★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

本物と錯覚

2021-01-29 | 最近おもうこと

最近は便利な世の中になり

自分の言葉や考えを発信できる時代になった。

ブログなどの文体、ユーチューブなどの動画・・・

 

一昔前までは作家さんなど限られた人だけが

本を出版でき、テレビや映画に出られるのも

一部の限られた人だけだった。

新聞や雑誌などの記事だってそうだ。

それぞれに専門の職業があって

その仕事関係の人だけが特定のことについて公に発信ができた。

それが真実かどうかは別にして・・・

少なくとも責任は伴う。

 

公に自分の考えや情報、言葉を発信できるのは

強みであり武器にもなった。

 

今は、誰しもがその武器を

簡単に手に入れられる時代になった。

それは良くもあり危険でもある。

その武器を簡単に手にすることで、

力を得た気にもなるかもしれないし

その重みに気づけないかもしれない。

 

簡単に誹謗中傷のために使うのは

重みに気づいていないのだ。

自分が特別だと、何か力を得たような

錯覚をしていることにも気づけない。

「虎の威を借る狐」だ。

 

また、それらに翻弄されたり

影響を簡単に受けてしまうこともある。

 

まずは検証することも必要だし

少し離れることも必要かもしれない。

ブログを使っている私が言うのも変だけど・・・

 

意外と探しているものは、そこには無いことも多い。

もしかしたら、求めるものは

人々の必要に応じて手に入り

隠れたものもあらわれる。

自然なものには時期があり必然の流れがある。

 

全ては同じ流れの中にいるわけでもなく

それぞれがユニークな流れを持つ。

 

沢山の情報を取りに行っているつもりが

逆に翻弄され知らぬ間に真実を見えなくさせる。

 

自分自身を疑い、そして認める・・・

そんな、とても客観的な立場から

常に見ることが大事なのだろう。

 

もしかしたら、、

錯覚させること自体、簡単な世の中なのかもしれない。

 

 

 

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年齢なんて忘れていい

2021-01-28 | 最近おもうこと

世の中的には40、50才台は

すっかり歳をとったように扱われている。

 

おばさん、おじさんだとかおばあさん、おじいさんとか

いちいちグループ分けをしているような言葉も色々ある。

最近ではさらに親切にも言葉を増やしている。

シニア、中年、中高年、熟年、老年・・・

「もういいって」と言いたくなるくらい言葉を作る。

よその国もそうなのだろうか?

英語ではそんなに中年以降に対して

グループ分けをするような他者が使う言葉はない。

ましてや、誰かにおじさんやおばあさん何て

言われるようなことはない。

時々、奇妙にも「奥さん」と未婚の人に

商売で声をかけるおじさんがいるのには失礼だ。

どう見ても年上そうな人が似たような年代のたいして

おじさんとかばあさんとか言っているのも変だ。

まぁ、それくらい自分の見た目年齢は

本人と他者からのギャップもあるのだけれど・・・

そんな風に、何だか40代くらいから(もしかしたら30代?)

沢山の名称のグループに人々を入れ始める。

それによって、当の本人もそんな気になっていく。

 

本題の前の話しが長くなってしまったが、

今日はそんなことはどうでもよく

当たり前だったのに忘れているようなことに気づいた話。

 

その、皆があまり喜ばないような

もう旬が過ぎたと感じているような

そんな年齢からが私たちの人生は長くなっているのだ!

 

見た目は昔より若いように思う。

精神年齢も若いせいかもしれないけれど・・・

でも、女性の閉経は大きな違いがあるわけでもないので

30代までにやっておくようなことに変化はあまりない。

最近の20歳前後の人も(大学に行っていても)

25、6歳くらいには結婚したいと言っている人が多くいる。

少なくても、30年前とほぼ変わらない思考だ。

もちろん子供のことを考えたら

20代、30代の早めには産んでおいたほうが良い。

でも、その後の人生ははるかに長くなっている。

出産できる期間が長くなればいいのに。

 

世の中は未だに50代を年寄りの部類にいれる節もある。

世の中の感覚は昭和初期のままのようだ。

50、60代ならお孫さんがいて・・・

40代?もう結婚はしないのでしょ?

はぁ?!

数字にこだわり過ぎると選択肢を狭め

人生に輝きを持たせなくしてしまう。

女性はもちろん、男性も50代になると

何故か年齢を言わない人もいるけれど

聞かれたら、いつだって堂々と自分の年齢を言おう。

(私はよく間違える)

いつだって、輝いて楽しもう。

自分でおばさん、おじさん、

ましてや他人にばあさん、じいさんなんて言われたら

無視できるよう忙しく人生を楽しんでいよう。

自ら進んで年寄りグループに加盟しなくていい。

だからと言って、無理して若作りをしようと

言っているわけではない。

美容整形や服装などのことでもない。

私が言っているのは精神的なものだ。

 

これから90、100歳が当たり前になっていくのなら

60、70、80代からだって新しいことができる。

趣味だって、恋愛や結婚だってできる。

(結婚に関しては状況により色々注意)

孫中心のおばあちゃん、おじいちゃんの

生活になってはもったいない。

自分のための人生を輝かせよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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時代の変化と個の変化

2021-01-27 | 日記

最近、よく「風の時代」についてよく見聞きする。

まぁ、時代が移行していく時にあるのは分かる。

けれども、そんなスピリチュアル、

精神世界のことについて話しているようなのに

「いち早く時代の波に乗ろう」

「波に乗り遅れては手遅れになる」

「波に乗って成功する」

 

何だか違う。

 

別にいち早く乗る必要もない。

誰かが言う時代の流れを真似する必要もない。

 

自分自身が自分なりに気づいたり変化するものだ。

誰かと同じようにしたり考える必要などない。

ましてや成功や幸せを欲するあまりに

近道を追っかけようとしていないか?

そんなものは無い。

もし、誰かがそれを差し出そうとしたら

それこそ飛びつく前に疑おう。

 

ほとんどの人は一瞬では変われない。

何度も何度も自分で思うより遥かに

気づく機会を与えられるものだ。

そんな機会に変われるかは自分次第だ。

個の変化のスピードはそれぞれ違う。

 

どんなに時代が変化してきたとしても

全てがマジックのように一瞬で変化するものでもない。

特に小さな個の変化となればなおさらだ。

大きな全体の中の小さな個・・・

浮かれることもなく

流れの中の一点一点をしっかり生きたいものだ。

 

 

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健康な心身

2021-01-26 | 日々のこと

先週後半にかなりの雨が降った後

急激に日差しが強くなった気がしたら

去年も同じような時期にそう感じていたので

やはりこれくらいの時期から日差しが強まるのだろう。

正確には12月から乾期に入るのだけれど

急激に雨期から変化するわけでは無い。

 

日差しを避けて家に籠もることはしないけれど

年齢的に日焼けには注意しないと汚くなるばかりだ。

白人の多くの人は年齢問わず気にしないけれど

(日焼け止めくらい)

羨ましいことに、そんなにダメージと言うか

汚くなっていないような気がする。

私は黄味が強い肌色のせいかススボケて見えるし

直ぐに焼けてシミになってしまう。

まぁ、綺麗な顔の彫の深さでススボケても見えないし

ピンク味が強いと小麦色でそこまで黒くなっていないようだ。

皆はノースリーブに短パンで暑がっている中、

防備し長袖の私を見て「暑くないの~?」と笑うけれど

日焼け防止と直接の長時間の痛いほどの日差しは

さすがに避けたい年齢なのだ・・・

 

通年を通して、若い時から日焼け防止をしている日本人。

昔に比べてピンク味も強く

西欧人的な肌の色になっているような気もする。

あまり日差しを避けるのも身体に弊害もあるので

そこそこ日差しを楽しむことも必要だ。

 

 

 

 

 

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仲間をみつけること

2021-01-25 | 日々のこと

人によって気の使い方は違うし

ものの考え方や捉え方だって違う。

 

違っても気にせず自分たちのペースでグイグイいく人もいれば

周りに気を使い同じタイプの人を探す人たちもいる。

 

仲間内で行動をするときは

違ったペースになってしまうと

楽しむことができなくなる場合もある。

 

特に大人同士の中に子供を連れての行動は

何回か様子を見てみた方がいい場合もある。

ペースが違う時もあるからだ。

子供の興味と大人の興味も違うし

会話や意識を使う部分やスピードが変わる。

大人同士でもしばしば行動を共にする相手を

探すのは難しいのだから当たり前の話しだ。

子供がいてもいなくても、

子供に関しての考え方は違うし教育方針も違うからだ。

 

なかなか家族ぐるみ、夫婦同士で

一緒に行動できる仲間を見つけるのは難しいものだ。

いつも大人だけなのか

同じような年の子供や人数構成、教育方針なのか

そんな所も行動できる仲間を簡単に見つける

判断にもなるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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今年は・・・

2021-01-22 | ちょっと、ひとりごと

昨日はめずらしく起きられなかった。

早く寝たのにアラームにさえ気づかず

起きるのもやっとなほどだ。

 

八時頃から雨になりしばらく降り続いたせいかもしれない。

降ったり止んだりはしても降り続けるのは少ない。

でも、今日は真逆で早朝からアラームなしで目が冴えている。

天気がいいせいかな・・・

 

今年のやることや目的などまだ考えていない。

もう少しピンとくるものを目的にしたいから・・・

「やらなくちゃ」では続けられないのも分かっている。

それくらいでは私にとって動機が弱い。

誰かに見せるものでも自分や誰かが困るわけでもない

完全に自分にとってのものだから

自分自身との約束でしかない。

 

もう少し考えよう。

 

 

 

 

 

 

 

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流れの中

2021-01-21 | 日々のこと

すったもんだしていたアメリカ大統領選だったけれど

結局バイデン氏が就任して、私の予想は外れた。

 

これから世界情勢はどうなっていくのか・・・

 

最近、私の周りでは突然の変化を

余儀なくされている人が出ている。

他人事だと思っていたようなことが

自分の身に起きてしまったような感じだ。

そんな変化を見ていると

やはり、そういう流れがあるのだろうと感じる。

変化する人、しない人・・・

 

何処にいようと慌てず

やるべきことをやるだけだ。

 

 

 

 

 

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驚いた出来事

2021-01-20 | 日々のこと

とっても仲が良く見えていた若い夫婦の

離婚の知らせを聞いて本当にびっくりした。

 

彼女も人生の中心は彼だといつも言っているくらいだったし

去年の夏に引っ越して楽しくやっているような感じだった。

 

さぞや彼女もショックだろうと思っていたが

始めの2週間は大変だったけど今は大丈夫と言っていたので

少し不思議に思ったけれど強がりだろうと心配をしていた。

でも、本当に今は大丈夫だと彼女は言っていた。

すると、共通の彼女たちと仲のよかった人から

どうやらずっと前からギクシャクしていたらしいと

聞いてさらに驚いた。

7年の結婚生活にピリオドをうった。

 

若く、お互いを知らないうちに情熱の勢いで

結婚したのだろう。

誰かが言っていたけれど、

愛情は7年で冷めるらしい・・・

私はこれは「情熱は」の間違いだと思っている。

 

理由は聞かなかったので詳しいことは

知らないけれど

でも、何よりも悲しいのは

どちらかの心か、お互いの心が冷めているのに

愛していると言っていたり

仲がいい振りをし続けていることだ。

そんなことをする必要はないのに・・・

みんな全く分からなかった。

子供もいない二人に

そんな悲しい偽りの生活を演じる理由もなかったのに。

 

2週間で立ち直った意味が分かった。

私たちが見聞きしていた彼女の言動は

希望はあったにせよ

心からのものでなかったのかもしれない。

 

いつだって自分の心に偽りの言動は

混乱した状況を長引かせてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分の幸せ

2021-01-19 | 日々のこと

自分自身が幸せでないと何か外のものが

足りないからだと思う。

収入が少ない

希望の仕事じゃない

大きな家じゃない

恋人がいない

結婚していない

子供がいない

数え始めたらきりがない。

 

そんな外のもので内面の幸せが簡単に

揺らいでしまうのだろうか・・・

もちろん失ったときは揺らぐ。

その外にある何かを知らなければ

それらはそもそも自分の欲する選択の中にない訳だ。

もしかしたら、世間の当たり前が

自分の幸せにも作用するのかもしれない。

世の中の当たり前は時代によって

大きく変化している。

数年、十年?

それでも人の感覚の中に刷り込まれている当たり前は

親から子供へ引きすがれる部分もある。

進学や就職に始まり

結婚はまだか?

孫はまだか?

世の中もまだまだ大人というものや

幸せの形の当たり前がある。

 

それに影響されて

選ぶ人生を歩んでいる人も多いのではないか?

 

それが人生を混乱させる。

 

でも、混乱の中の失敗から

だんだん自分の幸せを見つけていけるはずだ。

 

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2021-01-18 | ちょっと、ひとりごと

私はたまたまアメリカ人と接することが多いのですが

意外と、見慣れないものは食べない人や

好き嫌いがとても激しい、

または知らない味は受け付けないとか

レストランでもグラスの水の中や料理の中をチェックしたり

とても神経質な人も多い。

ちょっとでも不合格ならいっさい飲食はしない。

全て残してしまう・・・

 

私は昭和の食事を残さない感覚があり

多少キレイじゃないとかマズいくらいなら極力食べ

ほとんど残すことはない。

まぁ、量が多いのに食べきってしまうのは困りものだけれど・・・

身体が大きくても意外と量を食べない人も多く

ほとんど残して持ち帰る人もいる。

 

私も若い時は今より神経質だった。

でも、今では図太くなり味やキレイさに関して

許容範囲が広がっていると思う。

(昔はよその家の食事も嫌だったし大皿で取り箸がないのも無理)

経験は人を変えていくものだ。

おかげで多少マズくても拒絶せず食べ

次はあえて行かなくなるだけだ。

 

今、グアムではかなり大雑把な人柄か

神経質でないレストランも多いし外ではハエや虫も多い。

気にし過ぎたら楽しめない場所だ。

話しを戻すと、昔は日本人は神経質だと思っていたけれど

意外と食に関して言えば、

日本人の方が許容範囲が広いよう気がしてきた。

私だけかもしれないけれど・・・

 

 

 

 

 

 

 

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