旅とは何か、なぜ人は旅へと駆り立てられるのか?冒険と叙情に満ちた紀行文学であり、瑞々しい青春記でもある名作『深夜特急』の誕生前夜、若き著者には秘められた物語の数々があった…。幾多の読者からの絶えざる問いかけに初めて、そして誠実に応えた“旅”論の集大成、著者初の長篇エッセイ
旅はどこかにあるものではなく、旅をする人が自分で作るものである。どんな旅も、旅する人が作っていくことによって、旅としての姿が整えられていく。
旅はひとつの実態である。そこには性格があり、気風があり、個性があり、独自性がある。旅は人間である。同じ物は二つとない。~スタインベック
ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。知らなければしらないんでいいんだよね。自分が知らないことを知っているから、必要なら一から調べようとするに違いない。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結果を出してしまいかねないんだ。どんなに長くその国にいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない
おれがいおうとしたのはそれだよ。窓の外を見たり、なにかほかのものを見るとき、自分が何をみているかわかるかい?自分自身を見ているんだ。物事が、美しいとか、ロマンチックだとか、印象的とかに見えるのは、自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、感激があるときにかぎるのだ。目で見ているのは、実は自分の頭の中を見ているのだ~フレドリック。ブラウン
スポーツは、自分だけではコントロールできない、思いも寄らないことが起きるという中で、瞬間的にどう対処するのかということを判断していかなければならないものとしてあるからだ。魅力的なスポーツマンというのは、たぶんそういう経験を多く積むことによって、自分の身の丈を高くしていった人なのだろうと思う。そして、それは、旅についても言えるような気がする。旅もまた思いもよらないことがおきる可能性のある場のひとつなのだ。それに対処していくことによって、少しずつその人の背丈が高くなっていき、旅する力が増していくように思われる。
大事なのは「行く」過程で、何を「感じ」られたかということであるはずだからです。目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降り注いでいる光を、そして行き交う人をどう感受できたかということがはるかに大切なのです。
長い旅に出る前にはいつも思う。どうしても行かなくてはならないのだろうか。別に行かなくてもいい理由をいくつも数え上げるのだが、どれも決定的な理由ではない。そうこうしているうちに行くと決めていた日が近づいてきて、仕方なく出発するのだ--参ったな。内心そう思ったりするが、誰を恨むわけでもなく、行くと決めた自分の、いわば自業自得なのだ。。しかし、ひとたび出発してしまうと、それまでの逡巡は忘れてしまい、まっしぐらに旅の中に入ってしまう。
旅することがほとんどない生活ですが、なぜか、この文は、フルマラソンに挑戦するときの気分に類似している。エントリーした日が近づき。参ったなあ。自業自得なのである。けれどひとたび走り出すと、まっしぐらに前に広がる道を行くだけなのである。
そして、大事なのはゴールに着くと言うことよりも、そこに吹いている風を感じ、降り注ぐ光あるいは雨をそして、抜いては抜かれるそれぞれの人々をどう感受できたかということなのだ。