最近は便利な世の中になり
自分の言葉や考えを発信できる時代になった。
ブログなどの文体、ユーチューブなどの動画・・・
一昔前までは作家さんなど限られた人だけが
本を出版でき、テレビや映画に出られるのも
一部の限られた人だけだった。
新聞や雑誌などの記事だってそうだ。
それぞれに専門の職業があって
その仕事関係の人だけが特定のことについて公に発信ができた。
それが真実かどうかは別にして・・・
少なくとも責任は伴う。
公に自分の考えや情報、言葉を発信できるのは
強みであり武器にもなった。
今は、誰しもがその武器を
簡単に手に入れられる時代になった。
それは良くもあり危険でもある。
その武器を簡単に手にすることで、
力を得た気にもなるかもしれないし
その重みに気づけないかもしれない。
簡単に誹謗中傷のために使うのは
重みに気づいていないのだ。
自分が特別だと、何か力を得たような
錯覚をしていることにも気づけない。
「虎の威を借る狐」だ。
また、それらに翻弄されたり
影響を簡単に受けてしまうこともある。
まずは検証することも必要だし
少し離れることも必要かもしれない。
ブログを使っている私が言うのも変だけど・・・
意外と探しているものは、そこには無いことも多い。
もしかしたら、求めるものは
人々の必要に応じて手に入り
隠れたものもあらわれる。
自然なものには時期があり必然の流れがある。
全ては同じ流れの中にいるわけでもなく
それぞれがユニークな流れを持つ。
沢山の情報を取りに行っているつもりが
逆に翻弄され知らぬ間に真実を見えなくさせる。
自分自身を疑い、そして認める・・・
そんな、とても客観的な立場から
常に見ることが大事なのだろう。
もしかしたら、、
錯覚させること自体、簡単な世の中なのかもしれない。