★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

場所との相性

2023-07-30 | ちょっと、ひとりごと

今はヴァーモント州にいて
明日はニュージャージー州のお兄さんの家に戻り数泊して帰る。

ヴァーモント州はいいところだ。
自然が豊富でとにかく気持ちいいし人もいい。
冬はとにかく雪深くなるので大変だろうけれど綺麗なところだ。

前回は冬に来たのと、旦那さんの家族もいたので
どこかへ観光に行った記憶もなく
ホテルから夕飯に行ったくらいしか印象がなかった。
今回はあちこち移動したので色々な街をみられ
本当に綺麗な場所だとわかった。

比較すると、私が知っている範囲では
ニュージャージーはあまり個人的には肌に合わない気がする。
その土地に詳しくなくても何度も行って滞在していると
それとなく雰囲気は感じてくるものだ。




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客観的に見る

2023-07-26 | 最近おもうこと
好きな人、大切な人たちについて
かなりの高い確率で正しく客観的に見ていないことが多い。

記憶については特にひどいものだ。
綺麗な思い出になってしまう。

人の見方、判断なんてそんなものだろう。
自分が思っているよりいい加減なのだ。

もしも映画を見るように見ることができたのなら
自分役のキャラクターに
どんなことを言って、どんなふうに思うだろう。

物事に対してあまりに近すぎる見方をすると感情的になるものだ。
逆に感情的になりそうな物事の時は意識して距離をとって
考えてみたほうがいいということだ。





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愛というもの

2023-07-25 | 最近おもうこと
人間にとって愛を理解するのは最も難しいのだ。
それを体験し理解し近づくために生まれているのかも知れない。

エゴ、甘やしなどと混同する人が多いのだ。
愛は本来誰も犠牲になることはないと私は思っている。
そして軽やかだ。

そしてそれは個々が体験し感じ、理解するもので
誰も自分自身で体験し感じずに本から学べるものではない。
理論や理屈から愛を表現できないのだ。
愛の深さ広さも人によって違い、また物質的な豊かさとは比例しない。

愛のかけらもないのに社会的にどう見られるかだけで
自分がやること、あり方、振る舞い方などを決めたりする人は多い。
「この立場ならこうやるべき。。。」
こんな人は、一瞬のうちにもまず考えてから行動するだろう。

愛と言って、個々のエゴや甘やかしを押し付け合っている場所は
いつでも問題ばかり湧き上がりストレスを生み出す。
愛があるのならなぜ押しつけるのだろう?

愛があると思っている場所で問題が起こるのなら
自分もしくは相手が同じレベルの愛の中にいないのだ。
もしくは愛だと思っているだけで勘違いだ。

自分自身も愛の中に在ることを選択できるように
他の人たちも個々に選択しているのだ。

本来、そこに愛があるのならとても軽やかな心の自由がある。
しかし、またその自由という意味も
エゴや甘やかしと勘違いしてしまっている場合も多いので
こればかりは自分で多くの体験をし感覚を得ていくしかない。
簡単なものではない。

また愛は比べられるものでもないし
見せ合えるものでもないし
誰かから冷たいとか非難される場合もあるかも知れない。

常に自分の愛を大きく保ち輝かせることを意識しないと
周りによって簡単に萎んでいる。
坂は登るのは大変なのに簡単に転がり落ちるものだ。















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半端なくネガティブな人たち

2023-07-24 | 最近おもうこと
昨日、車で買い物に出掛けているときに目にして驚いたもの。
なんと、教会でドライブスルーのお祈りがあるのだ。
ここはラスベガスではなく普通の住宅地だ。

マクドナルド?
教会?
そんな並びになったのかと愕然とした。
いつも思う。
宗教とは人々にとって何なのだろう?

日本のような比較的大きな違いの少ない民族すら
家庭や人によって考え方は違う。
けれども、外国に来るともっとその違いはあり
かなり離れたところから見ている分には
まだ何とかなるけれど、
それが関わることになるのはかなりシンドいものだ。

半端なくネガティブな人たちも多く
露骨にそのネガティブをばら撒いてくる。
精神的に不安定な人がとても多いのもわかる気がする。

自分のことを健やかに保てないのに
人の問題に首を突っ込みたがる人も多いのは
自分自身を見なくてすむからかも知れない。
自分のことは少なくても
自分で取り扱いできるようになったらどうだろう?

普段、冷たいと言われようが
個人的にははネガティブな人や
それを甘やかす人とは関わらないけれど
それは、私は人の問題にかまけている余裕はないのだ。












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人生の課題

2023-07-23 | 最近おもうこと
それぞれが各生において
大きな精神的課題があるのだと私は感じている。
自覚できるか、自覚するかは別として。。。

その中で、さまざまなな体験を通して
さまざまな選択をしながら自分で課題に向き合っていく。
もちろん、課題と向き合うのは大変だろう。
なぜなら、その課題は気づけと言わんばかりに
どんどん問題を大きくして
私たちに向き合わせようとしてくるからだ。

人によっては課題と気づかなくても
同じような苦難にぶつかっていくうちに
自分なりの問題を見つけ解決していく。

または、問題をただ見ないようにするだけで
やり過ごそうとする人もいる。
けれども、この場合は問題は解決してはいないので
いつまでも付いて回る。

若いうちに取り組むこともできるし
歳を取ってから取り組むこともできる。

若いうちは誰かが精神的に守ってくれる機会も多いけれど
歳をとって自分が誰かを守る番の時には
誰にも守ってはもらえないことが多い上に
自分自身もその問題は堪えるのだ。
自分の課題は自分でしか対応できず
誰も肩代わりはできない。

何か、辛い、苦しい問題が起き
また繰り返し似たような問題があるのなら
いつまでも避けてばかりいずに
しっかり自分で向き合うほうがいい。

歳をとって、誰にも守ってもらえない状態で
1人きりで大きくなってしまった問題に向き合うのは
より辛く苦しいものになるだろう。
いつまでも課題を見ないように
自分の人生を誤魔化していくことはできないのだ。

しかし、この人生で対処できなくても問題ではない。
課題を残したまま
いつの生かで新たに対応していけばいいだけだ。

大きな問題を嫌だ、できないといつまでも泣き言を言い続けて
人生を終えることもできるし
しっかり自分の問題を見つめ
自分なりに対応し納得して人生を終えることもできる。





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英語力低下

2023-07-22 | ちょっと、ひとりごと
今回の里帰りでは私も一緒に来た意味はなく
義母も喜んでいるのかも疑問な状態でがっかりだ。
私自身も、ただ義理のお兄さんの家で
ベットの上かリビングの小さなテーブルにいるだけ。。。

2年前に義父が危篤できた時は
例の義理の姉はまだ義理の兄と結婚まもない頃だったせいか
もう少しいい人を装って立ち回っていたので
私のつたない英語も理解してくれていた。
でも今回は、前回にも増して
ある意味パワーアップしているせいか
私の英語力が低下しているのか全く理解しない。
不思議なことに私が夕飯を手伝うときだけ理解するのだけれど。。。
大抵、悪い言葉か叫んでいるか不満や文句を言っているので
私自身も自然と聞かないようにしてしまっている。

義母は義父が亡くなった後から
耳が悪くなり補聴器をつけていても何だかよく聞こえないらしく
ネイティブの話も聞き返すので私の英語を全く理解しようとしない上
話したくなさそうなので私も話しかけるのをやめてしまった。

そんな感じで、私の英語力がさらに下がったのか何なのか
さらに私の英語への自信は急降下している。







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2023-07-21 | 日々のこと
昨日の夜、気分転換に歩いて20分くらいのところにある
アイスクリーム屋さんに行った。

私はアイスクリームのコーンも好きで食べるのですが
前回のコーンはシケっぽかったので
今回はワッフルコーンにした。
昨日はアルバイトらしき子たちとお友達でおしゃべりしていて
やる気なさげな状態だったので何となく嫌な予感はした。
案の定、私の楽しみにしていたワッフルコーンに何のカバーもせず
手袋もせず素手で握って持ちアイスを乗せて私に渡してきた。。。

気にしないで食べる人もいるけれど
さすがにこれは気になって食べられなかった。
今まで3人で何かやってて手を洗ったのか分からないし
清潔そうに見えなかった。

がっかりしながらアイスだけ食べて歩いていると
ポツポツ光るものが。。。
蛍があちこちに飛んでいるではないか!
人生で2度目に見る蛍。
癒される。。。

すっかりご機嫌で家に帰りました。



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何でも大変そうにする人たち

2023-07-20 | ちょっと、ひとりごと
昨日は相変わらず混沌としていてほぼ家にいた。

すったもんだの末、
結局家から持ってきたオートミールを3時ごろに食べることに。

部屋にいると5時半ごろ、
義理の兄が「夕飯だよー」と部屋の外で言っていたので
慌てて部屋から出て台所に行くと
旦那さんが(義理の兄)手伝うと言ったのに来ないと
義理の姉は半ヒステリックに文句を言いながら
冷凍パスタを付属のケースに入れていたので
「手伝うよ、何したらいい?」と慌てて聞くと
付属のチキンをその上に乗せてさらに付属のソースをかけて
温めればいいだけだと説明されたので
それを開けてレンジに入れだ。
すると、来た旦那さんに
「今度の旅行は行かない、休暇まで家事に追われたくない」
だの何だのヒステリックに怒鳴りながら
出来合いのサラダを皿に投げ込んでいるので
「次は何すればいい?」と聞くと
きゅうりとトマトを切って乗せるだけだと言うので
「やるよ」と私は言って落着した。

日本人の私からしたら
袋から出してチンするだけ、
袋から出して皿に盛るだけ(もちろん洗わない)
少し切り物はあったけど。。。
それだけで、半ギレになる程大変な家事なのだと驚く。

いつも、そんなものを食べていて
ピザを温めるとかした生活だ。
今日はたまたま私たちが家にいたので
十分な量があった2人の食事から分けてもらったけれど
特に私たちのために料理したわけでもないのだ。
けれども、そこにいる身としては
そんなことでストレスになってもらいたくないし
負担をかけたくないので私たちの食事の心配はしなくていいと伝えた。
今まで2度ほど食べたけど。。。
その上、義母が何を言ってくるのか分からない上に
行くと言った次には行かないと言ったりし
旦那さんはそれに全て合わせている状態だから
予定も立たない。
とにかく、義理の姉には何もしなくていいと言っている。

一番の家で極力食べたくない理由は
汚いからなのだけれど、
ある程度扉の中とか綺麗なら自分で料理もするけれど
ここは、そこにある道具も使いたくないほどなのだ。

しかし、義理の姉は自分は綺麗好きで
家事をとてもしていると思っている上に
本当に小さなことでコメディかと思うくらい
恐ろしいほど感情的になるので
私はテーブルを拭いたりすることも気を使うので
見てないところでさりげなくサッと拭いている。

猫たちがテーブルの上も台所のカウンターの上も歩き回るので
どこもかしこも毛だらけ、埃だらけ
何かのカスや猫のトイレの砂?石のようなものが散乱しているけれど
自分の家のことは気にならないのだろう。。。

話を戻すと、彼女だけに限らず
材料自体を料理せず、袋から出して温めるだけのことを
料理すると言ったり、大変そうにする人たちを見ると
日本人だからかいつも私は驚いてしまうのだ。










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きれい好きの基準

2023-07-18 | ちょっと、ひとりごと
昨日は雨だったこともあり一日家にいた。

私にとってはどこもかしこもかなりの不潔さなので
極力、床に私物は触れたくないので
家にいるときはベッドの上に座っている。
昨日の夕食の時に台所にある小さなテーブルと椅子の上を片付けて
消毒スプレーで拭いてくれていたので
それからはその椅子に座っている。
とにかく冷蔵庫の中もどこも
なるべく見ないよう開けないようにしている。

お兄さんの奥さんは何をするにも
ため息をついてのっそり億劫そうに動く。
彼女の発言を聞いていると
自分は綺麗好きで綺麗にしていると思っている感じだ。。。
つくづく皆んな自分のことは見れないのだな〜と思う。

何かと比べてどうか?という部分もあるだろうし
自分を軸にして何が心地よいかという部分もあると思う。
もしも、他と比べていたら基準はある程度あるのかもしれないけれど
自分を軸にしていたら、
その基準自体かなり人それぞれになるのかもしれないな〜。







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もてなし上手

2023-07-17 | ちょっと、ひとりごと
昨日、お兄さんの家のお隣さんがパーティーに誘ってくれた。

この辺りの家はプールがあるところが多く
お隣もプールに入りながらのパーティーで
親戚たちがメインで少しお友達といった面子だった。

とても感じのいい人たちで
35人ぐらいがそれぞれ自由にプールで遊んだり
食べたり日光浴をしていた。
80代くらいの女性たちも水着でプールに入りながら
おしゃべりを楽しみながら日光浴をしている。

そんな光景を見ていると
日本人もこんなふうに楽しむことも必要だと感じる。
外で陽の光を浴びることも、
誰かとおしゃべりを楽しむことも大切だ。

多くの西洋の人は日に浴びたがるので
夏場の海水浴場やプールなどでは肌を露質してに日に焼けるのを好む。
身体の多くのそばかす?シミ?やシワなど気にしていない。
どんな体格であろうと幾つであろうと水着で海水浴を楽しんでいる。
そういった所には、
この年齢だから水着は着ないとかこの体格だからとか無い。
精神の健全なところにくだらない問題もあまり起きないのだ。

人寄せをするのが上手い人は
人に気を遣わせず上手にもてなす。
完璧にもてなそうと頑張ると相手にも気を遣わせるのだ。
呼ばれる側も食べ物がどうだったとか批評をする人たちがいるけれど
そのような多くの人たちは自分達では人寄せはしないものだ。
何事も自分で実行しない人に限って他人への批評は激しい。

私も以前は人寄せの時にはきちんとしたお皿や料理にしていたけれど
だんだん気楽なものになっている。
こちらが構えれば、相手も構えるし気を使ってしまう。
気付かないふりじゃ無いけれど、手を抜くぐらいでいいのだ。
細かなことは気にしない気楽な雰囲気が上手にもてなすのだろう。







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