★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

接種の症状

2021-02-26 | 日記

日本でもワクチン接種が始まったようだ。

 

先日、旦那さんの状態を書いた続き。

注射は2回打つことで完了する。

周りのアメリカ人の人たちは積極的に打ちたいようだ。

1度目は何も症状が出ない人が多くみられるけれど

2度目は夜や翌日から気分が悪くなったり

風邪に似た具合の悪さになったりするということをよく聞く。

もちろん、1度目も蕁麻疹がでたりする人もいるけれど

表れる症状については

お医者さんからあらかじめ言われていて

酷い場合は連絡するようにと指示されている。

ほとんど症状の出ない人ももちろんいる。

周りでは大変なことになった話は聞いてはいない。

 

旦那さんの80半ばのお父さんも明日接種する。

お母さんと2人で首を長くして順番待ちをしていたくらいだ。

私の両親は打たない方向だし私も打つ予定はないし

日本ではやや否定的な考えの人が多いのかもしれない。

今後は分からないけれど、様子を見ようと思う。

 

日本では接種に関しての

実際の情報や周りで打った人が

まだ少ないと思うので症状を書いてみた。

 

もちろん、陽性の人には打たない。

何かしらの病気があるのなら

お医者さんにしっかり聞いた方がいい。

ちなみに、私の知り合いの糖尿病の薬を飲んでいる人は

2回とも終えたけれどほとんど症状もなかった。

30代の健康な同僚は悪寒と気分の悪さで

接種の翌日は具合が悪く

旦那さんは風邪のひき始めのような

倦怠感で調子が悪かったけれど

どちらもその次の日にはほぼ回復していた。

周りの多くの人がそんな感じの症状が出ていた。

 

不安で接種をするのは精神的によくない。

精神的な不安が症状を引き出すことになりかねない。

まぁ、アメリカでは年齢問わず

接種には積極的な様子はあることだけは確かなようだ。

 

 

 

 

 

 

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交通規則に思うこと

2021-02-25 | 日記

昨日、歩行中の母が自転車に激突され

救急車で運ばれたとの連絡があった。

 

車が止まってくれて横断歩道を渡りきる途中で

何処からともなく猛スピードで自転車が突っ込んできたらしい。

それで仰向けに倒れ動けなくなったそうだ。

 

打撲程度で大事にならず済んだので良かったけれど

本当に注意して歩かないと危険だ。

 

日本では横断歩道も車優先になっているし

自転車の運転も無謀だ。

小さな子供を乗せた自転車も確認もせずに

交差点を突っ切っていく場面をよく見て驚く。

車も自転車も、もちろん歩行者も改めなくてはダメだ。

自転車は車と違って小さな時から乗るせいか

規則を知らない人も多いのか?

信号機が赤だけが止まるのではなく

横断歩道は歩行者が優先だと言うことも

車を運転する人は知っていなくてはいけない。

これは声を大にしたいところだ。

横断歩道で車が全て通り過ぎるまで

待っていなくてはならなかったり

前が詰まっていても

絶対横断歩道で止まることをしない車も多い。

どうせ止まらなくてはいけないのに

人が道を渡る、ほんの少し手前で止まる、

または時間さえ余裕がないのか?

 

歩く側も、最近は左右を自分で確認しない人も良く見かける。

ずっと携帯を見ていたり音楽を聴いていて

下を見ていても人が動くのが何となく視界に入るから

自分もそのまま歩き出したり・・・

危険を察知する必要が無い時代がそうさせたのか。

 

どんな規則があろうが自分の身は自分で守る必要がある。

横断歩道だって信号があったって自分で確認することだ。

夜道を歩く時だってそう。

どんな乗り物に乗るときも出来ることはして

避けられる危険はお互いのために避けたいものだ。

 

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心の中の言葉

2021-02-24 | 日記

子供の頃に口に出して言ってはいけないことを大人に教わる。

意地悪を言う

誰かを傷つけてしまうことを言う

文句を言う

汚い言葉を口にしてはいけないなど

そんなことを学びながら大きくなり

誰かの感情を察していくことも覚え、

自分自身でも口に出してはいけないことを感じていく。

 

けれども、本人がいなければ陰で言うことをし始め、

自分の正体が明らかにならないのなら

酷いことを平気で言うことをし始める。

善い人を演じ、自分でも善い人になりたくて

心の中で毒づいても口に出さなければいいと

感情を押さえていくかもしれない。

 

いつの間にか抑圧された鬱憤が心の中に残る。

 

小さな子供は、

その言葉が酷く誰かを傷つけるなんて考えてもいない。

感情を言葉で発しているだけだ。

大人はその言葉に意図を持っている。

 

もちろん、誰かを傷つけることは言わないほうがいい。

でも、もしかしたら口に出して言った方が

いいのかもしれないとも思う。

自分が直接面と向かって口に出して言うことで

相手の反応は瞬時に見て取れるし

自分自身の性格だって自分で把握できるかもしれない。

 

物事がもっと単純になるし・・・

自分自身が意地悪な性格を変えたくなれば

思いから変えていくことになる。

周りにとっても、どんな人か直ぐに分かるし

同じような考え方同士、直ぐに意気投合できるだろう。

 

現代では必要以上に善い人ぶる必要があるのかもしれない。

その言葉に意図を持たせるのはそう感じている人だ。

言葉には出さず近くもならず、

自然に避ける方が冷たい大人のやり方なのだろう。

人の感情も態度も複雑になる一方ではないか?

 

本当は心の中の毒を減らし

暖かいものを持つことができればいい。

口に出しても子供のように

大した意図がそこに含まれていない方がよほどいい。

大人のように口に出さなくても意図をもって

心の中で思っているほうが悪質だ。

 

全てを口に出すことが良いとはもちろん思わないけれど

自分を変えたいのなら抑え込むのではなく

自分自身を出していく方が早いのかも?

その分、痛みは伴う可能性はあるけれど・・・

 

心の中で思うこと、意図は何かが大事で

口に出すか出さないかという

表面的なことばかりに注目しないことだ。

 

 

 

 

 

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直ぐ挫折するもの

2021-02-23 | 英語のこと

言語と言うのは難しい。

 

同じ言葉から持つイメージが人によって微妙に違う時もある。

同じ日本人同士でも日常的に使用する語彙力の差もある。

会話の中には特別に難しい言い回しが無くてもだ。

 

そんな風に人が感じ、

イメージして当てはめる言葉は微妙に違う事もある。

 

他言語を勉強していると

その単語を日本語の雰囲気に合わせる訳だけど

本に書いてある日本語では違った単語をイメージしてしまう事がある。

日本語でさえ難しいのだから

他言語からの訳はさらにその人の持つイメージが入るような気がする。

元々集中力の無い私にとって勉強が嫌になる部分でもある。

いちいち何でこっちの単語じゃないの?と調べなくてはならないし

進みが悪いのにさらに気が散る。

同じような意味合いでも、

きっと頭の中でイメージするものは微妙に違っているのだろう…

よっぽどのネイティブ並みでないと

相手のイメージ通りに受け手がイメージできているか微妙だ。

 

語学は暗記も出来ないし、直ぐ挫折する…

そこまで追い詰められていないから

やる気が出ないとか言ってられるのですが…

 

どんな環境、どんな状態でもやる人はやるのだからね。

できない言い訳にしか過ぎません。

 

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たまには静かに

2021-02-22 | ちょっと、ひとりごと

本当に自分が求めていることを自覚することは

多くの人にとっては難しい。

 

でも、望めばいつか自覚できると気がくる。

諦めないことだ。

 

諦めないことと手放すこと・・・

 

自分が出来ることとしたいことが

一致していないかもしれない。

意外と多くの人がそうだったりする・・・

 

自分以外、この世にいなかったらどんな行動をしているかな?

 

たまには一日中テレビ、携帯やパソコンの電源を切って

静かに過ごしてみるのも現代人にとっては大事なことだ。

自分で決めて実行してみる曜日や時間を作っていくのもいい。

 

まず、試しにやってみよう。

 

 

 

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単純が良い

2021-02-21 | ちょっと、ひとりごと

どれくらいのことを私たちは分かっているのだろう。

世の中のこと、世の中の真実

きっと私たちが知っていることや

知ることができることなんて、本当に表面的なことなのだろう・・・

きっと想像もつかないことだって多いのだと思う。

 

私が真実だと思っていることだって

それを違う角度から見ている人たちにとっては

そこには違う理由が存在している可能性もある。

 

例えば自分が働いている会社のことだって

その会社を動かしている人のことを

どれくらい私たちは解っているのだろう?

パートナーや家族の真実の考えさえ知らない人もいる。

それくらい身近なことだって真実が分からない。

真実に基づいて動いている人ばかりでもないし・・・

世の中には本当に見えない、分からないことが多い。

 

身近なところにだって、

私にとっては汚いと思うような沢山の動きを見た。

小さな場所にさえ、沢山のことがあるのだから

規模が大きくなればなるほど動きも内容も汚くなるだろう。

だから、それに気づくことも難しい。

誰かにとっての利益のために動いていることは多い。

表面的に作られたきれいごとで見えなくしているだけだ。

 

せめて、小さなところからシンプルにしよう。

物事はもっと単純なのだから・・・

 

 

 

 

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パン作り

2021-02-20 | 日々のこと

最近、食べたいパンを作っているのですが

生地を作るにあたって、

色んな作り方があることを知った。

少しだけ生地を前日に作って本生地に混ぜるとか

とにかく色々な生地の発酵のさせ方があるようだ・・・

作り方によっては結構な時間がかかる。

まだ初心者なのでどの作り方がいいのか

どの作り方がどんなパンに向いているのか分からないから

作るたびに違うやり方で試している。

美味しくできるといいなぁ・・・

 

楽しい食事は人を幸せにする。

もちろん美味しければ最高だ。

 

 

 

 

 

 

 

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何も変わっていない

2021-02-19 | ちょっと、ひとりごと

世の中の随分変化し人も変化しているように見える。

 

でも、よくよく見ていると

表面的には変化していても奥深い本質は変化していない。

日々の生活の中で、

変化している部分がどうしても目についていくけれど

本質は何も変化していないのだから

もしかしたら自分もそこを掘り下げていくことで

何かに気づいていけるのかもしれない。

そこの部分は魂の求める人生な気がするから・・・

他に対しても同じだ。

 

人は変わっていっているようで変わっていない。

表面的なものなんて時代で変化してしまう

ただの錯覚のようなものだ。

自分で気づいていくしかないものだけれど

人は理由なく、そこに共感できるのだろう・・・

それは単に純粋な部分だから。

 

それなのに表面的な部分ばかり追ってしまい

全てが混乱してしまう。

人生も、世の中も・・・

混乱しているときは本質は見つけられない。

まだだ・・・

 

望み続けることが必要で

適切な時期にやってくる。

 

 

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繋がり

2021-02-17 | 最近おもうこと

最近、人と人の繋がりについて考えることがある。

 

例えば友達がほとんどいなくても

そこには既に人々の繋がりがあって自分がいる。

あったことが無くても父親、母親がいて自分がいる。

その親にもそれぞれ二人の親がいて既に4人の人が繋がっている。

自分が結婚しているのなら、自分に2人相手に2人

その上には4人づつ・・・と言った具合に

沢山の繋がりの中に自分がいる。

 

生きていく中で出会う人たち。

自分にとって、そんなに深い関りがないと思っていても

もしかしたら相手にとっては

とても記憶の中に残る人物になっているかもしれない。

意外なところで影響していた可能性はある。

そして、その繋がりの中から亡くなっていった人との縁もある。

 

そう思うと、どんな人でも多くの魂とも繋がっている。

自分が思っている以上に沢山の魂と・・・

自分の子孫を残さなければそこまでなのだろう。

 

よく自分の子孫を残すこと自分の血や名前、

もしくは自分の名前や業績など生きた証も残したい人はいる。

人それぞれ、強い欲の部分は違うものだ。

 

先ほどの繋がりを考えたときに

夫婦やパートナーになると言うことは

他人でありながら強い繋がりをそこに持つことで

血縁でもない訳だ。

それならば、子孫も同様に考えてみると

自分に子供がいようがいまいが子は皆の子供と言うことになる。

親ならば自分の所有物ではなく

単に子供を育てる役割として与えられるのかもしれない。

種族を継承していくということなのか…

 

もっともっと未来にはいろんな垣根がなくなっていくのだろうか?

単に共存していくための共同体なら

自分のとか、家族だけのとか国のとか

小さな範囲で物事に垣根を作っていけなくなる。

お互いにお互いが必要な繋がる共存・・・

 

自分の繋がりを思い返して感謝をしていこう。

 

 

 

 

 

 

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なんだろう

2021-02-16 | 体験やイメージ

昨夜は旦那さんがお仕事を遅くまでしていたので

私も付き合って起きていた。

でも、夜9時も過ぎているにもかかわらず

コーンチップが食べたくなってアボガドのディップを作り

寝る前なのにテレビを見ながら食べてしまった・・・

さすがに最近は寝る前にお腹いっぱいだと

朝の胃もたれも気分が良くないので控えている。

ひと口ならまだしも、

私の場合ほぼ完食してしまうのでダメだ。

まぁ、ダイエットには悪いけど明日は気を付ければいい。

痩せられないのは食べ過ぎなのは明白だ・・・

でも、人生を楽しむことの一つに

私の場合は食もあるので仕方がない。

いい加減とヘルシーさのバランスを取ればいいかと思っている。

痩せられないけど心身ともに健康ではある。

 

話しは変わって、昨日ちょっと面白い経験をした。

瞑想をしているとき一瞬だけれど、

自分の中に拡大する部分を感じた。

それは外側にある世界よりもずっとずっと深く広い

ゾクッとするほど広大なもの・・・

それを垣間見た感じだ。

 

私にはまだ解らないけれど

もしかしたら外側には何処にもない

人の感覚では怖いほど深く広大な想像もつかない何かと

人間は繋がっているのかもしれない・・・

 

もしもそうだとしたら、人間の持つ可能性も力も

想像がつかないほど大きなものになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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