どんな人も、その人生の課題があると私は思っている。
これはよくブログでも書いていますが・・・
もしかしたら、そんなものは何もなくて
人間が何かしらの理屈をくっつけて
生まれること、生きることの
理由を欲しているだけかもしれないけれど。
本当に何も理由なんてないのかもしれない。
けれど、私は理由があったほうが「生きやすい」し
理屈っぽい人間なので課題があるのではないかと
あれこれ考えるほうがいい。
話を元に戻すと・・・
その課題は家族だろうが、子供だろうが
どんなに身近な人が辛くても
実際的に他人が助けることはできない。
外側からサポートをしてあげることはできても
本質的に変えることも立ち向かうことも
本人にしかできないから。
どんなに周りでやっきになっても
本人が変えたいと思わなければ何も変えることはできない。
この課題は人生の中で度々突きつけられるけれど
それに気づく必要が自分自身にある。
いつまでも勢いや激しさだけで見ずに力ずくでねじ伏せていても
自己完結の中以外のものから
自分の力だけでコントロールできない部分をしょい込み
課題に向かわなくてはならなくなる。
強制的に力を抑えられるということなのかな?
どこか、適切な時期をいつも見過ごせば
失うものも物事も大きくなっていく。
人は人・・・
冷たく聞こえても、ある一線はどうしても越せない。
だからこそ、課題に向かう大事な人には
温かいサポートをしたい。