今日は新月。
それも特別なもので、
10月1日の新月に続き今月二度目です。
そんな時は、パワフルな力があるそうですので
何かスタートしようと思っているのなら
しっかり新月から始めるといいかもしれません。
蠍座の新月なので、それにあったものだと
よりいいのではないでしょうか?
足のケガでしばらく動けなかったので
今日からできる範囲で
筋力運動を開始して更にナマッタ身体に
喝を入れていきたいと思っています。
昨日、今日と家の中を掃除して
年末に備えてきれいにし始めています。
12月はほとんど家にいない間に年末になるので
11月中にいろいろやっておかなくてはいけないので・・・
これくらいの寒さのうちに
大きな掃除を済ませておくといいかもしれませんよ。
今度、家に居られて暖かい日に
窓ガラスなど外に出なくてはいけない
掃除を済ませたいなぁ~と思っています。
今回は本格的ですが、新月に合わせて
普段よりちょっと丁寧に掃除をするのが私流です。
気持ちよく新月がスタートできておススメです。
おととい変わった夢を見た。
詳しい内容は忘れたけれど、私が溶けていく夢。
今までにないものなので印象的で「何これ?」と
夢の中でも客観的に思っていた。
今日は前に亡くなった友達を思い出し寂しく
思っている夢・・・
年月とともに
自分自身が変わり、周りも変化し
それに対応していく。
そんな風に、積極的に変化していくこともあれば
余儀なく変化させられていくものもあるようです。
最近は美容院もカラー専門店というものがあります。
カラーをとてもリーズナブルにしてくれるので
若い人、白髪のある年代にとっては有り難いシステム。
随分前に、市販のカラー剤を持ち込めば
安価で施してくれるシステムがありました。
でも、市販のカラー剤は使いたくない人もいます。
それなりの材料を使ってくれて
無駄を省いたものは消費者にとっては嬉しい。
今、様々な仕事がこのように安く提供し始め
消費者側に立てば嬉しい事ですが
経営者側は生き残りが大変になっていきますね。
何でも薄利多売が出てくると
その業種全体が価格を下げていくようになり
その結果、人件費も安くする事を考えます。
会社内、取引先など
末端ほど実りが少ない世の中になってしまう。
安く働く、又は数ヶ月は無給で働く…
フルタイムで仕事を自活した生活はできない。
そんな会社でも働く人がいるからダメなのですが…
そんな、 近頃の経営や働く側の意識を
考えたりしました。
先日、やっとギブスがとれましたが
まだまだ歩くのも大変なので、
ゆっくり慣らしていかなくてはいけませんね。
今回のことで、もっと他の人に
優しくできるのではないかと思います。
そうこうしている内に、
10月ももう直ぐ終わり11月になります。
私にとっては、今年の11月は大きな
ターニングポイントです。
今年は大きな1つの区切り・・・
ある番組で、これからの仕事は40歳で一区切りし
新しい働き方になっていくようになる?というような
ことを取り上げていました。
まぁ、寿命から考えると
半分くらいの40歳で若くもなく年でもない
新しいことを始めるのに
体力と気力がまだ十分にある年齢なのかも。
確かに、30代は仕事が乗って結果も
良い感じでついていっているのかもしれませんね。
40代はそんな勢いとは違ったものになり
少しこれから先のことや
老後を考えられるようになります。
私はこれからは50歳くらいで人生を
違った方向へと動いていく人が
増えるのではないかと私は個人的に
思ったりしています。
目が見え、音が聞こえ、手も足も自由に動かせ
大きな病気になっていない多くの人は
自分を何処か不自由にしてしまっていることに
気づかないのかもしれない。
全ての機能がスムーズに機能しているのが
いかに凄いことで、
それらをしっかり機能させることが
大事なんだと言うことを忘れてしまう。
耳はイヤホンで塞ぎ、
目はスマホなどの機器に夢中になることで
塞がれたまま過ごすこと。
危機感がなくいられると言うことの
表れなのかもしれませんね。
日本がまだまだ安全だと
いうことなのかもしれませんが・・・
全ての機能は「生存」に必要なもの
としてあるのでしょう。
進化していくに従って
もっと五感を楽しむことも覚えると同時に
何か偏って使い始める。
何かが進化する過程では
何かが退化するののかもしれませんね。
人間に備わっている様々な機能と
目に見えない感覚や感情も同じように
進化や退化しているのかも。
そうやって、だんだん変化していく・・・
いろいろなライフスタイルがあるなぁ
と今更なながら思います。
家族や親子の関係もさまざまですが・・・
現在の日本は、比較的同じような
中流階級と思っている部分が多いのだと思います。
中流階級の中にも、もちろん違いはあるけれど
みんな同じように中流階級と
思いたいような傾向がありますね。
日本では、お金持ちの生活といっても
今まで知っていたのは想定内であるような
そんな感じでしたが
でも、全く違う世界もあるのですね~
若く、仕事をしていなくても
結婚などし家庭をもったら
掃除はハウスキーパーさんがやり
赤ちゃんが生まれると、
ベビーシッターさんが育て、
それぞれの係りの人が
子供の世話をするために雇われる。
習い事の送り迎え、日常のお世話など・・・
ずっと、親が援助をし
その生活は当たり前として子供の時からあり
家事も育児も自分でするなんて
考えていない人生。
結婚しても親になっても孫ができても
家庭の中ですることなんて
ほとんど変わらないようなスタイル。
家の中のことも、子育ても
全て誰かがやるのが普通の生活。
やらないといっても、
親が全部やっているというのはききますけど・・・
たまにお手伝いさんがくるとか
仕事で時間がないから週に一度掃除を頼むとか
運転手さんのいる生活とか
年齢で家事が大変になってきたなどは聞きますが
自分でやるということが初めから全くなく
育つ人たちもいるのですね~
日本のように、レベルの違う人たちが
同じような場所に混合している社会も
少し不思議な気がします。
同じ学校、同じレストラン同じお店など
生活レベルが全く違っても
同じような場所へもいく・・・
でも、確実に格差は広がっているような気がします。
日本も外国のお金持ちの感覚のような
生活をしている人たちがいるのですね。
普通のお金持ちではなく、半端ない生活の違い・・・
本当に、いろんな生活スタイルがあるんだなぁと
改めて実感した今日この頃です。
何かを探して人生をもがくこと・・・
小さなときから、そんな風に生きる人
そんなことあまり考えない人
何かの機会に探し始める人
受動的か能動的かでも、
人生の進み方は違うのかもしれない。
「自分で」できることは限られているような気もする・・・
向こうから、必要な時に機会を与えてくれるのかも。
やっきになっても、
見つからないのはそのせいなのかもしれない。
では、機会がやってくるのを待つ?
それまで、がむしゃらに何かをしているときは
なかなか求めているものは見るからなくても
その過程で大きな変化を経験してくでしょう。
ただ、その時その時目の前にくるものだけに
しっかり対応してく。
きっと、どちらも正解で、
探している「何か」にだけでなく
常に「熱心に」することが大きな違いになるのだと思う。
ゆったり目の前のことに目を向けるのもよい。
見えない何かを探すのもよい。
人生が自分に与えてくれる方法は
それぞれの人生によって違うのかもしれない。
人生が私たちを動かす。
自分の歩みがゆっくりになって、
今まで、どれほど忙しなく動き回っていたのかに
初めて気づきます。
時間に余裕があっても、
ただ速足で移動して人を追い越していく・・・
そんなときは、自分のペースが速いことに気づかない。
実際、速さも必要だったりする。
都会は特に全てのペースが速いのでしょう。
速いペースが当たり前なので
そんなペースの邪魔はしないように気を付けながら
自分に必要なスピードを見つければいい・・・
まず、自分のスピードに気づくことが先になるけれど
どうしても周りのペースに飲み込まれてしまう。
私自身は、これから変わっていくスピードの変化へ
慣れるよう、その準備を今年していたような気もします。
実際の歩むスピードも、考え方も
自分が思っている以上に
忙しなかったのかもしれませんね。
私がなかなか動かないので
病気や怪我を経験して強制的に別の見方を
させてもらったのかもしれないし・・・
この程度でよかったかも?
まだこれからのことは分からないけど
今、一つづつ気づいていることが
大事だということは分かり始めています。
それぞれのスピードや景色からでしか
気づけないことが沢山あるものです。
色々な経験をするからこそ、
気づき、見えるものがありますね。
昨日、早朝から1つ用事を済ませた後に仕事へ行った。
本当に昨日は良い日で、
親切な人に恵まれていました。
この二週間半くらいの間で初めてなこと。
タクシーに乗ったら、わざわざ車から降りて
松葉杖を持ってきてくれるドライバーさん。
ちょっと、怖そうな若いお兄さんの親切。
階段やエスカレーターより奥まったところにある
エレベーターに私がつく頃、
後から彼が急いできたと思ったら
先にボタンを押しにきてくれてドアを抑えてくれていた。
その後に乗らずに階段を使って行ったのをみて
エレベーターに乗るためにいたんじゃなく
本当に手伝うためだけにきてくれたと思ったら感動した。
また別の人には、電車に乗っても席を譲って頂いた。
今日はそんな沢山の温かい親切に触れた日でした。
人は見かけによらない・・・
多くの人は、見かけや肩書きなど
本当に表向きなもので人を判断したりするけれど
それが、「人として」を見るときに
どんなに役に立たないか分かっていなさ過ぎる。
仕事でもプライベートでも色々な人を見てきて
つくづく思う・・・
「人として」考え動く人たちは
まだ、表向きに重点を置かれているこの世の中で
嫌な思いをしたり、
損をしたりすることも多いと思うのです。
でも、その分また「人として」成長し
必ずそれぞれが、
自分の価値に見合った場所にいく気がします。
仕事をしていると、どんなに天気が悪くても
どんなに具合が悪くても休まずに行く。
昔、会社に勤めていたときは
自分でなくてはならない仕事が無い日で
人が足りているなら急に休んでも問題なかった。
朝行きたくないときは急に休んだりしても
有給や自分の休み(シフト)を変更さえすれば
お給料にだって何も影響しなかった。
そのうち、人数がぎりぎりの会社に入って
一人休むと迷惑がかかるので
少し仕事に対しての責任感を覚えた。
それから、新しい仕事になって
私がいなくてはならないものになり
そのうちに、自分の仕事を始めたら
休みや遅刻がありえないものになった。
ある程度の規模に勤めていれば
いかに自分が守られて、
多少のわがままさえも
通用していたかなんて気づかないもの。
どんな状況でも、仕事があるときは仕事を真面目にする
ということは経営者や責任のあるポジションにならないと
芽生えずらいものかもしれない。
どんな状況でも甘えが即、
自分に跳ね返ってくると
日々、反省することも大きくなる。
そうやって、仕事に対しての取り組み方や
責任感が大きくなっていった。
いつの間にか、仕事が中心になっていたのでしょう・・・
来週にはギブスが取れてリハビリ開始になる。
残り一ヶ月で今の仕事のやり方を止めるけれど
しっかり両足で立って最後の仕事をしていきたい。
その後で
もっと自分の人生が中心になることをしていきたい。