★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

ソコとココ

2019-10-26 | ちょっと、ひとりごと
昨夜は仕事をしていて夜中1時を過ぎてしまった。

すっかり夜空には星も綺麗に出ていたので眺めていると
その中の一つがとても近くで強く輝いていた。

でも、よく見ていると微妙に動いているように見えたので
メガネをかけてよく見ても動いていた。



何となく昨日はUFO とか飛んでいそうな気がした。


最近次元の境界が薄くなっているように感じる。
私は詳しいことは分からないけれど、
何となくソコとココが同じ場所にあるように感じることがある。


感じるままに眺めているだけだけど。

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小さな一歩

2019-10-25 | 日々のこと
世の中、本当に才能がある人が沢山いるなア〜と思う。


人は器用に生きているようにも見えたりする。



自分の素敵なことって一番自分が見えていないことがある。

私も同じように自分の欠点を探すことが上手だし
そんな人も多いように思う。

中途半端なダメな人間だと
継続した努力も続けられずに思ったりもする。


みんな思っていることは似たり寄ったりなのに
人のことはよく見えたりする勝手な思いがある。



ダメだなア〜と思うのなら
ダメなりにせめて謙虚にニコニコとした
1日を過ごすことで自分を豊かにしてみよう。


少し継続して何か努力を取り入れたら
続けられた自分に少し自信がつくかもしれないし。


まずは、小さな一歩から。


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柔軟性が大事

2019-10-24 | 日々のこと
世の中の変化のスピードが加速しているのか?
それとも、自分が遅くなっているだけなのか?


変化が早くないものなら
その速度についていこうとか単に取り入れないとか、
どこまで生活に活用するのか考えなくてはいけない。

でも、取り入れないということは
あるサービスを受けられないこともあるし
最近は同じ料金を払っているのに割引やポイントを
受けられない不満もある。



この割引を受けられないことからも分かるように
変化にのらないことを選ぶということは
損する不平等も受け入れることも必要になるわけだ…



近年の誰しも平等である錯覚から
気がつけば大きな格差が出来てやっと気がつくような
そんな時がくるかも。

差はあるものだし
みんな同じなんてないわけで
それに気づいたり、受け入れたりしなくてはいけないけれど。



自分のライフスタイルはどうありたいか
どんなことをしたいか年代問わず考えながら
対応しなくてはいけないけれど
便利なような、便利でないような何とも言えない感じもする。


とにかく、ますます柔軟性のある思考は必要になるだろうな。



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来年は…

2019-10-21 | 日々のこと
来年のことを漠然とでも
どうしていきたいかなア?と考えたりしている。


両親のことも心配なので
定期的に日本に戻ってしばらくいようとも思うけれど
まだ自分の生活の土台さえ作っていないのに
また、人のことばかりになってしまうのも
どうなんだろうとも思う。

来年、まとまった仕事が入らないなら
長期で日本にいて両親の世話ばかりになったら
私もストレスがたまってしまう。
今はまだ、2人とも何とかやっている状態だから
このうちに私もグアムでの生活が出来るように
なっていた方がいいとも思ったりして…


自分の人生をないがしろにしてはいけない。

一番は、それぞれが自分の人生を送ること…

冷たく聞こえるかもしれないけれど
自分の選択に責任を持って行い
そして自分の人生を送る必要があるの。

自分より、いつもいつまでも
他の誰かの人生が大事だといった風にしてはいけない。

もちろん、子供が小さいうちや親が年をとった時
身じかな人の世話などで
人生の何処かで他の人を優先にしなくてはいけない
時期があるかもしれない。

それでも、もしそれが長い年月かかることならば
やはりバランスをとって
自分のことも他の人と同様、大切にしなくてはいけない。


難しいことかもしれないけれど
みんな、人生を豊かに楽しむためにここにいる。
些細なことでも楽しさを持つ見かたもできる。








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芸能人の私生活

2019-10-18 | ちょっと、ひとりごと
最近多くの人がSNSを使って自分の考えや自分自身を表現している。

目立たなかった人、芸能人、どんな人でも気軽に
世の中に自分の言葉を直接発信することができる機会がある。


でも、芸能人なども自分の生活や家族、子供のことなど
日々見せているけれど、私個人としては
本業ではなくSNSで私生活を露出していることに疑問を感じる。
女性に多いのは妊娠、出産などママの部分を見せたがること。


私は昔の芸能人のように
私生活がオブラートで包まれている方が魅力的に感じる。

テレビなどの世界の人は
自分から発信しなくても誰かに発信されるくらいが神秘的だし
妊娠、出産や料理など家庭を感じさせると
そのイメージの延長線で見てしまい
演技の中のキャラクターに違和感が出たりする。


女優さん、歌手、タレントさんなど業種の差がなくなっている昨今
私生活を出していかないと忘れられてしまうのかなぁ…


そんな風に感じるのは
私が古いからだと思うけど。


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そうだったのか…

2019-10-16 | 最近おもうこと
物事は、一生懸命になっている時には
逆に見えなくなってしまうこともある…


一生懸命にやることが美徳とされていたりもするけれど
その感覚が少し違う事に、今なら分かる気がする。


恋愛も人間関係も仕事も
一生懸命やればやるほど距離が出たり空回りしたり
なんだか上手くいかなくなったりする時がある。

でも、一生懸命やれば何とかなるに違いないと
思いたくてもっともっと必死になる。

周りにはいい加減だったり要領よくだけやっているのに
何だか評価されたり上手くいっていたり
一生懸命やっている人から見たら納得できないような人が
何故か成功しているようにも見える。



真面目に一生懸命やることは本当に大事だ。


私がそうやっていたから理解できるのは
今、そんなやり方から距離を置いて見ることができるから。

私も、何であんなにいい加減な人が?とか
自分を調子よくアピールすることが上手いだけで
全然できないのに何で上手くいっているの?
何も秀でたものもなければ、
人よりも何倍もの努力をしているのかと言えばそうでなく
何で⁇とよく思ったものだ。



皮肉なことなんだけど
一生懸命過ぎて自分がやっている物事に
自分自身が近くなり過ぎてしまい
そこに他者、受け手などの感覚や求めていることに
少し鈍感になってしまっていることに
気づけなくなっている。

自分では分かっているつもりだし
自分が受け手だったらという発想で想像するのだけれど
それも理解不足なんだ。

どこか、自分が一生懸命であるがゆえに
やっていることへの自負や
自信が入り込んでしまっているから起こること。

分かっているつもりで分かっていない。

横柄さや傲慢さを嫌っていても
自分がやっている自負からくる
他者への包容力や需要に欠けてしまうことがある。


どんなことでも、あまりに近づき過ぎると見えづらいもの。


一生懸命で努力するときも
どこかで距離を保ち遊びを持たせること。
難しくて分かりずらいけれど
そこができると自分の欠点や失敗、
何が上手くいかなかった部分か見えてくる。



どんな道を歩んでいても
結局、それぞれが心豊かに生きることができるような
課題やチャンスは等しくあるようだ。

それをどう活かし、どう掴むかは自分次第ということ。






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ひろげる

2019-10-15 | 日々のこと
苦しかったり虚しかったりするときは
自分の思考がとても閉じて狭いものになっている。

そんなときこそ、
本当は自分の思考が頑なになっていないか
確認する必要があるのだと思う。

思考や感情が柔軟性を持っているか?


いつの間にか柔軟性が失われ
自分なりの常識にはめ込もうと窮屈になる。

それぞれが「自分なりの」と言うわけだから
それは、それぞれが異なっている。


だから、もっと自分自身も
そんなものにとわられてばかりいないで
思考や感情が自由になるように
意識を向けてみることが必要なんじゃないか…


自分を楽にできるのは自分自身でしかない。


満たされる…
それは外のことではなく内にある。



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以外と面白いかも

2019-10-12 | ちょっと、ひとりごと
実感として、自信と言うものは
育った環境が大きく作用しているのだと思う。



私はいつも何事も自分に自信が持てず
いつもダメなように思っている。
実際、自分のダメな部分にばかり目がいく。

それは幾つになってもか変わらない。

子供の頃も、どんなに何かの賞や評価を受けても
それは大したことがないもののように感じていた。
大人になっても、自分に対しての高い評価も
どこか人ごとのようだった。


だから、どこまでいっても満足もしないし
自信もつけられないままだ。



でも、さっき突然思った。

「もっと自分を好きにならなくちゃ!」


自分がダメだって、
自分の嫌いな部分だって
それでもいいじゃない。


「私」くらいは
「私」を解って、面白い人だと受け止めないと。
変な人だなアとどっぷり眺めれば悪くない。


そう思ったら、そんなに悪くないし
ちょっと面白いから野放しにさせて眺めてみよう
と、また変な感覚でみることができそうだ。




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意識すること

2019-10-12 | 最近おもうこと
自分にとって何をしている時が一番楽しいだろう?
どんな時が没頭できるのだろう?


忙しなく日々過ごしていたらそんなことにも目を向けることなく
こだわるものも特になく過ごしていることって多いのではないかな。


その時々楽しく過ごしていたら一番がないし
もしかしたら、
日々やる事に忙殺されて過ごしているかもしれない。


人生の中には時期がある。


どんなに忙しくても一生同じペースではない。
いつか、ペースは変わる。

その時その時、人は他がちょっとよく見えるけど…

でも、また別の人から見たら
あなたも同じようにちょっとよく見えている。



だから、どんな時も「今」を楽しめばいいんだ。
忙しさも、ちょっと持て余している時間も悩んでいるときも
全てそこに意識を持ってあげればいい。


その経験を楽しむ事が大事なんだ。




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物事に理由はない

2019-10-08 | 最近おもうこと
よく私たちが何かを思い患うときは
分からないものについてとやかく考えているときだ。


人間関係もああでもないこうでもないと
他人の思いを空想しながら自分の頭で想像している。

何か自分で納得がいかない物事に対して
何か自分自身が納得できる理由をつけるために
それを作り出す。


私ももちろんそう。


そうしなければ、納得できないし
不公平さを受け入れられないから。

そこに何も理由がないなんて納得できないから。
特に辛いことや苦しいことならなおさらだ。


だから、理由を探す。



でも、最近は
そこには何も理由なんて存在していない
そんな気もしている。


ただ、そこに人が納得する理由をつけてあげれば
人の救いにもなる。



でも、色々な物事は
生きている人間が自分のために勝手に都合よくつけた
理由で成り立っているのかもしれないと感じている。


物事はそんなに複雑でもなく
もっともっとシンプルに成り立っているのではないかな。








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