★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

当たり前

2024-03-31 | ちょっと、ひとりごと
何年か前に旦那さんの実家に滞在していた時、
離婚をしているお姉さんと息子、娘も一緒に住んでいるので
みんなでご飯を食べていた時の会話を思い出した。

亡くなった義父は振り子の時計が好きでいくつか家の中にある。
誰かが「今何時?」と言ったとき
20歳を遠に越している姪っ子が「あ〜。。。」
と考え込みながら何だか指で数え始めていた。

みんなが何をやっているのだろうと思っていると
針の時計の時間が読めない事が発覚した。
デジタルの時計しか見ていないので
針が差す意味が分からないのだ。
年代、環境によっては「当たり前」に学んだ時計の見方も
時代が変われば不要なものとなっているし
親もそれを伝えない、教えずにいたわけだ。

また、知り合いの人の子供が
赤ちゃんの時からIpadなどのタッチパネルを触らしていたので
歩けるようになったらテレビもタッチパネルだと思い
画面をやたらと触って汚すと言っていたのを思い出した。

その人にとって、「当たり前」が何だったのか?
それはその人の中に刷り込まれている。
物質的なことも精神的なことも全て環境によって
いつの間にか「当たり前」となっている。

行うことも、考え方や思い方が
いつの間にか誰かにとっての「当たり前」としてしまうこと
または自分のもそうなっていることを考えると
思いたっと時、気づいた時しか
その「当たり前」としている行動や考え、思い方を
変えることはできない訳だ。

環境によってかなりの違いはあるにせよ
それでも親や環境などの誰かが与え出した世界を
受け継いでいたりする。
それを広げていけるのは自分だけしかいない。

与えられるものには限界があり
自分の世界を変えられるのは自分次第なのだろうな。



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軸を作ろう

2024-03-30 | 日々のこと
最近ちょくちょく夜中に起きる。
結構寝たと思ってもまだ2時間くらいしか経っていないとか
寝ても1時間くらい経つと目が覚める。
そんな時もある。

引っ越してまだ家の修繕もあり落ち着いていないけれど
行ける時はジムに行ったりもしている。
そこで、日本人の女性は本当に細い人が多いとつくづく思う。
どちらかというと細いと言う種類が違って、
本当に痩せている。

私が個人的に綺麗、ちょうど良いと感じる幅は
やや広めなのかもしれないけれど
多少細めの人、太めの人、ムキムキッとした人
それぞれ綺麗だしちょうど良いと思う。
ただし、それは軸がしっかりある、
筋肉がある程度あるかなのだと気づいた。
単に細いのとは少し違う。

ある程度の年になって細いのは羨ましくもあるけれど
年寄りっぽく見えるのはどうしてだろうと思った。
確かに洋服を着ていたらちょうど良いのかもしれないけれど
基本的に身体が薄いので軸が弱そうに見えるから
エネルギーを感じないのかもしれない。
若い時は細くても筋肉の張りがあるけれど
30代、40代になるとだいぶ筋肉が衰えだしていく。
女性にとって脚を細くしたいと
腿と腿の間のスキマなどに憧れる人も多いけれど
腿の張りは若さの象徴だと私には見える。
特に何も鍛えていなければ歳と共に腿の筋肉は落ち細くなる。

とても細い人をちょうどいいと思う人は多く
みんな痩せようとするし
細い人がさらにダイエットしてガリガリになっているのを
羨ましく憧れる人も多いけれど個人的には変だと思う。

もっともっとエネルギーに満ちているような身体を
目指すのはいかかだろう?
人生を活発に快活に過ごすために
楽しみながらできる食事と運動を日常的に取り入れよう。
多少太っていようが痩せていようが
はつらつとしたエネルギーが一番綺麗に見える。











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変わること

2024-03-29 | 最近おもうこと
「非科学的なことと言われること」をすんなり受け入れる人や
「あるかもしれないし、ないかもしれない」と捉えられる人
そんなの絶対ないとバカにしたり毛嫌いする人もいる。
例え、わざわざ自分から聞こうとしても。

そう考えると面白い。
誰かが当たり前のこととして「非科学的と言われること」を言うと
驚きなのか、バカにしてなのか冗談だと思ってなのか
笑い出す人たちがいる。
別に何も面白いことを言っていないのに笑うのは
きっと上記の理由のどれかしらの感情からなのだと思う。

または、自分を特別だと見せたいのか思い込みなのか
やたら人前で「非科学的なことと言われること」が
わかると言いたがる人たちや
それを羨望の眼差しで聞き入る人たちもいる。

何でもかんでも飛びついて信じることも自由だし
年でも目に見えないことを完全に突っぱねることも自由。
それぞれが自分の信念の中で生きているわけだからその自由もある。

けれど、人の自由を受け入れようとはあまりしたがらない。
多少の強い弱いはあったとしても、結局自分の信念が全てになってしまう。

そんな訳でこの世は色々な人が混在している。
それも不思議なことに思える。
「目に見えるもの、見えないもの」
どちらをとっても
自分の信念が多くの選択肢の中からそれを選ばせる。

もっともっと、自分の信念について深掘りしていこう。




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これから

2024-03-28 | 最近おもうこと
この物質世界で力を持つとはどういうことなのだろう?と思う事がある。

私が経験してきたこと
身近で起きてきたこと
それらを見ていると、
物質的なつながりを強く求めている人々は
やはり、ある程度までは力づくでも手にする事ができている。

能力に応じてということもあるけれど
力づくでも手に入れたい人も多いのがこの世界。
どんなに嘘や汚い手を使おうが
暴力やお金を使おうが手に入れようとする。

これは、その現実を作り出していることには間違いない。
では、その貪欲さがなければ
どんなに努力していても、真面目にやっていても意味がなく
汚いことをやったもの勝ちじゃないかと思ってしまう。

ある意味そうなのかもしれない。。。
今まで見てきた人たちはそれでも欲しいものを手に入れている。
真面目にやって、人を陥れようとすることもなく
噂話を撒き散らそうともせずに正義を持っていたとしても
この物質界では欲するという貪欲さは必要なのだ。

どんなに悔しい思いをしても
どんなに置いていかれても
その欲する心は秘めておかなければ現実にならない。
多くの人は度重なる試練で
くやしさ、虚しさや諦めなどで手放してしまう。

どんなに精神的なことを言ったとしても
私たちは物質世界にいる。
この次元に物事を落とし込む必要はあり
正義感や綺麗事だけでは弱すぎるのだ。
「良い人はバカを見る」と昔から言うけれど
人が良すぎて動機が弱くなりがちなのだろう。

ただ、なんとなくだけれど
その次元の重なりは今より多くなり
また、それぞれの次元の境界もはっきりしていくのかもしれない
とぼんやり思ったりする。
そうなったら、混ざらないものは混ざらないし
バランスを取る必要のあるものはバランスを強いられていく
そうなっていくのかもしれない。







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夢を持つ人

2024-03-27 | ちょっと、ひとりごと
子供の時からほとんど自分の将来の夢というものがない。
ほとんどというのは、
自分の仕事で欲しいタイトルがあった時があるから。。。

今思うのは育った環境も影響していて
自分というものが何を欲しているのか分からないまま
生きていたというのがあるのかもしれない。

けれども漠然とした、自分に根がないような
「そこにずっといない」というものは何故かある。
一生そこに住む、
ずっとこの場所で仕事をする
といったものを感じないし
最近は特に、自分がどこに住むの分からないと感じている。

別に飽きっぽいわけではない。
責任感もある。
どこかの場所に憧れがあるわけでもないし
それどころが外国語だって堪能ではない。
やりたい事があるわけでもない。

流された場所で流れに乗るだけで良いかと最近よく感じる。
そこで根を生やそうとすると刈り取られていくようでもある。
時にはもぎ取られてしまう。
根無草のような感じ。。。
それに今は、何かに強く執着してもいない。

しっかりと根を生やした生き方をした人を
いつも羨望の眼差しで眺めている。








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違和感を感じるもの

2024-03-26 | ちょっと、ひとりごと
何でもかんでもスピリチュアルな言い方に
結びつけることに個人的には違和感がある。

けれど、スピリチュアルなこと、そういった考え方を
私なりには信じている。

いく予定で行かなかったら
「呼ばれてなかったんだね」とか
毎回毎回、「この時までにこうしないと」とか
スピリチュアルなことを激しく言いながら
とても意地の悪い言動をしている人など。。。

何だかとても違和感があって、
頭ばかりで情報だけを取っている人も多い。
スピリチュアル=瞑想?
自己満足になっていく場合も多い。

単に人それぞれ捉え方も感じ方も表し方も違うのだろう。








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心の問題

2024-03-24 | 最近おもうこと
自分の中の気づかなかったような根の深い問題が
最近呼び起こされている。

問題が何もなかったように過ごしてきたし
当たり前に日常に起こっていたこと、
子供なりに自分の中で解決、納得してきたことに
気づくことはとても難しくなかなか認識できない。

心に蓋をされていても
いつまでもそのままではいかないようだ。。。

きっかけは他者が関係していたとしても
自分の心の中に根付いている問題は
自分が解決しなくてはいけないことなのだ。
誰かの問題ではないし、持ち続けているのも自分。

自分に向き合い、心の問題を見つけ
そろそろその問題を手放すことに取り組んでいこう。
もう自分に決定権があり問題との関係をどうするのかも決められる。
いつまでも持ち続けることはない。
他人の考え方も何も考えなくていい。
その問題をどうしたいのか自分で決めれば良いだけ。

根が深いと気付けないけれど
どんなに小さいと思うことでも
問題になって心に留まっていたりする。
人それぞれ、問題になることは違うのだから。。。

自分の性質を作り出した要因になってもいるのだと思う。
その性質だからその問題を心に留めてしまったとも言える。
「問題を抱き締めて」とか「単に捨てるとか」
そんな簡単なことじゃない。
もっと時間がかかるだろうし、
解決するまでに時間がかかるかもしれない。

痛みや怒りが続くかもしれないけれど
それでいい。
自分でゆっくりその問題に向き合い解決していけばいい。





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変化を見つける

2024-03-23 | 最近おもうこと
何故か人とのコミュニケーションが円滑にいかない事が増えている。。。

そんなことはないだろうか?
自分の伝え方が悪いのか、相手が悪いのか
しょっちゅうイラっとするような事が起こったり
喧嘩が増えたりする事がある。

要するに、話が噛み合っていないのだ。
もしくは、些細なことを過剰にネガティブに受け取ったり
自分の感覚が敏感になっていて
伝え方自体が強くなっているのかもしれない。

どちらにしても、良い状況ではない。。。
同じ人とだけこの問題が生じているのか、
複数の人と問題を感じるのか?

状況によって違うけれど
自分が変わってきているのかも。。。
同じ人とならそこに問題があるので
話し合う事が必要かもしれないけれど
どちらにしても、自分が変化している。
それがどう変化しているのか観察しなければ気づかないので
何か円滑でない部分があるのなら
ゆっくり客観的に自分を見直すことも必要。

どう変化しているのか
滞るような部分や発生する要因からゆっくり考えてみよう。


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長寿だからこそ

2024-03-22 | ちょっと、ひとりごと
一昔前は80歳を過ぎて亡くなると
「長生きだったね」と言う人が多かった。

けれど、現代では80代はまだまだ若い。
人によっては動きづらい事が増えたとしても
十分自分で全て行えるし仕事をしている人もいる。

自分が80代になることを
想像できない人もいるかもしれないけれど
何もなければ、いつまでも若いわけでもなく
いつの間にかおばさんの領域に入り
また、いつの間にか
おばあちゃんの領域に入っていたりするわけだ。

この領域への突入は
自分で自覚しないままのこともあるけれど
別に自覚する必要もない。
他人はその領域に人を入れたがるだけだ。

50代の人なら20年以上あるわけで
今から新しいことをするのには十分な時間がある。
「もう20年くらいしかないの?」と
驚く人もいるかもしれないけれど
驚くと言うのは40代の自覚がなく
30代の意識のままだったからかもしれない。
それならそれで、
気が若いままいられたので得したとも言える。

私もこれからくる、それぞれの年代でどう過ごしたいか
ぼんやり考えていたりする今日この頃。






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良いことと悪いこと

2024-03-21 | ちょっと、ひとりごと
良かれと思った事が果たしてよかった事なのか?

悪いと思った事が果たして悪い事なのか?

いつもそんなことを感じる。

以前にも書いたけれど、
それが人生の中の選択なのかもしれないし
もしかしたら、その選択自体も人生において
決まっていたのかもしれない。

例えば、もしも寿命まで生きないとしたら
それはどこかで何かしらの選択によるものになる。
「長生きしたい」と強い願望がある人だとして
どこかの段階で、
本人が良いと思ったけれど
実際はそれが長生きにならない選択をしていたとしたら?

逆のことも言えて、
自分では「最悪」なんて思う事が起こっても
実際はそのおかげということにつながっているかもしれない。

そんなことは人生の中でたくさん起こっているのだろう。。。
自分の最善の選択なんてそんなものなのかもしれない。
大したことない。

今まで私も「考えて、考えて、考えて。。。」決断したことも多々ある。
決断に悩むことは多いけれど
自分のする決断なんて大したことないと思えば
悩む必要もないのかもしれない。

人は、一点一点を切り取って見ては
「良い」とか「悪い」と判断したり、とやかく言うけれど
実際は点ではなく繋がりがあることを見ていかないといけない。
ただその繋がりが見えづらいので点を見てしまうだけ。

頭で考える選択なんて大したことないのだろう。







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