★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

あ〜ア

2018-09-30 | ちょっと、ひとりごと


パソコンの調子が悪くなってしまった…


新しいパソコンをそのうち考えないといけないかなあ〜


先日は携帯電話、今回はパソコン…

あーア、アナログな私にとってはとても面倒くさいこと。


使い慣れないIpad をしばらく使ってみよう。


まだ、面倒なので又明日。



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固定概念を壊す

2018-09-29 | 最近おもうこと


人は自分が信じたいものだけを信じているのだと思う。



例えば、自分が「見た」と思うもの。

例えば、「聞いた」と思うもの。

例えば。自分が信じる人が言ったこと。



そうやって自分が信じたいものを
信じているのだと思う。


それぞれが信じたいものを選択しているとも言える。

ある人達はその性質を利用している。



信じていることは本当に真実なのだろうか?



ずっと、ずっと、ずっと長い時間、
長い歴史もそうやって作れれているとしたら
また、それも興味深い。



自分が理解できることを
自分の信じられる、信じたい枠の中に入れる。


そうでなければ、
枠外過ぎて受け入れることはできないから。



物事を、何の理屈も理由も付けずに
ただそのままを感じるのは難しいのかもしれない。


これはこういうもので、こうに違いない・・・



今だって肌の色、性別、神など
全て人間が勝手に自分の枠に入れ、
優劣をつけたり批評してそれぞれもめ事が絶えない。



変な話だ。



本当は人間の枠にはなかなか収まらない規模の
大きな何かがあるのだろう。


せめて、少しは「何でもある」と
自分の固定観念を崩していく意識を持ち始めたら
違う景色が広がっていく気がする。






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これから・・・

2018-09-28 | 日々のこと


さて、これから私は何ができるのだろ?


きっと、そう遠くないうちに
アメリカの何処かへ住むことになる。


初めての日本以外の国。

初めて私の親、家族たちと離れる。



本当に何も知らない国で旦那さんだけしか知らない
誰も知り合いのいないところで
独りぼっちになる。

その上英語も片言。



ずっと日本で、家族といつも一緒で
仕事ばかりしてきた。




異国の地で私に何ができるのだろうか?


私に何を求めてくるのだろう?


何をさせてくれるのだろう?



もちろん、まずは言葉は必須。



両親のことはいつだって気がかりだ。

だからこそ私が元気で頑張らなくちゃ。



そして、そこから何をさせてもらえるのか?



特に何か秀でたものもなければ
特に何かとても苦手なものもない。

とてつもなく好きなものもなければ
とてつもなく嫌いなものもない。



お料理するのも食べるのも好き。
だからと言って、どちらもそこそこなだけ。



だから、今は何も計画はない。

目の前に突きつけれる現実を
ただ受け入れていくだけ。


その中で、できることからやっていくだけだろう。

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遅いことなんてない

2018-09-27 | 日々のこと


これから、私たちの寿命は長くなる。


でも健康寿命は?

30年、40年後は健康寿命は短くなるような気がする。



定年として人生の中で仕事をする期間は何となく決まっている。



人生の期間が今、85年くらいだとしたら
65歳で定年したら20年ほどは遊んで暮らすことになる。

ましてや、近年は100年時代だといわれ始めている。


遊んで過ごせばまだ良いけれど
何もすることがなく日々過ごすのはどうなのだろう。



若い時は何もしなくても肉体がしっかりしているけれど
歳をとるにつれて気を付けておかないと
身体や骨など細胞もガタがくるわけです。

今気を付けておくことが、
すぐ先の未来の身体を左右する。



今ほど無理がきかなくなったり
動きが悪くなった身体で長く過ごすことにならないよう
出来るときから自分の身体に目を向けておいた方がいい。



身体もそうだし、精神もそう。


子供の時のように精神的な柔軟性が
なくなっていたりするので
誰とでも仲良くなったり、入り込んでいくことが難しい。


幅広い人との繋がりをどう持つか?

精神的なポジティブさも必要だ。



50歳を過ぎたころから、身体の不調も出始める。
病気や身体の不調が精神の不調を
招くことにもなるし逆もしかり。

少しでも気づいた時から改善していく意識をもって
この先の30年、50年をなるべく肉体の不自由なく
やりたいことができるようにしておきたいもの。



30歳で「もう遅い・・・」
何て思っている人もいるけれど
自分が歳を取るにつれて
「あの時はそう思ってたけど、まだ遅くなかった。
でも今更もう・・・」
それから、また歳をとって見直すと
何でやらなかったのだろう?とまた思う。


いつからだって遅くない。



特に、これから私たちの寿命は延びるのだから
50歳から英語を学ぶことも遅くない。
これ、私ですが・・・

10年かけてもまだ60歳。
60歳である程度ペラペラなら
そこからまた新しい何かができるかも!

世の中では「30歳から始めた英語」でもこんなになりました~
(これ、おそーい!!ってこと)的な本が多いけれど
これからは、「50歳からでもできる!」
「60歳からでもできる!」的な本が売れると思う。

私も、それを企んでいたりする。



少しでもいきいきと
自分の健康寿命を伸ばして
幾つになっても新しいことを始めよう!












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今日

2018-09-26 | ちょっと、ひとりごと


今日は朝早くから予定を立てていました。


7時前には家を出ようと思ったのに
昨夜遅かったのもあって少し寝坊してしまった。


予定を変えようかと思ったのですが
今から準備して出かければ間に合うような予感がして
結局は予定より遅れて出かけた。



間に合うのか心配だったけれど
とてもスムーズで余計通りになりました。


雨にも合わずに運がよかった一日です。



今日は早めに家に帰って
ゆっくりしたいと思ったので良かった~





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若さの魅力、老いの魅力

2018-09-25 | 最近おもうこと


若い時は特に外見的な物事ばかりに目が行って
綺麗になるために努力をしようとするし
美容やおしゃれなことに時間もお金も使うことが多い。

もちろん、人と出歩くことにも・・・


「自分のココがダメだし嫌い」

「太っている」

「あの人は可愛い」


そんな風に今自分が持つ魅力に気が付かないで
気に入らないことばかりに目が行きやすい。



40代、50代になっても更けていく自分を受け入れられず
若い子と張り合うかの勢いで頑張る人もいる。



それはそれでいい事でもあるけれど
必ず人は老化する。



自分自身も、うらやましいと思っている人も
どんな人も同じように年齢が移行していくもの。



同じままということは100%ない。



どんなにモテてもいつの間にか
彼女としての対象に見られない日が来る。

痩せていたのにいつの間にか太っていく。

しわやたるみが・・・




外見はどの人も同じように老化する。



自分がどのようにポジティブに老化を受け入れられるか?



絶対的に言えるのは、年齢を考えすぎない!!


そして、何かをするなら楽しく気持ちよく!



それだけでも、イキイキしていくようです。

人から見たら、より楽しそうに見えるらしい。




世の中の考える年齢にいつの間にか縛られすぎるのだと思う。


幾つだから結婚しなくてはいけない。

幾つだから新しいことをするのは手遅れ。

幾つだから落ち着くべき。

幾つだから仕事をリタイヤするべき。

幾つだから家で孫の世話をするべき。




ほんとう?!



何だって、自分がやりたいとき、やれるときがスタート時期。

やりたくないならやらなければいい。



最近は強くそう思う。


周りの友達がどんどん結婚をして、親もうるさく言うから
1度は結婚した方がいいのかも?

女だから子供は産んだ方がいいのかも?



そんなことだって、自分が欲していないのなら
そうするべきではない。

迷うことではないと思う。


もちろん、子供を産める期間はあるので考える必要はある。




どれほどの人が、年齢に縛られているのだろう。

年齢に縛られるから外見ばかり重要になる。
少しでも若く見せたいと・・・



若く見せようと頑張ったところで限度はあるのだから
だったら、内から溢れるキラキラした勢いで
何だか素敵な人に移行していったらいいのではないか。


周りも楽しくなるようなエネルギーに溢れた人は
いつも若さがあるような気がする。



だから幾つになっても、
どんどん新しいことにチャレンジしよう!



それが何よりも長く、
若々しくきれいでいられるかというヒントだと思う。






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私だって、意外と忙しい

2018-09-24 | 最近おもうこと


どれほど一日の中で動き回っているのか
一日の動きがどんな状態なのかは
普段は人と比較しないので
凄く忙しいく動いているのか
余り動かずにのんびりしているのか
自分自身ではなかなか理解していないのかもしれない。



のんびり歩くしのんびり動く
けれども、自分ではのんびりだとは全く思っていない人。

せわしなく動いているしせっかちなのに
自分では普通だと思っている人。




私は後者だったようです。

せっかちなのは何となく実感はあったのですが
せわしなく動くとは思っていませんでした。

身近にいる周りの人はからは常に動いているといわれる。
事を起こすような動くではなく
ダラ~と座っていることが少ないというほう。


自分では全然なってないなぁ~と思うけれど・・・


それなりに何かやっているのだろう。




そんな風に、人によって一日の使いかた
時間の使い方はそれぞれで
実際に自分だけのゆったりする時間がどれだけ使えるかも違う。


なかなか、一人の時間を持ちたくても
のんびりする時間が持てないこともある。


その中で勉強や本を読みたい。



そんな場合は全く時間が取れない日もあるし取れる日もある。

やりたくないわけではない、
一人で集中できる時間が実質取りずらいだけ。

でも、少しづつやっている。



一人で集中できる時間をたっぷりとれる人からしたら
進みが遅い人をやる気がないと感じるのかもしれない。

でも、全くやっていなのではない。



ココはキー!



自分の使える一日の時間の使い方、使える時間と
他の人たちの時間のそれらもまた違うのだということも
意識しておかなくてはいけない。


自分の環境、状況、時間などと他人は同じではないので
そこを少し想像しておいてあげなくてはならないこともある。


甘えて努力しないままなのか
実質的に時間が多く割けないのか
ここは大きな違いなので理解しておく必要があるなぁと思う。



人に対して、
自分の予定に関して考えるときは
そんなことも想像しておかなくては上手く行かない。






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いつの間にか狭まっていないか?

2018-09-21 | 最近おもうこと


ものごとは慣れ過ぎてしまうと見え方の枠が狭くなる。


自分の中の柔軟性もなくなり
新しい見方が受け入れずらくなるような気がする。


きっと、これはこういうものだという
凝り固まった視点になるのだろう。



自分は違うと思っても、どんな場面でも
そういったところがあるようだ。


長く続けているもの、長く関わっているものこそ
時々改めて自分の枠を広げるようにチェックしてみる。


ただ奇妙に広げようとすることもあるので・・・
何でも柔軟性があるそぶりは痛々しい。

軸がなさすぎると落としどころが分からなくなる。



人間関係だって自分が当たり前になっていることはないか?

仕事ではどうか?


すっかり胡坐をかいて傲慢に対応していないか
独りよがりで満足していないか
時には見直してみるときも必要だ。

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ただ、人であるだけ

2018-09-20 | 日記


余りにも人は表面だけで物事を見ているのではないかと感じる。


最近、プライベートを強調する割に
個人的なことをわざわざ発信しなくてはならないような
何だか変なことが多くある。


LDBGなどがその例でもあるよう気もする。


わざわざ、言う必要もないことをどうして勇気をもって
発信しなくてはいけないのだろう?


多くの人が思う勝手な「普通」が
また「普通」じゃないものを定義づけている。


じゃあ、何が「普通」なの?


どれだけの人が、
「普通」じゃないことを隠していると思う?


性的嗜好を

自分の思う自分の性を


そんなことまで、
「特別」なように言わなくてはいけないこと
言わされてしまうこと自体がおかしな話だ。



では、それぞれの人が自分の性生活まで
世の中にわざわざ言っているのか?


愛し合う男性と女性が
一対一で行う性行為だけが「普通」と言われることならば
どれほどの人が「普通」じゃないか?


それを世の中に「普通」じゃないことを言うこと自体が
「普通」じゃないことのように感じさせるような行為でもあるし
世の中も、それを取り扱うような時代は
いい加減終わるべきでもある。


人間の表面的なことに余りにも長い間囚われ過ぎている。



肌の色、性的嗜好、個人の性・・・



何を取り上げても同じ人間だということだけしか
そこには無いのに、
どうして「特別」なってしまうのだろう。



前は肌の色、国などで差別的な見方をした。

今は幅広く差別をなくそうとする動きがある。



でも、いちいち取り上げること自体が
「異なる」という見方をしているからに
すぎないように思う。



人は人、同じ人間

同じ人間であることが土台となり
その上に「人となり」が評価の対象になりうる
ことなのではないだろうか?


どんな人だろうが、
思いやり深く人によくするのに
「普通」でなければ後ろ指をさされる対象で
自分さえよければ構わないような
エゴの塊の人でも社会的に成功し一見
「普通」のように見えればいい評価が下る。


人間価値は何処にあるのだろう?




これからはもっともっと人間の資質を見ること。
その人が生まれてからの歩みとその
成果を見ることの方がまだ合理的であるような気がする。




もっと、その人となりを見ることができる世の中に
なってほしいと思う。



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聞くこと、話すこと

2018-09-19 | ちょっと、ひとりごと


誰かが自分の意見を言ったときに
頭ごなしに否定して
自分の意見が正しいように言ったりするのは良くない。



そうなのに、つい言ってしまうこともある。



後から反省するけれど、
発しながら失敗に気づいたりする。


もっと、何を自分が言おうとしたのか
発する前に意識するべきだ。



もっと人の話をしっかり聴くことを
意識しながら会話しようと感じる。

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