★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

コミュニケーション

2021-06-30 | 日々のこと

私は家にいることが好きなので

1人で篭っていても何の苦痛もなく快適に過ごせる。

だから、2週間の隔離でホテルの部屋から

1歩も外に出られなくても満喫できた。

飛行機も満喫できる。

家族以外の人と頻繁にいることの方が苦痛だ。

 

でも、家にいることが好きじゃない人は多く、

特に人と関わっていたい人も多い。

彼らにとって、家にいなくてはならないことや

1人で過ごすことは耐え難いことだろう。

 

先日、向かいの家に越してきた夫婦の奥さんは外に出たい人。

越してきたばかりで友達がいないから私に興味津々で

日々、私はどう過ごしているのか気になっているようだ。

彼女はタイの人でまだ英語も苦手なようで

私も聞き取れないことが多いけれど、それはお互い様だ。

誰かとのおしゃべりや出歩きたくて仕方がないのに、

旦那さんは家にいたい人らしい。

 

そこで、ここ1ヶ月くらい前から行き始めたジムのクラスは

私が1人で行ける場所なので彼女も来るか聞くと、

運動したことはないけど家から出たいから行くとついてきた。

1度行けば、1人でも行きやすくなると思ったからでもあるけれど

どうやら運動より誰かお友達を見つける方に意識があるよう。

運動よりキョロキョロ周りを見ているので変な動きが多い。

 

昨年、感染が拡大し始める前に私はジムのクラスに出ていたので

その時は話はしなかったけれど顔見知りが何人かいて

今回はお喋りをするようになっていた。

前は、私も越してきたばかりだし英語は苦手だし

クラスの人数も多く基本的にそこで友達を見つけようと思ったこともなく

運動が楽しくストイックにできるという目的しかなったので

ギリギリに入り、終わったら速攻でクラスから出るような状態で

それは何処にいても同じで、だらだら時間を潰すのが好きじゃないだけだ。

 

ただ、今回はまだ再開したばかりのクラスで少人数で

私のようにストイックにやっている人というより

やや運動が苦手でおしゃべりもしたい人も多々いるので

コロナでみんな知り合いに再会できる嬉しさもあり

顔見知りだったことで話すようになっていて

ハイキングなどに誘ってくれるようになっている。

 

多分、ストイックに運動する私にも興味があるのだろう...

運動するために行っているジムの時間を無駄にはできない。

集中し、いい汗をかく...

まあ、そんなことから話しかけてくれる。

私も社交性を持とうと思っていた時でもあるので

臆せず話しているのを見て

お向かいの彼女もみんなと積極的に社交している。

 

彼女はランチとかに出かけたいようだけれど

車がなければ出かけられないし、私も彼女もまだ運転はできない。

第一、まだ私も彼女の英語を聞き取れないので

おしゃべりだけの時間はかなりハードルが高く

まだ英語が苦手な彼女より私が話すことが多い。

でも、聞き取ろうと私も熱心に聞くけれど難しことも多く

私もそこまで英語ができないし基本、おしゃべりではないので

もう少し時間が必要だ。

 

ネイティブの人からした

私に対しても同じような感じなのだろうなと思う。

何か話しているようだけれど分からない...

私はネイティブレベルになんてなれないけれど、

人と社交するとなると

ある程度の言語能力は必要となってしまうのは痛感している。

 

家の中にいることが苦ではないので友達が必要と思わなかったし

英語が伸びないままで嫌だけど避けていくこともできる。

彼女のように外に行って人と一緒にいたい人は

きっと言語のストレスも大きいのだろうなと思う。

 

子供の時と違って、共通する興味を見つけない限り

大人になると社交の際に言語が占める部分はとても大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ダラっと過ごす

2021-06-29 | 日々のこと

先日、映画を見ていたら

主人公の男の子が事あるごとにクッキーを食べるシーンがあり

私も食べたくなった。

それも、大きなソフトタイプのチョコクッキー!!

 

アメリカのこの手のクッキーはとても甘く

時にはザラザラっと砂糖の食感すらあるほどだ。

よく書いているけれど、

私の食に関しての守備範囲は広いので

アメリカの甘いものも問題なく受け入れられるけれど

日本人は甘くて食べられないと言う人も多い。

 

でも、買いに出かけるのも面倒だし

このソフトタイプは一時期凝って研究したので

オリジナルレシピもあり、作ることにした。

私のクッキーは、通常サイズだと一つ食べると罪悪感が出るので

小ぶりにして食べやすくしてあるし甘さも絶妙にしてある。

下手に買うより、安全で美味しい。

 

たまには一日中、ダラっとしながら映画を見たり

好きなものを食べて

のんび〜りパジャマのまま過ごすのもオススメだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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起こりうること

2021-06-28 | ちょっと、ひとりごと

物事は自分の嫌いなもの、

望まないものを避け続けて生きてはいけない。

 

死は嫌だと言ったって、どんな人でもいつかは衰え死ぬ。

現実は望むものに囲まれるだけの人生では終わらない。

子供や自分、大事な人には特に

悪いことは起きないで欲しいと思うけれどそうはいかない。

よく家族や自分にはそんなことは起きないと

思っていたりするようだけれど

誰かに起こると言うことは

誰にだって起こり得ると言うことだ。

 

感情は揺さぶられても、そう言うこともあると

冷静である思考も持っていなくてはいけない。

 

嫌だから避けようとし続けていると

実際にそんな物事が起こった時の打撃は大きくなる。

だから心構えや、ある程度の準備は常に必要なことだろう。

 

冷たいと言われるかも知れないけれど

それが動じないために必要なことだと思う。

 

 

 

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自分を大事に

2021-06-27 | 最近おもうこと

自分の人生を大事に扱っているだろうか?

 

目に見えないもの...

愛に基づいたもの、

思いやりや優しさなど人によって対応が違うのはなぜか?

愛というものを感じている感覚の

大きさ、深さの違いから来るのではないかと思っている。

 

それは、物差しのように基準を設けられるものでもなく

目で見られる訳ではない。

また自分の思うものが未熟なのか、まだまだ浅いのか理解できていない。

誰かの深い愛を冷たい、未熟だと思ってしまうこともあるだろう。

それは、経歴や地位のような肩書きは与えられないし

目で見た形、勉強して頭で理解できるものではない。

 

深みのある人間になることは

本当は、生まれてこの世で本来学ぶべきことな気がする。

そのための物事が周りで起こるだけ。

 

だから、家族がいようが子供がいようが

全ては個であり、また繋がっていると...

自分のやるべきことをやらず、他にかまけていては変えられない。

 

自分を大事に、と言うと

何だか表面的に話したり受け取る人もいるけれど

そんなことではない。

もっともっと、奥深いものだ。

自分のことに積極的にならず、

人のことに首を突っ込みたがる場合じゃない。

 

人はもっともっと、奥深く興味深い部分があり

自分がその部分を大事に取り扱っているだろうか?

 

奥深い人間になっていこう。

 

 

 

 

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感覚で受け取る

2021-06-25 | ちょっと、ひとりごと

人には役割があるのだろうと思う。

他の役割を望む人は多いけれど、それは摩擦を生み出す。

本来の役割に気づけない人もいるし

他の役割を演じているだけの人に気づけない人もいる。

 

もしかしたら、自分が望むものより大きなことでもなく

もっとシンプルなものなのだと感じている。

 

それに気づけ、自分が認められたら上手く回るのだろうけれど

なかなか世の中はそうもいかない。

 

それを静かに感じ取っていこう。

自分から取りに行くのではなく、

必要に応じてサラッと入ってくるようだ。

 

まずは自分を静めることから。

 

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物事の表裏

2021-06-24 | 最近おもうこと

ある専門分野の人でさえ理解できていないことが

この世の中には沢山ある。

 

人間の身体だって、宇宙など自然のことだって理解しきれない。

ましてや、素人で少し調べたくらいでは理解からは程遠いだろう。

専門分野と呼ばれる地位にいても知識やその探求には差がある...

 

自分にわからないことは自分で極力調べる必要も時にはあるし

専門分野の誰かを信じるしかない。

ただ、そこで何を信じるかの選択はある。

 

私たちには選択した結果しか見ることができないいので

もしも、望まない結果が出てしまうと

別の選択をしていたら良いものになっていたと考えたりしてしまう。

 

でも、別の選択をしていても

違う形で同じ結果になっていたかも知れないという結果は考えない。

 

知識、知っているということは大きな力になる一方で

エゴや傲慢さで見えなくさせてしまうこともある。

 

 

 

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まずは自分の信頼から

2021-06-23 | ちょっと、ひとりごと

大きなことと思うものはもちろんのこと

小さなことと思うことも全てが

巧みに絡み合って世の中は出来上がっているようだ。

 

それは自分だけのことに限らず

それぞれが自分を軸に水紋が広がるように

誰かと重なり合ったりしながら広がっている。

それは、それだけ影響し合ってしまうと言うことだ。

 

だからこそ、それぞれが自分自身で選択しながら人生を歩む必要があり、

どんなに近しい間柄でも最終的に決定することに

とやかく外野が言うことではなく、

本人の責任として委ねてあげることが大事なのだろう。

 

個人が自立しない限りは難しく感じるかも知れないけれど

それは愛情からくる信頼関係でもある。

相互依存している間はできない。

自分が自由な選択を人生に求めるように

自分以外の人も同じように求めている。

 

自分が人生を信頼し、どっしりと構えて進むようになろう。

 

 

 

 

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最近の感じ

2021-06-22 | 最近おもうこと

最近、自分が感じ、思考している部分の居処はどこか?

と不思議に感じている。

 

肉体と何か大きな導いてくれているようなエネルギーがあり

その間に自分の思考しているようなものがあるような感覚がある。

常にではないけれど、もっと肉体が器的な感覚を感じる。

それは、以前は頭で思っていた感じで

今はもっと離れたところで感じているような感じ。

 

でも、それはもっと太く、強い繋がりになる必要がある。

 

もし、自分と思っているものが魂と言われるものなら

魂とその大きなエネルギーの源は違うだろうと私は思っている。

魂もまた、自分の肉体とは違うと思っている。

 

やはり、いつも書いているように

ここにもバランスが大切なのだと思う。

 

全てが完璧であり、完璧な動きをしている。

それに従い流れることで、また完璧なものとなる。

 

 

 

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適当も必要

2021-06-21 | 日々のこと

日本だけに限らず、他の国でも接種に関しての

様々な考え方から打たない人たちもいる。

スピリチュアルに関心のある人の間でも多いようだ。

 

また、食事に関してもオーガニックでなくてはいけないとか

野菜や果物など出なくてはいけないとか

してはいけないようなことの情報を聞けば気にする人も出るだろう。

 

これはいけないもの」を気にし始めたら

あれもこれもダメなものが多く

現代の生活の中では多少の制限が出てくる。

買い物をするお店、食事ができる場所

使っていい食材などの次は身につけていい素材

使っていい化粧品や石鹸などキリがない。

その上、それらは値段もいい。

 

自給自足で生活しているような場所ならば

特定のものは自然なものがあるだろうけれど

都会などで生活していたら気軽に手に入る訳でもない。

ネットで買って送ってもらうことになる。

 

身体には自然に基づいた形の方がいいのかも知れない。

でも、現代に生きていて便利な場所にいるのに

極端にどちらかに偏った生活にするのは何処か無理もある。

 

ストレスは心身にとって最もよくないのに

気づかずにストレスが出る思考をしていたら意味がない。

健康に関して気にし過ぎて病気になったら元も子もない。

 

ある程度は気にしても、過度に気にしているより

ある程度は適当さがある方が気楽だし今を楽しめる。

どの人も死ぬ時にしか自分が正しいと思っていたことの

結果を見ることはできない。

 

自分が正しいと思っていることで

楽しく、ストレスが全くないのならそれもいい。

もしも少し手に入らないときに焦ってしまうようでは

気づかないうちに、

それはストレスのあるものになっている可能性はある。

 

ちょっといい加減くらいで笑って過ごせることはいい。

適当に体を動かし、バランスの取れた生活をする...

何事も神経質になり過ぎない。

それは誰でも気軽にできることで

今のところはそれがいいような気がしている。

 

 

 

 

 

 

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世の中と自分のバランス

2021-06-19 | 最近おもうこと

どこに行ってもどの国の人とでも

結局は自分と似たような人としか親しくなれない。

誰でもいいから、とにかく多くの人と付き合いたい人なら話は別だけど...

 

人付き合いは人それぞれ違うし

気の合う人も違う。

ただ、気の合う人は必ずいるし一人でもいれば十分だ。

 

友達になれる人がなかなか見つからなくて

孤独になってしまい

周りから自分だけ取り残されたような思考にならないことだ。

単に気の合う人と出会っていないだけなので

自分もまず、きっかけを作ることをしなくてはいけないかも知れない。

友達もそうだし、パートナーもそう。

 

最近では、多くの国の人が友達やパートナーを

インターネット上で探すようだ。

合理的にできることもあれば危険でもあると思うけど...

私はそこで出会いを求めたことがないので分からないけれど、

10代からずっと上の年齢まで同じように使っている。

日常の中での出会いはないのか聞くと「ない」と言う。

 

世の中を見ていると、

人との出会いも含め科学技術が進む一方

人間の持つ多くのものが見失われたり

本来なら無いものが有ったり、有るものが無いような

何か不自然な歪みを感じてしまう。

 

人間の感情や思考と

科学のバランスが取れていない気がする。

科学の発達は人を傲慢にさせやすく、それに気づかなくさせる。

なかなか本来の自分で在ることも

難しくさせてしまうのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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