★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

はア…

2020-09-30 | 日々のこと

すっかり秋です。

ダイエットと言いながら、美味しいものに溢れている季節…

痩せられないまま成人検診へ行きますが

昨年と比べて数キロ増えているので

何かしらレッドゾーンになりそう。

 

数週間前に予約の電話をしたら直接来て大丈夫で

朝食も取っていいとのこと。

別の病院の予約もして一日で検査など終わらせようと計画。

一箇所終わりバスに乗って別の病院へ行くと

予約をしていないから駄目だと言われた。

電話を受ける係と受付などは違うので関係ないのだろう。

ただ、流れ作業で次の予約を取るよう別の窓口へ誘導される。

早くて十二月だと言う。

確認したにも関わらず間違った情報のため

時間とお金もかけて用がなさない時ってとても不愉快だ。

よく、納税時期の税務署や法的機関でこんなことが起こる。

 

結局、十二月までは待てないので

別の病院へ行こうと思い電話をかけると

11:30までに入れば大丈夫だと言われた。

今日、このまま行けると思ったら

朝食は抜いて行かなくてはならないので

結局、日を改めなくてはならなかった…

行く予定の病院では朝食は食べて大丈夫だと言われていた。

 

まあ、たまに空回りしてしまうツイていない日もある。

それとは逆に全てがスムーズでツイている日もある。

 

未熟な私の忍耐を試されているような日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1日の比重

2020-09-26 | 日記

定期的に仕事で20歳前後の人たちと接しているのだけれど

自分のときはどうだったか振り返って思うことが沢山ある。

 

それくらいの年齢では、時間を深く考え機会が余りなく

むしろ無限にあるような気さえしてしまう。

それに将来に対しても本当にやりたい事なんて

決まっていない人が多い。

それなのに日本では、とりあえず大学

とりあえず専門学校など

やりたいわけじゃないのに

まだ教育を受けにいっている人も多くいる。

ローンを組んで通いたいほど真剣なのかと言うと

それも違っていたりする。

もちろん皆んなではないけれど

義務教育の時のように行きたくない時は休んだり

遅刻したり、出席するだけで

全く聞く気もやる気もない人たちも多くいる。

中には反抗的だったり邪魔したりもするだろう。

義務教育が終わり、お金を払ってまで行く学校でも

同じ気持ちのままで受け身であることが多い。

例え、自分でローンを組んで支払っていてもだ。

 

日本の大学進学率、卒業率は世界でも高い。

 

では、専門知識にたけた人が多いのかと言うと

また違うようだし

そこから全く違う分野で仕事をする人が多いような気もする。

 

全体的に日本は豊かだから進学率も高く

お金を支払って行く学校でさえ

出席するだけマシで受け身になるのかもしれない。

 

私もそうだったと思う。

時間を持て余し、ずっと時間はあるような気がしていた。

この、今ある時間を何て無駄に過ごしていたか…

 

寿命が長くなれば、

それだけ時間を無駄に過ごしてしまうこともあるだろう。

「まだまだ先」と言う思いは人生に真剣味を与えないし

年齢だけいった稚拙な人が増えるのかもしれない。

 

大人という言葉が示すのは

あくまで数字を指すようになってきている。

 

人生における「時間」を意識した時から

私たちの人生への向かい方も変わる。

 

よく、「今日が人生最後の日と思って過ごせ」と言うけれど、

「人生は有限である」

与えた人生の時間は限られていると意識することで、

何か真剣に取り組みたくなるのではないだろうか?

 

人生の時間が見えないときと

見えるときの人の反応は違う。

 

同じ1日なのに…

自分の意識が違ったものに見せるだけだと

いつだって分かっていれば

どんなに有意義に過ごせるだろう。

 

 

 

 

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想像力

2020-09-23 | ちょっと、ひとりごと

言葉と言うものは難しい。

 

そこに含まれる意味するものが

言葉を発した本人以外に

本当に適切に通じているのか分からない。

 

どんなに適切な単語を使おうと思っても

通常、私たちが使用する語彙の知識にも多少の幅があり

やたら知っていても相手には通じないこともある。

外国語と一緒で、その語彙からイメージするものが大事で

ただ語彙の意味を知っているだけではダメだ。

同じ言語を話すもの同士だって

単語から意味をとったり

イメージを瞬時に描いているのだから

そのイメージにだって差があって当然だ。

感情が各自によって違うように…

自分の経験からも、その意味合いに深みを付けたりもする。

 

面白いもので、プロの作った本や映画などでも

そこから意味を汲み取る受け手によって違いが生まれる。

 

それに比べて、

瞬時に全てが解るテレパシーって間違いがない。

もしそれが可能になったら

場所も時間も必要がなくなる。

第一、混乱が無くなる。

 

本音と建前で生きている人にとっては厳しくなるけれど

本音で生きている人にとってはいい。

 

これから人が変わっていけば

色んな事に変化が起きてくるかもしれない。

そんなことも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヒプノセラピーの記憶

2020-09-22 | 体験やイメージ

世の中には神秘的な遺産が沢山ある。

何処もなかなか大変そうな場所にあるので気軽に行けないから

いつか機会があったら行ってみたい。

 

その中の一つにはティオティワカンもあるのだけれど

先日モヘンジョダロを見たとき

何故か「ここにいたことがある」と瞬時に感じた。

 

ただ生活していたように感じるのだけれど

特に細かなことは感じないので

そのままにしていた。

翌日の明け方、スッキリと目が覚めてしまったのだけれど

ハッと何年も前に受けたヒプノセラピーの一つを思い出した。

今までにヒプノセラピーは数回受けたことがある。

 

私はまだ小さな子供で、

綿だか麻のような素朴な白っぽいワンピースを着た

4、5歳くらいの女の子。

そこは全て焼け焦げた後のような何もない場所。

でも、火事の後ではないのがわかる。

霧でもない。

空も周りも白っぽい灰色のような状態で

森だったような場所なのに木々はただ真っ黒な折れたような幹が

所々に立っているだけで死んだ木だ。

そこには何の生気も無く

何も生き物もなく

空気も木も全てのものが死んでいるようだった。

何も色がない。

 

そこから少し歩いたところに

壊れそうな小さな小屋があって

そこに住むおばあさんが私を家によんだ。

おばあさんと私だけしかいない。

 

私には両親がいて、仕事だか買い出しだかで二人とも街に行ったようだ。

いつもと同じ、お喋りをを楽しんで笑顔で手を振っていた。

「ここで待っていてね」と笑顔でお母さんが振り返って言っていた。

そこの街はとても豊かで栄えていたように感じる。

 

だから私はそこでずっと二人が帰ってくるのを待っている。

何年も何年もずっと待ってるけれど誰も何もいない。

でも待っていないと、お母さんが帰ってきたときに

心配するだろうから待っている。

 

ある日おばあさんが通り、うちで待っていればいいと言った。

「ここにいなかったら、あなたを探して

必ずうちの前を通るから家で待っていても会えるわよ」

と言ったので初めは拒んでいた私も納得して家に行った。

私は全く喋らなくなっていた。

おばあさんも子どもたちや家族を無くして喋らなくなっていた。

二人ともただ一緒に暮らした。

 

小屋の窓からも

立っている黒い木々の残骸と

灰で覆われたような灰色の景色がただ広がっているのが見える。

他の色は何もない。

 

ヒプノセラピーで、そんな一つを見たのを思い出した。

よく聞くような何をしたとか、何もなく

ただ色のないところで一人で待っているだけのイメージ。

 

後から私が見たあの景色は核の後だと思っていた…

でも、それが何の意味があるのかわからないし

特に意味づけする必要もないし

そんな景色、核を使うなんて日本以外歴史上無いだろうし、

私の想像で作り出したのかなぁ

変なイメージ、くらいにしか記憶になかった。

 

他のヒプノセラピーでの記憶の方が強烈だったこともあるし

例え、記憶の一部であったとしても過去は単に過去に過ぎない。

 

でも、おかしな話だけれど

あそこの遺跡は関係があったのかもしれない。

無いのかもしれない。

 

そんな事を感じた日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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何だかなアと思うこと

2020-09-21 | 最近おもうこと

今日は滅多に書かない内容。

 

内閣府が条件に当てはまる新婚世帯に

60万円の援助金を出す方針だ。

 

え?

 

国は私たちが普段知らないような様々な助成金がある。

 

世の中にある様々なお店などのサービスやポイントを

上手く使いこなすのと一緒で

国の助成金をあてにしている人もいる。

自分の会社を作り、

常に色々な助成金で会社を回しているだけの

何だか分からないような利益を上げている会社もあったり

事業形態をコロコロ変えて助成金に適合させることもある。

 

結婚する、子供を産む、会社を運営する…

 

私は、そういった人生に関わることを決めるには

やっていけると言う「責任」を持てるから

はじめる必要があるのではないかと思っている。

 

その物事に対しての「責任」がないままに

助成金など他をあてにしたことは

責任など持てないままでいられるのではないかと思う。

 

結婚して家庭を作ってからも

親から事あるごとに援助を受けていることも同様だ。

生活費、家を買う、子供にかかるお金など

自分の独立した家庭を作ったにもかかわらず

やりたいことが援助を必要とするなら

まだ、できる状態にないわけだ。

 

大人になると言うことは

責任を持つと言うことに繋がっていく。

 

大人になりきれないままに

周りがさせてしまっていないだろうか?

 

人口さえ増えればいい対策だろうけれど

その一方で、そこから発生していく問題も起き

また対策が必要とされている。

 

起業支援でも何でも

どうやって自立した形で各自がやっていけるのか

そちらの方に目を向けないと

ただ大変そうな状況にお金を支援するだけでは

長い目で見た時に何も解決しないのではないかと感じる。

支援があるなら支援を受けられるだけに

留めたり、流れてしまう可能性もある。

 

目先のことより、

まずは大人を教育する必要がある気がしてならないのは

私だけなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大きな期待より毎日に在る

2020-09-20 | 最近おもうこと

自分の人生が「ちっぽけだ」と感じている人もいると思う。

 

何もコレといったこともせず人生が終わるような

気がして無意味に感じているような…

 

でも、考えてみると

何を自分に大きな期待をしているのだろう?

どんな人と自分を比較して

何もなしていないと感じるのだろう?

 

そんな事より、1日を満喫する事に意識を向けることだ。

満喫するために動くことだ。

それだけで人生は意味あるものになっている。

 

何に対しても意味を持たせるのは自分次第だ。

意味がないと思うのも

意味があると思うのも

同じものに対してどちらの意味もつけられる。

 

そう考えると面白いものだ。

意味がないと思う人生だって

次の瞬間には意味あるものにもなる。

 

大きな事をしなくても

できる事を

新しい何かを

まず初めてみるのもいい。

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電池切れ

2020-09-19 | 日々のこと

天気がハッキリしないせいか何だか体調もスッキリしません。

そんな日は可能ならダラけよう。

昨日は忙しかったから今日はゆっくりでもいい。

普段は比較的よく動く方だと思うけれど、

時々、電池が切れたように一日中眠くて力が出ない時がある。

 

朝、目は覚めたけれど

珍しく散歩へ出るのを迷ったあげく

重い腰を上げて散歩だけは行ったけれど…

 

ダイエットはと言うと

全く上手くいっていませんね…

運動は続けていますが、食べることをやめられないのが原因。

何せ間食が多い。

特に今、常に色々と家にあって食べてしまうのですね。

でも、今年は運動をコンスタントに取り入れたのは

大きな進歩ではあります。

痩せると言う結果は出ていなくても

日々の習慣に少しやらなくてはと言う事を

取り入れられているだけで合格だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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似たり寄ったり

2020-09-17 | 日々のこと

人はいつまでも欲深い。

 

時には「誰かのため」と言ったように

綺麗事で自分自身も偽ったりする。

 

潔く自分の欲に対して認めている方が遥かに扱いやすい。

自分で自分の人間臭さを認めないことが

後から自分を混乱させる。

 

なかなか自分の持つ人間臭さを認めきれないのかもしれない。

ついアレコレ言い訳をしたりしていないだろうか?

 

周りから見てどう見えようが

私たちはそんなに大差ない。

 

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眠い

2020-09-16 | ちょっと、ひとりごと

今日は眠くて仕方がない。

何でこんなに眠いんだろう?

 

最近は涼しくて夜もたっぷり眠れているのだけれど…

コーヒーでも飲んでみよう。

 

思考がスッキリしないときは余計な考え事はしないに限る。

無理に何かやろうとしても一向に進まないし…

 

天気のせいか

変化の時期だからか?

 

 

 

 

 

 

 

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何となく思うこと

2020-09-15 | 最近おもうこと

何か変化しているのだけれど、その変化が何かは分からない。

 

今いる時から過去を振り返れば見える。

でも、今いる時から私たちの言う未来は見えていない。

 

フッと思うことがある。

私たちは波動の違いによって

見ること、感じることができないものがあり

実際はもっと見たり感じたり、知ることができる。

多くの次元が同時に在ると言うけれど

今の、この私が経験しているものとは違う次元の私、

または時間というものが存在していないのなら

自分の未来の可能性を見て

より良い選択をすることも可能だ。

何も、「今まで」と言ったこれまでに縛られる必要はない。

 

10代の終わりにも思ったこと、

20代の終わりのも思ったこと。

どんな年代でも思う、

今までの経験から何か繋げようとして

「今さら」と言う考え。

この歳になって、と言うのも20代でも言っている。

 

さて、自分には何が見えるだろう?

どんな未来が見えているのだろう?

 

今、ゆっくり見つめてみる時かもしれない。

 

 

 

 

 

 

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