数日前に帰って来た翌朝、仕事で電車に乗っていて
平均的にお洒落で小綺麗にしている国民だなアとつくづく感じる。
何処に行ってもだいたい清潔だし
何でも丁寧な対応をお客さんに対してする気がする。
外国でも都会でオシャレな場所だと日本と変わらず
また忙しかったり沢山のモノに溢れているだろうけれど…
とにかく、今の日本は安くて良いモノに溢れている。
100円ショップなんて凄いことですよ!
品質もお洒落さも品揃えも!
何でもありますからね〜。
それも、100円で!
当たり前の中にいると、
つい嫌な部分ばかり目がいって不満も出てくるけど
良い面がいっぱいある。
恵まれすぎていると
気がつかなくなってしまうのかもしれませんね。
多くの人は私と同じように無自覚なまま気づけば40、50歳など
と言った年齢になっていたりするのではないかな?
自分の中では何も変わらない。
でも、世の中からは若くはない位置に置かれる。
見た目だって、20代とは思われることは無いだろう…
肉体と精神のバランスは面白いものだ。
例えば俳優さん。
つい先日までは高校生役や恋愛ものなどの役だったのに
数年後には母親役になっていたりする。
私生活では結婚も子供もまだなのに
20代から30代前半からでもいきなり母親の役。
それこそ孫のいる役だったり…
そんな風に、実際の私達も役を演じるように
人生の時期を過ごしているのかもしれない。
中身の感覚と演じる時期が必ず合っているわけでは無い。
ただ、実際の生活も役も同じように
自分で選択して引き受けるわけだけど
中には、そんなはずじゃなかったと
途中で降りる場合もあるかもしれない。
どの俳優さんも、ずっと高校生の役だけではない。
逆に若い時からずっとおばあちゃんの役でもない。
それぞれの年代で、
それぞれの役を周りから演じさせられる。
いつだって、私たちは時代によって多少違ったとしても
周りからの「普通」のようなものを押し付けられてしまう。
結婚に焦ったり、子供を産むことが普通
この年齢だからこれが当然だといった社会の「普通」
という暗黙の圧力がある。
それぞれが、そこの社会において自分側の立場に立って
他人にも同じ側を当てはめようとしてしまう所があり
その役を演じ無いことに違和感を抱いたりする。
大多数が同じように演じないと不安になるからかもしれない。
でも、その役でしっくり来る人もいれば
しっくり馴染めない人もいるし
演じて見てはいるものの
内心ではやりたくないと思い続けている人もいる。
もちろん、自分が演じる役に没頭でき
イキイキ演じられるのが一番良いものを発揮できるだろう。
だから、みんながその時の役を引き受けるのか
引き受けないのかの選択をする中で
引き受けた時は責任を持って没頭し演じれば
素敵な舞台に仕上げられる。
配役全てが大事な役割で必要で
他の役者にとやかく言っている暇はない。
それぞれが、いいキャラクターだ。
自分が思っているほど、出来ていない。
自分が思っているほど、ダメでもない。
自分が思っているほど、理解していなし
理解もしている。
そこそこって所なのかも…
得意なものがあろうがなかろうが
自分が感じているほど皆んな大差ないのかもしれない。
それなのに、自分の人生を活かしきれずに
モヤモヤしまう時がある。
そんな繰り返しで人生を進んでいくのかもしれない。
学ぶことも実行することも、そのままでいることも
変えることも全て自分で選択できる。
どの人生も全て活かすために在る。
活かすための能力も準備も常に整っている。
後は自分がいつ、どうヤル気になるかだけだ。
昨夜は何だか嫌な夢で明け方目を覚まし
そのまま眠れず、とても疲れていたので
旦那さまを送り出してから珍しく再び二度寝…
そしてまた、夢で疲れて起きたので寝るのを諦めた。
考えてみると、ここに来て熟睡していないような気がする。
ベッドのせいか枕なのか場所なのか、何だかスッキリしない。
まあ、次に来る時には自分の家に住むので
気分的にも落ち着けるのではないかと思っている。
明け方起きた時、夢のせいで気分が落ち着かず
日本に帰ってからする仕事のことなど考えて
何だか割りが合わなかったかなぁとか色々考えてしまった。
その上、考えてみると残された人生何事も無ければ
30〜40年くらいなものなんだと改めて思い
死ぬ時どうありたいか考えて逆から想像してみたら
何だか今まで何も成し遂げていない人生だったと
嫌なきもちになってきた。
本当に何も人生でやり遂げていないし何も残していない。
本当にドンよ〜りモヤっと重い気分になって
グルグル嫌な思考サイクルに…
んっ…?
何でそんな今から変えられないことで
クヨクヨしてるんだろう?と気づいた。
こんな思考を手放さないとね。
仕事で割りが合わないなら
次はやめればいい。
自分に条件に合うのならやればいい。
割りが合わないのに引き受けて安い仕事をすることになる。
私のいつものサイクルだ…
もっと、自分を上手く売ることをしないとだ。
合わなければ断る!
やりたくなる仕事をしよう。
これ、次回は断る方向かな…
人生30〜40年しか無いのに安く使われて
時間を無駄にしている場合じゃない。
昼間、1995年くらいのテレビ映像を見ていて
そこに映っていた1/3?半分?くらいの人が既に亡くなっていて
つい24年前なのに愕然とした。
そう、私たちはついこの人生が
ずっと続くような錯覚をしてしまう。
けれど、そうじゃない。
特に、50歳を過ぎたらのんびりしている場合じゃない。
くだらない事を考えている場合じゃない。
自分のために素晴らしい時間を過ごさないと損だ。
しっかり、在りたい自分であるよう
今から過ごすことに意識を向けていこう。
もうすぐ帰国なので、今日はネイルサロンで綺麗にしてもらいました〜
足も手もボロボロだったので久しぶりに綺麗になって
何だかお手入れの行き届いている人になったような気分に。
テンションあがります!
こっちにいると、綺麗な服装で出かけることもほとんどないし
いつも身体中に日焼け止めを塗りたくっているので
オシャレな洋服も着たくはないのですね…
色々と感覚が麻痺してきます。
日本だとややぽっちゃりでも
こちらでは痩せいる気がするし
別に色白じゃなくても
皆んな日に焼けているから
自分が白く感じるし…
こちらは皆んな健康的なんですよね。
とにかく、オシャレしなくていい所だから
日本は皆んなオシャレだな〜とつくづく思うのです。
何でも安くてオシャレなものも手に入りますしね。
今まで思わなかったけれど
日本でのちょっとしたお買い物楽しみだ〜
でも、いつでも夕日に癒されます。
昨日の続きになるけれど
その時の自分が惹きつけられる人や話し
全て、その時の自分のレベルに合ったアンテナに引っかかるわけだ。
合ったものしか魅力を感じないのだから…
そうは言っても雲泥の差があるのかと言えば
きっと、同じようにここにいるのだから大差ないのかもしれない。
でも、その微妙な周波数の違いが
私たちにとっては大きな違いを生じさせるにだろう。
どの周波数が良い、ダメもなく
どれだって興味深いものなんだし
いつの間にか自分が周波数を変えてていたりもする。
努力して変えようとしてるはずなのに
変わってない場合もあるけれど…
だから、いつだって自分が魅力を感じるものを
その時はしっかり満喫していれば沢山の経験ができるはず。
沢山の経験があって
周波数を変えたくなったりする時が来る。
今を満喫さえすればいい。
同じことを聞くにも
真剣に聞こうとする場合と聞かない場合。
それとは逆に、同じことを言っているのに
聞いてもらえない場合と聞いてもらえる場合。
何かの先入観がそうさせているから。
有名大学卒だったり、素晴らしい所に勤務だったり
素晴らしい学位を持っているなど
別の部分を先に評価しているから
初めから聞く体制もある。
その道のプロが言うことなら
間違いないかもしれないと感じるならまだしも
全くその道のプロでなくても先入観で評価して
きっと正しいことを言っているに違いないと
思ってしまう人もいる。
例えばプロでも、さまざまなレベルがあり
低レベルの場合もある。
プロと言っても現役で熱心に継続していなければ
干からびたものになっている。
例えばプロでなくても研究熱心で
よく知っている人もいる。
この場合、どれほど知っているかを披露するような
ウンチクを語らなかったら
初めから熱心に聞く耳を持つ人がどれほどいるだろう?
そう考えると、外からの情報を取り入れるときに
自分がどのような先入観を持って外を見ているのか
立ち止まって見直してみることも必要だ。
何を見ているのだろう?
何を聞いているのだろう?
世の中は多くの似非で溢れている。
もっともっと、自分のカンで物事を
見たり聞いたりしたほうがいい。
何処に大切なことを言っている人がいるのか分からない。
以外な人が大切なことを知っているかもしれない。
何かを選ぶとき。
習いごと、仕事や買い物いつだって大人になると選択する。
自分も選択しているし、
自分が選んでいるものも誰かの選択の上に発生している。
特に近年では高齢化、少子化をターゲットにしたビジネスは多い。
例えば、介護。
仕事を容易に見つけられるからと言って学校へ行ったり、
条件では学費など国からの援助も受けられるし
やりたいわけでもないのに介護職に就く人もいる。
施設を作る側もビジネスを考えてだったりすることも多い。
例えば、幼児教育や塾、私立学校や専門学校などの教育機関。
ビジネス上、人気を集めるためのことを考える。
子供にあまり選択の意思のない間は親のウケ。
子供に選択の意思がで出始めたら子供ウケ。
親のウケならば、親が望む未来の子供の姿に
近づけるための教育してくれそうな所や社会的に良さそうな所。
子供ウケ…
子供に好かれることを優先しがち…
これは人材の選択が難しいところで
そこで働くことに慣れてしまうと熱心さもなく
教育内容も本人のスキルも古いものになっている。
又は子供から好かれようとばかりして点数稼ぎに走る。
そうは言っても、ビジネスではいかに利益を出すことを
考えなくてはならないのだから仕方がないのかもしれない。
生活の安定のためには
そうやって上手く社会に対応するのも
社会人と言うものなのかもしれない。
私はいい歳をしても
そんな社会に疑問を持ち続けているし
適応している社会人から見たらいい加減に見えるだろう。
でも、適応できないので
教育機関で働くときも子供ウケなんてどうでもいい。
その場所で継続して高給を貰うことより
求められるものを自分が提供できないならば仕方がないとも思うから。
ダラダラと自分のために働く教育者に教わる子供は不運だ。
上手く立ち居振る舞いをしているだけで
教えることに情熱を持ち続けられないのなら辞めたほうがいい。
教育機関も単に好かれているかを重視して
教育の成果を見る事ができなければ
いい人材を雇い続けることも難しいだろう。
ビジネスというイヤラシイ視点から成り立っているものは
そのイヤラシさを利用すれば自分にも利益があるだろう。
でも、長い目で見ると安泰とは言えない。
そのビジネスの、会社の動機。
働く人の動機。
その動機の方向性を見ると未来が見えるかもしれない。
規模や目先にあるものでは計れないものがある。
自分がそこに関わる時には、その動機も見た方がいい。
しっかり落ち着いて生活ができるようになるまで
もう少しかかりそう。
ホテル暮らしなので生活用品がしっかりあるわけでもないし
シロアリの問題もこの部屋はあり…
薬を撒きに2度ほどきているけれど治らないし
身体にも良くない気がするけれど
ホテルの人は問題ないと言う。
他の部屋は全く空きがないし、
また別のホテルへ移るのも面倒なので
家が早く決まることを期待して留まっている。
私たちが来た翌日に薬を撒いていて翌日の夜にシロアリが発生したら
他の部屋は問題ないとか窓を開けたから入ってくるんだとか
こっちの落ち度のように言うのだけれど
窓なんて一瞬しか開けていなかったから
念のため、全く開けずに過ごしてみても発生している。
なので、なおさら部屋の中で料理などはしたくもない。
時間が合えばジムに行ったりしているけれど
来週は帰国なので、それも生活がまた慌ただしくなる。
先日、かなり雨が降った後に綺麗な虹を見ました🌈
二重の虹。
良いことありそう〜
最近夢の中で過去を清算しているような感じ。
色々な人が出てきて色んな話をする。
それに、私の中では忘れているような事が蒸し返され
思い出されていくようにスッキリかたがついていく。
新しいステージなのかな?
人生は不思議で興味深い。
何が良かったかなんて分からない。
ただ、自分が選択したものに責任を持って向かい合い
それぞれ後悔なく対処していくだけ。
その時のベストを尽くし
その時のベストな選択をするだけ。
それが、その時の自分にできるベストなんだから。