらなくなったのです。前の「言語学」リハビリで、残った6文字を並べ替えて四角の中に入れるのだが、その言葉自体知らないので「ちん」「まん」ばかり書いて組み合わせている。その言語学の先生は、いつもの担当と違って、真面目な感じの青年。いつもの担当だったら、気持ちフルオープンで「ちんとかまんとかそんなフルーツある?」と笑いながら言っていたのに、真面目青年の前では言い出せない。そこに、次の女の先生が文字に反応したものだから、笑いが一気に吹き出した。

で、マンゴスチンって、一般的なの?東北では見たことない、聞いたことない。問題として、不適なのではと思った。全然一般的じゃない。

(2020/10/2)夫から荷物が届いた。

2020年10月02日 20時49分06秒 | 日常、仕事、認知症
今日、夫が病院に荷物を届けてくれた。荷物の一つ一つが嬉しかった。
夫が買ってくれたクッション、冬物靴下、長袖のリハビリ用シャツ、猫マンガ、お茶、目薬などなど。病院で生活しているようなものだから、なるべく快適にしたかった。枕が固いので、100円ショップのクッションを買ってもらった。タオルをかけて、即席枕のできあがり。快適です。
夫は、石巻に仕事に行き、その後、病院に寄ってくれた。もちろん会えない。コロナがなければ、面会が患者にとってリハビリのモチベーションになるだろうし、励みになるだろうなあ。今月は、夫の休日が少ないので、もう荷物運びは終わり。間もなく消灯の時間だ。

(2020/10/1)久々に笑った。

2020年10月01日 17時56分14秒 | 日常、仕事、認知症
間もなく夕食の時間だ。その前に少し書いて行こう。
今日の最後のリハビリで、思いがけず、一笑いした。久しぶりに笑ったが、前の病院にいた時に、部屋の皆と大笑いして以来だなあ。この笑いで、自分の後半のリハビリ、リスタート切った。笑うことを忘れていた私である。
夫のこと、トモのこと、父のこと、「小さきものへ」を朗読しては涙ぐんでいた自分。本来は笑い上戸だ。今日位、笑ったっていいじゃないかと思った。リハビリの若い先生は笑いも腹筋使うので、運動になりますよ、と言った。そもそも、彼女がきっかけだった。私がリハビリにいつも持ち歩いているメモ用紙のメモに彼女が反応した。「まんごすちん」(ひらがなで書いていた)それを見て「それって何ですか?」



あ、食事。後で。

(2020/9/22)安心した後に、不快な不可解な気持ちに。

2020年09月22日 20時09分03秒 | 日常、仕事、認知症
昨日の朝、ずっと気になっていたことが解決して、ああよかった、と安堵の涙が流れる。その後のリハビリがあまりうまくいかなかったが。
夫とも、連絡のことで、互いに不快な思いをして、一日を台無しにしてしまったが、忘れてはいけない朝の安堵であった。ここずっと、弱い自分である。この年齢、年代の病気はきつい。

(2020/8/25)パラリンピックの父の言葉

2020年08月25日 11時59分38秒 | 日常、仕事、認知症
入院して、今日で2週間。午後3時半、夫が来て、主治医などから説明がある。これからどの位入院するか、言われる。私の気持ちはちょっと暗いです。予測できるから。
先日たまたま観ていたテレビ番組で、パラリンピックの父と言われた方の話、そしてその方に影響受けた日本人の話を知った。全部を聴き取れなかったが、おそらく自分が、病気前だったら、目に止まらなかったか、聴き逃していたことだろう。そして、彼が残した言葉「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ。」を今更ながらに知る。昨日今日出てきた言葉ではない。戦争で手足などを失って絶望、消沈している元兵士達が、生きている実感を取り戻す為の好機として、スポーツを奨める。そしてあの言葉が生きてくる。何十年の間に、彼を取り上げたこと数多あるだろう。世界的にも知られ、知らないのはこの私ばかり。私はこの病気になって、まさに失ったものを数えようとしていた。夫の精神に相反する。まだ失ったのか、停滞しているのか、生き変えるのか分かってもいないくせに。
今日の見える空は雲が多い。まだ30℃超えは続くだろうが、秋が順を押してやって来ている。腐らずに行こうと思う。