★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

少しずつ変化を受け入れる準備をする

2016-04-30 | ちょっと、ひとりごと


去年から考えていたこと・・・


ちょっと、生活を変えるために仕事から一旦離れるかどうか。

まだ煮え切れないのだけれども、遠くないうちにそうなると思う。


どちらにしても、4年後くらいには私の環境は大きく変わることになる。


それまでの間、少し生活を楽しみたいとも思うのです。


まだ、決めかねていますが・・・



ずっと、好きだったことが、やらなくちゃ!
やらなければならない!と気持ちも変化してきて
今、自分の情熱がなくなってきているのも自覚しているから
一旦、立ち止まることも必要かと思うのです。


ずっと、ずっと、いろいろなことに突進してきて
忙しい毎日の中で、心の声から遠ざかりすぎた。

遠ざかりすぎて聞こえなくなってしまった・・・



違うスタイルを作る時期がきているのかもしれない。


まだ、ぼんやりとして踏み込めないけれど
遠くない時期に既に始まっている変化が
やっと、少しずつ形となっていきはじめるのだろうなぁ。



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今いる道でいい

2016-04-29 | 日記


自分の人生に意味を見出せなくて落ち込むこともあるかもしれない。

そんなとき、人の人生は素晴らしいように感じたりする。


どこから違ったのか・・・?



どこから間違ったのでもなく、
みんな自分自身の道を歩んでいるだけ。


それぞれに必要な道を歩んでいる・・・


だから、それぞれ違うのだと思うのです。


今、誰かの道がうらやましく見えても
その歩みはあなたには合わなかった。

都合よく、部分的にほしいとはいかない。


一つ一つの選択が今に繋がっているのだから・・・



うらやましく思えるものもあるかもしれないけれど
あなたが、それを手にしていないなら
持つ必要がないからかもしれない。



そんなときは、自分の人生に立ち
今何ができるのかを見つけてみればいい。

どんなに小さなことでも、今できること。
自分が喜ぶもの、人が喜ぶ・・・


いまある人生は自分に必要なものを
全て与えてくれているはずだから・・・

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迷いだらけの人生

2016-04-28 | ちょっと、ひとりごと


常に人生を受け止めて、その人生を進んでいく。

または常に人生に疑問を持ち
何か違うのではないかと試行錯誤ばかりしている。



人生の歩み方にはそんな2つのタイプがあるのでしょうか?



あなたはどちらだと思いますか?


私は後者のような気がします。


だからこそ、前者のような迷いがないようにみえる潔さが
ある意味うらやましく思えたりします。


今まで何をやってきたのだろう?

自分は何をやっているのだろう・・・

どこへ向かうのだろう・・・


いつまでもそんな漠然とした何かを求めて
堂々巡りをしている人生に何の意味があるのだろう。



自分にとっての物質とは?

目に見えない何かを優先して物質が二の次になるのは?

そんなことばかりしていたら、
人生の本来やるべきことや、
残さなくてはいけないものさえ見失うのではないか?



そんな堂々巡りをしたところで何も答えは出せずに
ただ年月が過ぎていく・・・



それも、人生なのかもしれない。




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いいところを伸ばす

2016-04-27 | 日々のこと


今日はテキパキできた1日だった~


おかげでスッキリ過ごせます。




人にはそれぞれ陰陽の両面を持っていると思います。


陽の部分を早くから大きく伸ばすことができていたら
とても幸運かもしれませんね。

何かの理由から陰の部分を伸ばしてしまう人もいるでしょう。



自分のいい部分・・・


自分自身で悪いところは見つけやすいけれど
良い部分を的確に認識するのは難しいのかもしれませんね。



早いうちから、自分自身を知っていたら
人生は大きく違うものになるかもしれませんが
いつからでも、自分のいい部分を伸ばすことはできます。


自分のいいところを伸ばすのは、自分のためにもなりますが
人にとってもいいことになると思うのです。



そんないいところを日々生かすこと。

大事なことではないでしょうか。











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何を基準に受け入れているのか?

2016-04-26 | 日記


同じことを言われるにも、その人の経歴やバックボーンがあるからこそ
聞き入れることができたりできなかったりするようです。


全く同じことを言っているのに・・・



そう考えると、私たちは何を基準にしているのだろう?と思う。


もしかしたら、沢山の自分にとって大切な言葉やアドバイスを
聞き逃しているかもしれません。



他人の人生を詳しくは知らないことはあります。

もしも、その人が大きな苦難を経験しているのを知っていたら
あなたへのアドバイスは有効になるかもしれませんが
もしも、知らなかったら「何の苦労も知らない人に言われたくない」と
聞く耳なんてサラサラ持たないかもしれません。


でも、同じ言葉を投げかけられている訳ですよね。



表面的なことに基準を置いて物事を捉えている人はとても多いし、
スピリチュアルなことに興味がある人たちにも言えることです。


それくらい、当たり前に含めて判断しているところが私たちにはあります。

影響力を考えると危険でもあります。



自分がどんな見方や判断をしているのか
意識しておくことは大切かもしれません。


誰かが強要するのではなく、自分が許可して受け入れることだから。



自分が信じるものも自分の選択です。







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変な夢

2016-04-25 | ユメの話


おととい見た夢。



天気のいい日に、どこかの街を歩いている。
周りには団地というか低めのマンションのある場所を歩いていた。

ちょっと変わった雰囲気の年配の女性がいて、
何か一人でしゃべっているようだった。


そんなに人は歩いていなかったけれど
子供連れの夫婦も少し不思議そうな顔をして振り返っていた。


すると、地方の祭りにあるような大きなお神輿が
大勢の人と共に私のいる通りへやってきた。

とても大きなお神輿なので、上の人がいる場所は囲いがあって
何人かが乗っていた。

そこに、あの変わった女性が飛び乗って動き回ってる。

私は落ちるのではないかとハラハラしていたが
女性はアクロバティックにピョンピョンと
移動しながら何かやっている。

すると、私の目の前を一人の男性が通って
一瞬私を見てニヤッとしてお神輿に乗った。

そのとき、昔付き合っていたいた人に似ている気がしたけど・・・

その男性は上から下にいる人にぺっぺっぺと右から左へと唾を吐いた。

私や周りのひとに唾がかかった!

何か少し悪人面で癖がありそうだったし
元カレではないよね?と自分で確認していたけれど
私を見たし・・・でも、こんな失礼なことするわけないと
思いながら頬にかかった唾を拭きながら
私何かひどいことしたっけ?いや、していない。
やっぱり、知らない人だ。

私だけを狙ったわけでもないし・・・

何なのお~


と、思っているうちに目が覚めた。



そんな変な夢・・・


今日、気になって夢について読んだら、

お祭りも唾をかけられるのも良いらしい。


唾は悪いのかと思ったけど、いいものらしい。




何か、いいことがあるといいなア~

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大事なものは・・・

2016-04-24 | 日記


時代は刻々と変化をしています。

ITも当たり前のような時代になって、
ここ20年の間だけでも大きく世の中は変化しています。


世の中のツールは大きく変わりました。



それに伴って、道徳心も変化しているような気がします。


道徳心が変わると言うことは、
思いやりや、やさしさと捉える気持ち自体も変化しているのでしょう。


子供の教育は親など身近な大人が行うわけです。

例えば、今の子は・・・と言うなら、
育てる側にもその言葉が当てはまることになります。


電車などでも、今は親が子供に席を譲る・・・
またはおじいちゃんやおばあちゃんが孫に席を譲るのを見ます。

お年寄りに席を譲っても、それを孫に座らせてしまいます。


先日、よる7時半くらいの電車に乗っていたとき
私の立っている近くのシルバーシートの席が1つ空きました。

近くにいた塾帰りの小学校低学年らしき女の子とお母さんが立っていましたが
そのお母さんが娘に「席にすわれば?」とすすめていました。
娘が首を横に振ったので、後からきたお年寄りがその席に座ることが出来ました。


いろいろな考えがあるとは思いますが
私は昭和な考え方をするので、元気な子供は立ちましょう!と思うのです。
親が子供に、お年寄りが孫に席を譲るのは違うような気がします。

目上をいたわるとか、思いやりを持つとか
他人にも優しさを持つとか大事なことだと思います。


良い学歴があれば良い就職もできる確立は高いものです。
そうすれば良い生活も送ることが出来るかもしれません。

でも、それだけではない大事なこともあるのではないでしょうか?


大人な私たちが考え行動しなければいけない
大事なことも見失わないようにしたいものですね。





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あるべき自分の姿

2016-04-23 | 日記


以前からよくブログにも書いていることですが
私のイメージでは、この肉体は着ぐるみのようなものとするのが
とても良い表現のような気がするのです。


あまりにも表面的なものに気を取られて演じすぎると
本来の姿を見失ったままになる・・・


例えばディズニーランドのミッキーマウスなどは
周りからもそう求められ、そのように演じ切りますね。


私たちも、小さなときは親の求める子に演じることになります。
そのうち社会に乗っ取って演じるうちに
自分自身が求めていたことさえ忘れてしまいます。

だんだんと、何が好きだったか何をしたかったのか
分からなくなってしまいます。

子供の時に得意だったことが、大人になるにつれて疎遠になり
あまり得意とは言えなくなってしまいます。



子供の時に持ち合わせていた部分は身を細めてしまうようです・・・


子供の時は、もっと本来の自分と繋がっているのではないでしょうか?



大人になるにつれ、より着ぐるみの部分の肉体を演じ
本来の自分が分からなくなるような気がします。


それで、私たちは苦しくなるのでしょう。



もっと繋がらないといけません。



それは難しいと思いますが・・・


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プロフェッショナルはどこへ・・・?

2016-04-22 | 最近おもうこと


最近ではすっかり駅のキヨスクもバーコードをスキャンして
お会計をするシステムを導入されています。


ホームにあるキヨスクも同じように一人お会計が終わってから次と
いうように普通の販売形式になっているのです。

一人が終わらないと会計ができないので、
前の人がお金を出すつもりなのかスムーズ出ないときは待っていなくては
いけませんが、電車が来て買うのを止めることも多々あります。


前は、複数の人が同時にお会計をしているような場面をよく見ました。

懐かしい~!

私はやっぱり、これがいい!


暗算も瞬時にしてお釣りをだすようなスゴ技です。


都内のホームなど電車の間隔も短いうえにラッシュ時は
溢れんばかりの人込みで、お客様の数も多かったのではないでしょうか?

新聞やタバコもよく売れていたでしょうし・・・



キヨスクに関わらず、様々な仕事のプロフェッショナルさが減っている気がします。


効率よく利益を上げることが優先されると
人件費も大きく見直されてしまうのでしょう。


誰がやっても、すぐできる・・・


そんな仕事へと会社側がシフトさせていくのだと思います。

そうすれば、人材も確保しやすい。



誰でもすぐにできるとなると、給金も安くなるわけです。


同じ仕事でも、今まで以上には稼ぐことのできない仕事になってしまいます。



先日、仕事先のビルに来ていたメンテナンスの方も同じようだった。

同じやることの中で融通を利かせてくれていたことでも、
今はできるだけそれどれの日の時間以内に仕事を終わらせたいし
余計なことや面倒なことはしたくないのでやらない。

決められたモノの中で最低限のことだけやればいいようだった。



誰でも気軽にできるようになれば、
その道を極めようと一生懸命努力する人も少なくなってします。

一生懸命やっても、努力しない人と同じお給料だったり
時給自体が安いなら頑張る気にもならないかもしれない。



誰でもできる・・・
経験値やキャリヤはあまり必要なくなってしまっているようです。



それぞれの仕事のプロフェッショナルさ・・・


少なくなっていますね。




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思いやる気持ち

2016-04-21 | 日記


もう何もかも上手くいかないことが人生に起こったりすることもあります。

全てカラ廻りするし、これでもかと言うように
次々と上手くいかなくなったり失ったりすること。


そんなときは、自分だけが辛い思いをしているような気分になったりもする。

周りの友達はそんな辛い経験したことが無いだろうとも思う。

それこそ、「神さまはあなたに耐えられない試練は与えないよ」
なんてことを言われたらカッチ~ン!とするもの。

「大自然の中に立ったら、自分のちっぽけさに気づく。
人の悩みなんてちっぽけなものよ」
その時の自分の痛みが全てで、宇宙規模と比べるわけない!し
普段から宇宙並みのモノの見方をしていない人に言われると
また、カッチーンとする。


本当に上手くいかないときは
これでもか!と言われているように続けて起こる・・・


人の痛みのきっかけは、他人には分からないかもしれない。
もしかしたら、分かろうとしないのかもしれない。


でも、人が心底辛いのなら同情じゃなく
気持ちを分かってあげることは出来るのではないかと思う。

人が辛いときにそれを冗談にするのはあまりに無神経。
面白がるなんてありえないこと。


想像力は日常から私たちは使っているはずなのに
欠如してしまうと人を思いやることも出来なくなってしまうのかもしれない。


傷心は自分にしか癒すことができないもの。
いつまでも甘えているのなら、それは自分自身の問題でもある。

何とか立ち直って前に進むしかない。
それは、その本人がやらなくてはいけないこと。

そのときに、唯一できること。


誰かに心無いことを言われてもほっておけば良いだけ。

自分の周りの人間関係が明確になることはあるけれど
悲しくても、必要のない人間関係にしがみつく必要は無い。


色々な感情を経験し、前に進んだときに
人を思いやる心も身についていくのかもしれません・・・

人間味と言うものが増していく気がします。


悲しんでいる人がいたら、マニュアルのようなものではなく
自分自身の思いやりを基準に持って考え行動することが
大事なのではないのでしょうか。










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