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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2021/11/7)ラッキーな出来事

2021年11月07日 17時31分18秒 | 日常、仕事、認知症
夫が休みの時の私のリハビリ散歩時間は昨日1時間半、今日2時間という、「散歩」を越えたものになっていた。
ノンストップ。この足で歩きまくり、どこにも腰掛けない。鼓動も正常。特に息苦しいとかもなく、足の痛みもほとんどない。
午前8時半までには戻らなければならなかったので、6時35分に家を出発。戻ってきたのが
8時35分。なんと正確な歩み。
毎朝、何かしら発見があり、気付きがあり、感動がある。

4日。木曜日。散歩、北側に向かって。神社へ。平坦な所なので、歩きは楽。夫の通った幼稚園があった所だ。

お賽銭。

5日。金曜日。その日は、ゴミ捨てなどがあったので、短い時間の散歩。
散歩し始めて10分ぐらいして向こうから、犬🐶のお散歩姿が見える。
あの🐶だ!
ここは一本道だから必ずすれ違える。
やっぱりそうだ。ラッキー🐶。
話しかけると、私に飛びつく。嬉しい🙌名前を聞くと、リリーちゃん。写真を撮る。カワイイ。またいつか会おうね、と別れる。良いことがある、ラッキー🐶と決めていた私にすぐご利益。家に戻った私の後ろからモーさんが着いて来た。そして8時過ぎまでいてくれた。





サンルームが暑くなってきたので外に出て陽にあたっていた。

そして、東京の友人(教え子)から、なんと特大の「まるごとバナナ」が送られてきた。先日会った時に、「私の朝食」と言っていたらしい。


幸せな気持ちになる、私の大切な出来事だった。

(2021/11/3)リハビリ散歩の醍醐味

2021年11月03日 21時46分47秒 | 日常、仕事、認知症


今日は祭日。11月という初冬の月、暖かい日が続く。
夫の見送りがないので、好きな時間に散歩に出られる。
前は、夫を見送ってから散歩に出かけて、7時に帰ってくるようにしていた。
しかし、最近は距離を延ばしたり、時刻も明るくなってから出発するようにしている(6時10分とか)ので、どうしても
夫の出勤時(ほぼ6時半)には留守になってしまう。
そこで、夫の車が通る道を意識して歩き、どこかで見送るようにしている。車を見つけたら、私は手を大きく振る。
「行ってらっしゃ~い!」
いい年したおばさんが車に向かってニコニコして手を振る姿。早朝なので、ほぼ無人。
で、夫も手を振る。それが似合わないこと。私、強制していないので。夫自発的に手を振っている。精一杯。

今日は官公庁の方ではなく、もっと別なルートを、と思って歩き始めた。ラブホテルが集中している所、路地を歩いた。
仕事をしていた時自転車で通る道より一本ズレた道に入ると、全く初めてみる店々が並んでいた。居酒屋か。
もう営業していないホテルもあった。いつからかわからないけれど、コロナ禍が関係するのだろうか。
おそらく、ここ何十年かの間に建物自体が消えたホテルもあるのかもしれない。
いつもの通勤道路。昨年の初夏まで通っていた、職場までの道路、公園。
目には入っていたが、通ったことのない路地に
今こそ自由に通れるよ、トモロッシ、と自分に興奮気味に囁く。
いつもいつも自転車で通り、ゆっくりこんな路地を眺めたい、などと思いながらも、実現してこなかった。
そしてとあるホテルの裏側に来たとき小さな祠があった。何も祀ってはいなかったが、それだけは残したい、守りたいという
象徴的な赤。合掌して、この地の平安を祈る。
駅裏が開発されて立派なストリートになって、古い文化的な街並みが消えたが、あちこち駐車場になっている所の片隅にも
祠がある。それらを見たい、と思っていた。それを実現しようね、今度。

決して初めて知る道じゃないんだ、いつもの通勤時に目に入っている道なのだ、今日歩いたところは。
大きな駐車場の所を通ると、石碑がある。この石碑は知らなかった。
ここに何があったか。何の跡地だったか。
ここに、学校があった。ああ、そうだ、ここ、学校だった!
その名が刻んである。
忘れていたなあ。そこにゆかりのある人だけが懐かしがって、縁のない人たちは知らずに通るのだ。
だから、このように石碑があるのはよいことだ。そこに歴史があったわけで。
すると、自分の大学の跡地にも石碑はあるだろうか、と思い巡らした。
街の中にあったことすら、今の時代の人たちはわからない。
郊外に続々と高校や大学が移転していった頃。
その跡地にリハビリ散歩で行くには勇気がいる(距離的に遠い)が、今の所、疲れを知らない私なので、行ってみよう。
帰りはタクシーか夫に迎えに来てもらえばいいかな。

そういうわけで、今日の所要時間は1時間20分。
6時50分に出発して8時10分頃帰宅した。
ノンストップ。信号待ちぐらいだ。
程よい街に住んでいる。距離的に、文化的に。

写真の「まるごとバナナ」は私の朝食です。
連続すると、夫に怒られています。
食べるものの中で一番ハマっているものです。
食の好みも変わってきた。






(2021/10/25)朝のリハビリ散歩について

2021年10月25日 16時05分37秒 | 日常、仕事、認知症
9月から、杖なしのリハビリ散歩をしている、と書いたが、まもなく丸2カ月経とうとしている。一日も休まなかった気がする。
雨の日も傘を持たずにカッパを着て歩いていた。自宅を含んだ一角を歩くだけなのだが、杖を使わないということが定着して、この1ヶ月は夫との買い物でも杖を持たなくなった。近くの病院に行く時も持たなくなった。杖を使わずに長く歩く、怖がらずに歩く、というのが目標だった。杖に頼れば安心感はあったし、すれ違う人たちも杖を見て理解してくれるし、やはり掴まる所、物がないと
恐怖心が先に立った。
入院していた時の、外歩きのリハビリでは、杖無しの時もあった。しかしリハビリの先生の手もあったし、常に注意を払ってくれていたという安心感があった。

昨日、今日の朝リハビリ散歩では、歩く距離を伸ばしてみた。昨日は、官公庁のある所まで歩いた。朝、6時出発である。
いつもは朝6時半に夫の出勤に合わせてそれまで戻るような距離、あるいは夫が出てからの散歩(7時までには帰ってきたい)に
していた。
昨日は好きな時間にやれるだけ歩いてみよう、と官公庁街まで行く。そこまで歩くのはあの3月11日の震災記念日に帰りに歩いて
(杖あり)以来である。
そして今回は往復歩きであり、我ながらよく、歩いたものだ、と感心。夫はさすがに心配していた。そこまで行く、とは言っていなかったので、いつもの一角の散歩にしては遅い、と思ったのだろう。
全然疲れなかった。それが第一。もっともっと歩けるような気がした。
反省点は、お金を持たなかったこと。何があるかわからないし、途中タクシーを利用することや、飲み物を買うことも考えて
少しの金額でも持ったほうがいいなと思った。
今日は、6時前に出て、官公庁の方には行かなかった。一角を二角にしてみた。
前日の距離には及ばないが、夫の出勤に間に合った。
そして、まだこれは勘違いの部類かもしれないが、膝が少し伸びたような気がする。
違うかもしれない。
が、そんな気がして、家の中を歩くと左足の沈みがあまり感じられなかった。
否、明日はどうなのかわからないので、昨日今日の感想ということで。

(2021/10/22)北海道の妹家族 その2 10月の訪問者②

2021年10月22日 14時28分10秒 | 日常、仕事、認知症
10月の
第二週の土曜日、妹家族が来仙した。
ほとんど唐突な感じがしてならない私だった。確かに、私の入院時に、「来年、仙台に会いに行くからね。」と励ましのメールを
受け取っていた。
当時、妹もガンの手術をした後で、何かと不安な時期だったと思う。
私たちの母親がやはり頭の病気(私はクモ膜下出血と記憶していたが、妹の話では脳梗塞だった、という)で亡くなっている。
そして、母親の妹である、私にとって育ての母も3年ほど前に脳梗塞を患い、大腸がんで亡くなっている。
妹も私も、そんな年頃になった。「来年行くからね」は慰めの言葉と同時に、目標でもあった。そして本当に叶えてくれた。

遠い遠い北海道の真ん中から彼女たち3人はやってきた。どういうスケジュールで動き、どの時点で会えるのかも定かではなかったが、そこは「歴女」の姪がきちんと仙台滞在時の緻密なスケジュール管理をしていた。
初め、旦那さんも来る予定、飼っている猫は家にて留守番、因って1泊の仙台である。しかし、旦那さんの仕事の都合で彼は来られず、猫ちゃんの心配も軽減。

空港に着いて伊達政宗ゆかりの場所に行ったようだ。
この姪、以前ブログに登場している。何度か仙台に来ていて、伊達政宗に関することを調べている。私の存在は、あくまでも調べもののついでに会う、というもの。私に会わずの来仙もあったらしい。
もう一人の姪。彼女はほとんど初めて会うと言っていいほどの存在。何しろ、1歳か2歳の赤ちゃん時代。妹の話によると、私が,
1997年に北海道に行った翌年に彼女家族が仙台に来ているという。私、記憶にないのだが・・・・。
二人の娘は非常に素直に明るく真っすぐに育っていて本当に感心した。妹の病気の不安も払拭できるくらいの明るさ、希望の娘たちである。彼女たちを見つめる私の気持ちが、結構今回の来仙の収穫の一つかな。見ていて温かくなるのである。

(2021/10/20)10月の訪問者 その② 北海道の妹家族。その1

2021年10月20日 14時02分41秒 | 日常、仕事、認知症
                 
                 ナナコとサツマイモのしっぽ。

卒業生とはラインで連絡を取り合って、これからも意識してこちらに来た時はうちに寄ってもらおうと思っている。


10月のイメージは、9月の雨から解放されて秋晴れの青空やカラッとした空気で私の身体が過ごしやすい季節。
ところがそうはいかず、気温が低く、何より、どんよりした空、青空の少ない日々が続いている。
夏から秋にかけてのイメージが悉く覆されている。
8月。暑い暑い、私の一番苦手な月である。しかし、今年は低温の月であり、過ごしやすかった。それでも、暑さで倒れる危険性があるので
油断はできなかった。
9月。惑いの月。この月は、自分にとって曖昧な、不安定な月、と10代のころから思っていたから何十年も固定している。しかし、もしかしたら、愛着のある月になっていたのかもしれない。9月は雨がつきものだ。週末はとかく雨になって、ガッカリ感があった。それが私の9月のイメージである。
ところが、今年は8月の寒かった分、9月は「遅れてきた暑さ」であった。だから、私の動ける時間帯は早朝ぐらいだった。
10月は先ほど書いたように、いっきに冬になりそうな寒さが続いている。
今日の太陽も束の間、さっき雨がいきなり降った。風も強そうで、北国なら雪に変わりそうだ。

10月の第二週の金曜日、隣の家と共に、植木屋さんに来てもらって電線に架かりそうな木を思い切り、切ってもらった。
視界が広がるようだ。明るくなった。
そんな庭をスッキリさせて、翌日土曜日、北国から妹家族を迎えた。

旭川にいる妹家族。彼女と会うのは1997年に私が北海道に行って以来だ。
私はその後、2010年に北海道に行っているが、妹には会っていない。旭川には行ったにも拘わらず。
その辺の話も今回の再会で出てきた。

いったん更新。左手の動き、イライラする。あああああああ、と連続して打ってしまう。左手のしびれは治らない。



(2021/10/20)10月の訪問者 その① 卒業生。

2021年10月20日 11時55分28秒 | 日常、仕事、認知症
          
          最近、オーディオルームの椅子で寝るのが少し気に入っているモーさん。

ほとんど、人に接することがない私に、この10月、二組の訪問者が2週続けてあった。

10月第一週の金曜日に、友人(卒業生)が急遽来仙。実家のお母さんの病院の付き添いで。
彼女とは2年ぶり。一昨年の夏にやはり急遽来仙。
2年ぶりとはいえ、私にとっては病気前の自分は過去の人間に思えているので、物凄く「お久しぶり」感が強い。
彼女にとっても、気弱になってヨレヨレになった私と会うのはどんな心境であろうかと。
彼女の夫も私と同じ病気でリハビリに通っている。数年経つ。だからその意味では、彼女の方が、この病気については家族の一員として先輩なのだ。
そして彼女も、彼女の夫も、私の見える範囲として決して後ろ向きではない姿を見せてくれた。
うちのように、二人暮らしである。が、友人や仕事仲間や近所の人たちの付き合いが濃密で、ふさぎ込んでいる暇なし。
そのように生活している。
2年ぶりの彼女は、相変わらずピンク色の髪だ。その奇抜な色に、全然驚きの気持ち持たず。都会の色だなあ、と。
でもちょっと痩せている。もう少し太ってほしい。
雨の中、うちの近くに来てくれた。
いつものホテルで食事をして、彼女の両親、私の夫にテイクアウトの中華を買い、私の家に。
過去、うちに来たのも20年以上も前だ。夫の父親が生きているころ。
ホテルのレストランでは長居ができないので、うちに来てリラックスして話す。
専ら、私にスマホなどのイロハについてご指導。彼女、かつての私の教え子であるが、今や、私がアナログな頭の生徒であり、彼女が教師のようなもの。
で、Twitterというものをやったのだが、モーさんばかり。
今、あれこれ勉強中である。
彼女は色々お世話したい、と言ってくれる。
私は「お世話されたい。」と答える。
ライターだから、こちら地元に戻ってきてリモートでもやっていけるのでは、と言ったが、
「都会の色」になじんだ(むしろ、東京のほうが長い生活)彼女は考えていないようだ。




(2021/10/20)今日は久しぶりに太陽だ。

2021年10月20日 09時23分54秒 | 日常、仕事、認知症
ケナガの今朝の姿。サツマイモのしっぽの部分が折れて、それに夢中。


ナナコも夢中。


モーさんの昨日の様子。
お昼にうちに来て、サンルームで少しくつろぐ。
夜も来ると思っていたが、結局1度も来なかった。

そして今朝、早朝暗いうちから窓を開けて何回も外の様子を見たがヒットせず。
諦めて、リハ散歩に行こう、途中モーさんの自宅付近を見てみよう、と出かけようとしたら
モーさん、塀の上を歩いてくる。そしてサンルームから部屋に入ってくる。
昨夜は来なかったね、とモーさんの身体の匂いを嗅ぐと、タバコの匂いがしたので、飼い主の部屋に一晩中いたんだなあ、と安心と複雑の混じった心持ち。
台風の時も来なかった。当たり前。翌日会った時に匂いを嗅ぐと、タバコの匂い。モーさんは、自由人なので、夏は夜中であろうと外の屋根にいたり、近所の自分の好きな
所で過ごしたりしていたから、タバコの匂いは気付かなかった。しかし、一晩中部屋にこもっていれば、さすがに匂いは体毛につく。あの匂いが、飼い主の所に帰っているという
確信をもたらした。
そして今朝の匂い。君は、飼い猫、良かった・・・と思わせる。ケナガやナナコの飼い主でもある。しかし放棄される。他の猫たちの姿一切見ない。皆、どうしたのだろう。
モーさんだけが特別なのか。一体、飼い主はどんな思いで、猫を飼っているのだろう。
ま、いいや。現状をしっかり受け止めて可能な限り、目の前にいる者たちを大事にしていこう。

さて、PCからのブログを書いているが、
左手の動きが思うようにいかない。それは退院して触れて十分自覚しているのだが、その自覚を突き付けられるのが怖くて
パソコンから離れている。しかし、画面が大きいのと、文章がたっぷり打てるのがやはりメリットは大きい。
左手指のリハビリも兼ねて、頑張れや、トモロッシ。
あんなに、あんなに、仕事前に、起きたらすぐPCを開いていたのだから、それを踏襲せよ。

10月の週末に友人やら、妹家族やら来たことを書きたい。

(2021/10/5)10月のブログ始め。

2021年10月05日 08時29分39秒 | 日常、仕事、認知症




10月に入って最初のブログ。
左手の動きが以前の半分。
そして、パソコンが新しくなって日が経つが、慣れることの億劫さでずっと遠ざかっていた。
スマホでの便利さと文字の小ささ、そして写真が上手くいかないことの正負を抱えていることの煩わしさ。
今日はパソコンから発信だ。その練習だ。


9月に入ってこの1か月、杖なしの歩きの練習をしてきた。
3日坊主になるのではと思ったが、今のところ休むことなく続いている。雨の日もカッパを着て(傘は差さず。)自宅を含んだ一角を一周している。
普通に歩けば10分もかからない。それを20分くらいで歩く。杖なし、というのが課題。軍手も欠かさず。
万が一、足が引っかかったり、転んだりしたときに咄嗟の手つきの時の保護のためだ。
朝も日に日に夜明けが遅くなり、暗いうちは避けて、6時前後に出ていく。そして、定期的ではないが同じように朝の散歩をしている人や走っている人に会うと、
軽く会釈をしたり「おはようございます!」と声を掛け合う。今の所、足を引きずって歩いているのはこの私だけ。
やはり、私より年配の人でも、サクサクと歩きが速く、いかにも健康に良い歩き方。真似をして、速度を速めたりしても、2,3歩だけ。あとは私のいつもの歩き方だ。
とにかく杖なしの歩きに慣れることや杖なしの自信のために、毎日頑張ろうと思っている。
またあとで。
やはり、パソコンの方が長く文章を書きやすい。


(2021/8/21)モーさんに夢中な私。

2021年08月21日 12時41分02秒 | 日常、仕事、認知症




昨日は朝に会って日中はどこかにいたようで、会えたのが6時半過ぎ。屋根の上から私の姿を見つけて駆け寄って来た。私は、スマホの写真を撮るのにブログ→編集画面→画像フォルダ→キャメラマーク→撮影の過程を踏まなければならないので、ベストな場面を逃しそうだ。そうして撮ったのがこの2枚。もう、モーさん嬉しくて嬉しくて、私の安全長靴をガシガシ囓ったり蹴ったり。もうこちらとしてはタマンない気持ち。
そして今日も愛を互いに確認し合う私たち。

モーさんを数年前に初めて見た時、「この子、おでこ狭い。あ、首輪付けている!飼い猫だ!耳もカットされている(から、去勢してある。)。」野良猫かと思いきや、首輪が「飼い猫」を物語っている。
昨年の初めごろ、小さい小さい子猫たち数匹も首輪を付けてウロウロしているのを見かけた。
ある日一斉に首輪が外された。モーさんもだ。いつも外にいるので、薄汚れて、野良猫のようだ。猫に興味ない人はモーさんを見たら、野良猫と思うだろう。牛模様。夫は「牛田モー(分かるかなあ)から、モーさんにしよう。」と名付けた。
私は今、モーさんに夢中です。のめり込みたくないけれど。


(2021/8/20)ブログに写真を載せられない。

2021年08月20日 12時13分06秒 | 日常、仕事、認知症
朝からショックで。
いつものように、朝のモーさんを撮って、いざアップロードしようとすると、撮った写真以下全部が薄白くなって、アップロードできない。
昨日までできていたのに。
ちなみに、今朝撮った写真をラインの友人には普通に送られた。
自分のスマホそのものが壊れたか、ドコモショップに行かなければならないのかとも思ったが、ラインでは朝撮りの写真が送られたので、スマホが
原因ではない。
画像フォルダを押して、アップロードするとき、ファイルを開くと画像が白く何回押しても選択できない。何が原因なのか色々オンチな私にはわからない。
パソコンは、つい最近新規にして、夫は喜んでいたが、私は入院中にスマホに慣れてしまって、新しいパソコンには2、3回しか触れていない。左手の動きのもどかしさがあるので、まだ文章を打っていない。youtubeを大きな画面で観たりするぐらい。