★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

危機感も必要

2019-12-30 | 日記
誰だって何かよくないことが自分の身に起こると
「まさか自分が…」
と、皆んな同じように言う。


歳をとることも当たり前で分かっているのに
実感が本当のところあまり無くて
自分の感覚は同じままなのに
いつの間にか、「おばさん」「おじさん」
「おばあちゃん」「おじいちゃん」だの
見知らぬ他人にも、
そんな風に呼ばれたりするようになっている。


老いも
身体の動きも
病気も
死も


どんな事も自分だけは免れる…
そんな事はない。


昔ならイコール死と言ったさまざまな病気も
治癒または症状を抑えて生きることが
出来るようにもなってきているし
寿命も今のところ更に長くなっている。
見た目年齢も若い。



それに伴って、健康でいよう若くいようという
思いも盛んになっている。


今までのように40代は
「おじさん」「おばさん」に突入している場合じゃない。

50代に入って「物覚えが悪くなっってるから…」
何て言っている場合でもない。


自分が何を信じて意識するかで
全て自分に反映されてしまう。

世の中の昔のままの感覚に
いつまでも洗脳されたままでいてはいけない。

「在りたい自分」をいつだって自由に表現し
チャレンジして学んでいけばいい。


いつ何が自分の身にも起こっても
おかしくないという意識は持ちつつ
誰かの犠牲にせず
自分の人生を豊かに生きなければいけない。

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日本

2019-12-26 | ちょっと、ひとりごと
日本に帰ってくるといつも思うこと。


1 100円ショップの素晴らしさ
2 男女ともにオシャレ (都内しか分からないけど )
3 何故か皆んなマスク…



以上、つくづく思うこと。


今日、とある新宿のオフィスビルで用事を済ませ
トイレに行って出ると並んでいる女性全員マスク着用。
ちょっと怖い… と言うか、異様な光景。

外国の人は「アジア人はマスク好きだよね〜」
と言っているけど、そうなのかもしれない。
私はよくわからないけど。












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ゆったり過ごす

2019-12-22 | 日記
穏やかな日々を過ごしています。


冬至を迎えて、
新しい年について思いをはせてみたりしています。



もっともっと自由に、
自分の概念を壊して人生を楽しむこと。

もっと、自分に意識を向けること。



意識が外側にばかりあると
同じことをしていても全く別のものになる。


有意義な時間を持とう。
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変わることも自然

2019-12-20 | 最近おもうこと
普通だと思っていたことが普通じゃない。


誰かが声を荒げれば、それに流されてもいく…

でも、それも真実ではないかもしれない。



まるで真実かのように誰かが声を荒げれば
真実かと思えていくもの。

長い間、それぞれの思惑の中で
シンプルなものが複雑にされ隠されてきた。



それほど人間は洗脳されやすく流されやすいとも言えるけど…



本当は自分の考えを人に押し付ける必要もなく
自分は自分の考え方を持ちながら
人の考え方にも協調して生きること。

自分の考えがあるように人にもある。

自分の考えを尊重してもらいたければ
人のも尊重しないとバランスがとれない。



バランスがとれていないものが露呈して
均衡を保とうとするようになる。


だから、人によって想像していないことが起こるのかも…


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見方

2019-12-18 | 日々のこと
また日本へ帰省。


夜の東京、ビル群が何だかとてもとても新鮮に見える!

何故かワクワクしてくるし懐かしい景色…



都内でいつも仕事していると見えなくなる景色。


混んだ場所も、渋滞もごちゃごちゃした人混みも
何だか殺風景で冷たく苛立って見えた場所も
全て同じでも見方が違うだけで
こんなにも見え方が変わることに驚く。


本当にものごと全て、
自分がどう見ているか?というだけなんだ。



いつだって、一瞬一瞬をいかにトキめいて見るか…

いつも初めて見る景色のように、
初めて見るものごとのように
自分自身の気持ちの新鮮さを保てるかで
きっと自分自身の見方が変わる。


同じ場所
違う場所
きっと、何処で何をしようと
やっぱり自分次第。

同じ場所でも変われる。
違う場所でも同じまま。


もっともっと、トキめいてものごとを見よう。





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苦手意識

2019-12-12 | 最近おもうこと
最近、社交性から距離を置けてしまうので
さらに磨きがかかって苦手になっている。


もともと得意ではないし社交辞令とか苦手なので
会話を盛り上げたりするのが苦手だったりする。
それにも関わらず、
さらに会話が本当に苦手になっている自分に気づく・・・

会話ってある部分では慣れや練習だったりするのだろう。



人との関係から距離を保ちたければ取れてしまう環境だし
逆にパーティーなどの集まりでは
私は英語があまりできないので
ネイティブの会話のスピードについていけないし
多分、数パーセントくらいしか聞き取れないから
そこに関係も生まれない。


一日中家の中にいても苦じゃないし
本を読んだり好きなことで一人の時間も楽しめてしまう。



今まで、人と接する仕事などをしていたので
逆に一人でいることも快適でいられる。


人との関りがあるから
自分を知ったり、
新しい気づきも得られたりするのだけれど・・・


でも、英語の壁がさらに人付き合いから
私を遠ざける言い訳を与えてくれている気もする。
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間違った自分の認識

2019-12-10 | 最近おもうこと
外国にいるおかげでアイデンティティを考える機会がある。

最近でこそ色々な文化の人が日本でも増えてきているけれど
それでもアメリカなどに比べたら格段に少ない。
(他の国は余り分からないけれど)


世の中、個人を尊重することや
様々な文化を受け入れるべきだと言った風潮がある。

差別に対して声を大にしている。


確かに正論だと私は思う。

それに賛成だし
自分では比較的外国人との交流があるとき
その人の人種を考えたことがないとも思っていた。


でも、面白いことに気づいた。


外国にいると、そこに住む日本人や
外国に住み外国人と結婚している
日本人に出会うこともある。

その期間がやや長いと特に傾向は出てくるけれど
日本人の性質が少しぼんやりしている気がする。
かといって外国人かと言えば違う。

多分、日本人は愛国心がやや少ない気もするので
外国が好きとか、
どちらかと言えば外国にこのまま住みたい
自分は日本人と自負するような感じはないような
そんな感じ(?)の人は特に
外国の性質を取り入れているというか
逆に同じようにしようとしているようにも見える。

逆にもっと長く住んでいたり
仕事などで逆境があったりすると
日本人としての誇りを心の何処かで
持とうとするのかもしれないけれど。


話を戻すと、私も自分がを見ていなかったことに気づいた!

漠然と、日本人としてみていて
外国人っぽい性質に寄っていこうとすることが
不思議にみえた。

もちろん、外国にいたり外国人の中にいると
やはり感覚はそこに馴染んでくるけれど
どちらかと言えば、
日本人らしさを感覚の何処かで持ちたくなさそうな
言動をしている人のアイデンティティの中途半端さ。


でも、これもであるわけだ。

もちろん日本人だからと言って全員が同じではないし
それぞれ、合う人合わない人もいるぐらい性質も異なる。

日本でも、あいさつ程度の日常会話が理解できる人
または読解力など少なくて
日常会話もあまりできない人もいるくらい
性質はそれぞれなのに
日本人といった大きなくくりで
私も見ていた。

日本人
アメリカ人
そんな風に、何人といった大きな漠然とした性質で
くくってしまっている自分がいた。


何人でもなくて
その人として見るべきだ。
逆に外国にいると
何人かと言うところを意識する機会もあるので
私もそんな風に人を見て、
さらにはくくりまで付けていたわけだ。


本当に反省。

単に日本語が喋れるだけで何人でもない。
なんだ。


私たちは何人とか肌の色とか色々な表面上なことで
人を意識の中でくくってしまっているのではないかな。
そこに自分が気づいているのか、いないのか別にして・・・


発する言葉の違いはあっても
もっともっと、表面上のものを無くして
感じていく必要がある。
目に見えることが、
耳に聞こえる言葉が意識を鈍らせてもいる。


そのが持つ性質が
どうなのかと言うことを感じればいい。

例えば、
自分の感覚に似ているアメリカ人もいるし
全く違う日本人がいたり
それぞれが持っている性質によるだけだ。



場所が変われば違った角度から
自分のできていない部分や
認識の間違いを気づかせてくれる。

改めて、
自分に気づく大きな機会もある。

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やるべきことを

2019-12-09 | 日々のこと
昨夜はまた何だか疲れる夢を見たので
起き抜けがすっきりしなかった。


そのせいかエネルギー不足の一日だった・・・

そのおかげで、早めに家に戻ってきたので
掃除がはかどったけど。



やることをやらないと気になって
結局、計画していることもはかどらないもの。

随分すっきりしたので
後は必要なものやあったほうが良いものなどを
少しづつ揃えていけば殺風景さが無くなるはず。


日本へ戻るので
来週くらいまでしかできないから
その前にすっきりできて良かった・



来年は、また順番に必要なことをやっていけばいい。
自分一人じゃできないことだらけだから
旦那さんに手伝ってもらわないと動けないことも色々ある。

車じゃないと動けないし
その前に言葉の壁があるし
やるべきことは山積みだ。



気長に取り組むしかないけれど。

まずは、目の前のやるべきことを一つづつ。

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分かるようで分からない時間

2019-12-08 | 日記
時々、目が覚めて眠れなくなる事がある。

しっかり眠ったようなので時計を見ると
まだ夜中の1時を過ぎたばかりだったりする。

そんな時もある。


急に、20年前は何していたかなあ?と思い出してみた。

自分のことは継続した記憶の中にあるので
そんなに昔のように時間の経過を感じない。

でも、考えてみたら20年前の母親は
今の自分とさほど違わない年代だったのか⁉︎ということ。

今も元気にしているけれど
それでも随分と無理はきかなくなったし
歳を意識させられるようになった。


当たり前だ…と思うことでも
意外と時間の流れは現実的に意識できていないのかもしれない。


先日、10年後の自分を考えて
今やることをしていこうというブログを書いたけれど
もっともっと現実的に時間を意識できていなければ
やる必要のあることを具体的考えるのは難しいのだ。


肉体には色々な制限があるわけで
いつまでも同じように使い続けられるものでもないし
細胞の若さや動きなど変化するわけで
20代から40代と50代から70代とでは
同じ20年でも随分と違いが出るようだ。

20年はそんなに長い時間でもないけれど
やっぱりそこにある時間は多いのかもしれない…

そうなると、やっぱり10年は貴重だ。

意外と時間の貴重さに気がついていないものだ。
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人生

2019-12-05 | 日記
人生のどこかの時点で自分の人生、誰かの人生が
よく見えようが悪く見えようが
あくまで、ある時点を見ているだけで
結果はその時点では分からない。


どんなにダメに思えても失敗して見えても
あるいは上手くいっていたり成功していたとしても
本当に人生が終わりを迎える時にしか
この人生が幸せで良くやったと
自分に言えるものだったかは分からない。


私もまだ分からない。


まだまだだと思っても
年月は想像しているより早く流れる。


毎日を、自分の望む未来が
その先に見えるような選択をしていこう。



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