★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

友達探し

2023-01-31 | ちょっと、ひとりごと
多くの人は友達が必要なのだなアとつくづく思う。

私は友達を見つけるためにどこかに行ったり
何かをするということが一度もないので分からないことだけれど
多くの人は第一目的が友達になる人を見つけるために行動しているようだ。

それは結婚している子供がいるなど
状況には関係なく友達探しをしている。

考えてみると、私は何でも身近になる人は
ある期間相手を知った上で付き合い方が変化していくので
親しくなるのも時間がかかり
ましてや一緒に行動するまでにも時間がかかる。
けれど、友達を探す人は瞬間的に一緒に行動ができる。
旅行などにもすぐに一緒に行く。

どんな人とでも上手く付き合える人たちなのだろう。
私のように1人でいる方が気が楽だ。。。
なんて思わないのだろうな。




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自分の本質を見ること

2023-01-30 | 日々のこと
世の中は立派な人が多い。
しっかり人生で何かを成しているような人や
賢くキャリアを築いていたり何か作り上げていたり。。。

その点、私は全くフラフラして逆だ。
今は極端にいる人たちを目にする機会が多いので
簡単に何かと自分を比べてドスーンと落ち込むこともできる。
人間、都合よく何かと比べて気持ちのどこかで優位に立ちながら
何かと比べ勝手に落ち込むものだ。

たまに落ち込んだこともあったけれど
私は賢くもなく立派でないことを認めれば
落ち込むこともなくなるものだ。
大抵、人は何者かになりたがるから
落ち込んだり妬んだりする気持ちがわきでる。
そんなものになる必要もないじゃない?
でも、これは表面的な何も努力もせずダラシなくいるのに
ありのままでいいと変な綺麗ごとを言っているのではない。

表面的に立派じゃなくても
自分の考えや気持ちに正直に人生を生きることはできる
それが素晴らしい人生に導いてくれる。

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熱意がない生徒と先生

2023-01-29 | ちょっと、ひとりごと
同じことに最初の頃に持っていた情熱を持ち続けるのは難しい。
特に、対象となるものがあり
反応が悪ければ悪いほどその情熱は冷めていく。

習慣化していいものと悪いものがある。
一時、ある学校で先生として教えていたときよく思った。
自分が習いたくて通っている場合と
やりたくもなく通わされている場合とでは
生徒たちの反応はもちろん違うわけで態度も違う。
やる気がないのにきている場合は本当に反応はないし
態度が悪い場合も多い。
そんな状態になると、もちろん教える熱意は消えていく。

義務教育なんてまさにそうではないかと思う。
さらに当たり前になっている教育課程や専門学校などもそうだ。

特に何かを教える場合、
2、3年で入れ替えた方がいいと私は思ってしまう。
情熱がないのに教えることに携わっても
何も改善をすることもせずいい教え方を工夫しようともしなくなる。
又は生徒の人気取りばかり気にして全然親身に教えていない。
そんな悪循環が成り立っている。

どっちもどっちなのだけれど。。。
熱意がないのに学校に来る、熱意がないのに教える。
平和で、余裕があるから発生する現象なのだろう。

何事に対しても熱意がないままダラダラと続けることは
自分にも周りにも罪だ。
熱意がない社会で熱意がないものが生み出されていく。。。
内面にもっと情熱を持って生きよう。





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社会の中で

2023-01-28 | ちょっと、ひとりごと
ちゃんと社会の中で立ち回れ、その人付き合いもでき
さまざまな「当然」のことが社会でできる人たち。

それとは逆に本音で正直に頑張っているけれど
この社会での「当然」のことをしたくない人たち。
自分にとって正しさが社会の「当然」のことと噛み合わないわけだ。

でも、社会の「当然」のことであるからと言って
公に誰にでも胸を張って言えるものばかりでもないし
自分が行っていることを包み隠さず話せないことをしていたりする。

この社会のあり方が長い間続いているからといって
この先も続くとは限らない。
もしかしたら真っ当な、何も隠すことがない人が残っていく
世の中になるかもしれない。
人間性で残っていける世の中になるのかもしれない。

これからどんな風な世の中になっていくのだろう。










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言い訳の本音

2023-01-27 | 最近おもうこと
自分にないものを見て
「だから私はoooができない」
「だから私は時間がない」
そんな風に何でも、何事もいつだって環境や状況のせいにしたがる。

考えてみたら、できない又はしない言い訳を
作り出す方が楽だからだ。
本音は「努力したくない」ということだ。
そこに、似たような仲間や考えを持つ人を見つけて同調したがる。
そんな風にダメなパターンを作り出す。
でも、これは多くの人が日常的にやること。

努力はせずに手に入れようとし、
手に入らないことで嫉妬したりひがんだり
手に入れた人の悪口や
ひどい場合はその人への何かひどい仕打ちを考える。

人の努力、時間の使い方は見えない。
人はもっともっと、あなたより忙しく時間もないかもしれない。
もっともっと、努力しているかもしれない。
欲するわりに、人は驚くほど努力しないものだ。


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人の評価

2023-01-26 | ちょっと、ひとりごと
子供の頃、小学校に入る頃にはすでに目で見えるもので
人を評価する子供が多くなっていることに
小学校に入ったとき気づいた。

生まれたときから何年かは
人見知りはしても見た目で人を評価なんてしていない。
そう考えれば、後から植え付けている思考だ。

まずは身近な大人の考え。
見た目などの外的要素で、自分達とその人たちを区別すること。

まず、内面を見ることを教える人は多分少ない。
もしかしたら、子供がそうしようとしても
大人は否定するかもしれない。

そうやって自然と人を評価していくことを刷り込まれていきながら
自分でそれを拡大していく。

人間の価値はそんなものではないはずだ。
でも、人が与えられるチャンスはそんなことで奪われる。
何かしらの反発運動が世の中で盛んになると
表面上は気を遣って自分はそんなことで評価しないし
してはいけないのだと思うけれど
あくまで表面上なことで、
自分の内面から湧き出た自然なことでないので不自然だ。

もっと魂としての輝きを感じられたら
馬鹿げた評価をせず必要なチャンスも必要な人に与えられるのに。



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友達の違い

2023-01-25 | ちょっと、ひとりごと
今の時代は特に「友達」という定義は人によって違う。

多分、私の思う友達と
かなり違う感覚の人も多いことに最近気づいた。
私の中で友達と呼べるまではかなり時間がかかる。
「知り合い」から「友達」に変わるということだ。

それは多少相手のことを知ったところで
私の中では友達まで行っていない。
もちろん、毎日何かしらの理由で
顔を合わせたからと言って友達でもない。

でも、「知っている」人のことは「友達」と思っている人もいる。
よく知らない人でも「友達」と呼ぶ人もいる。



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本当の輝き

2023-01-24 | ちょっと、ひとりごと
人間の持っている性質はいつだって同じだ。

その規模が変わっても物心ついた人たちは同じことをしている。
年齢が変わればその対象になるものは当然変わる。
きっと自分の周りで起きていることは、
まだまだ規模が小さいだろう。
この世の中には、
その規模は想像もつかないくらい
大きなものになってあることだろう。

それで分かることは、
性質は変わらないということだ。
対象の規模が変わるだけ。。。
それによって隠れていたり見えなかった性質に
気づくことはあるだろう。

どんな規模にあっても変わらずに在ることは難しいのだろう。
もしくは変わるような人が規模を拡大したがるのかもしれない。

人間の誕生は分からないけれど、
何か大きな存在を真似ようとしてきていると
残された歴史を見ていると私は感じる。

それくらい強欲なエゴが働き外見や行いを真似、
あたかも自分がその存在で在るかのような、
またはそんな力を持っているかのように見せようとし
同じように力を欲していた。

もっと何か、変わらない大きなものを私たちは持っているはずだ。
愚かにもこの現実に惑わされ、錯覚した力を求めるより
もっと大きな、変化のない力が在るはずだ。

私たちは何なのだろう。。。
私たちが変わらず持っているものを研ぎ澄ましていこう。



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何のための人生か

2023-01-22 | 最近おもうこと
富や権力のような現実のエネルギー、
人が持つ純粋なエネルギーは
イコールではないことが殆どなのは何故だろう。

それがイコールなら地球は平和になる。
でも、どんな性質も人間が持ち合わせているものだ。
人間や地球はどんな方向へ向かっているのだろう?
何か大きな、在るべき方向へと
長い期間をかけて向かっているのだろう。

個人の権力や富はどんなに大きくても高が知れている。
ましてやちょっとしたものならなおさらだ。
でも、個人の人生という期間を
その権力のために多くの人は使い果たしてしまう。。。
中にはそれを代々繋いでいく人もいるけれど。

競争の社会の中で自分も参加して消耗することもできるし
消耗しないこともできる。
心がどこか他人事になれれば。。。
社会を放棄することがいいことだとは思わない。
ぼんやりやり過ごすことでもなければ
向上心もなく綺麗事を言っているだけのことでもない。
この世の中にいるのなら
自分の中のあり方を見つけ社会と関わることが一番現実的だ。

心身の平和を保ちつつ、社会と関わること。
心身の柔軟性を持っておくことが
自分自身のエネルギーを高めてくれると思う。
何となくだけれど、
結局はそういう人の方が本当の強さを持っていて
地球と共鳴しているものを持っているのではないかな。







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自分で限界を作る

2023-01-21 | 最近おもうこと
人は自分で自分の限界を決めているのだと思う。

ある人は、まだ30代くらいなのに
ハイキング(ここでは山?ジャングル?崖?)は
年だからできないと言う。

ある人は、50代で今さら新しいことをしても仕方がないという。

ある人は60代になったので運動や新しいことを初めて楽しんでいる。

ある80代の人は70代は若いという。

身体も心もいつも何にごとも自分で想像しているのだろう。
その想像の中で限界や制限も作り出している。

実際に肉体が十分若くても、自分自身で十分老いた
と考えているのならきっとそうなのだろう。

自分に可能性があっても、
自分には無理なことだと決めているのなら
それもまたきっとそうなのだろう。

自分の限界も制限も自分で決めている。
何かと比べて制限するより
実際にできることならゆっくりでも少しづつでもやればいい。
今より若い日はこの先来ないのだから。






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