本を読んでいてうれしくなるというのは、そんなにありませんが、本書はそういう一冊でした。きっと、今の仕事をしている限り、これからも読むだろうなぁと思います。
何がうれしいのかというと…、著名な筆者に対し、まことにまことに僭越ではありますが、“常々自分が言いたいと感じていたことを論理的に説明してくれた” という感覚です。
なぜ勉強するのか、どこまで勉強するのか、どうして本を読まなければならないのかというのはいつの時代も多くの子供がいだく疑問でしょうが、基本的な読み書きや計算ならともかく、どう見ても将来使いそうもない微分や積分、難解な英文法、歴史の年号や哲学をどうして学ぶのかと聞かれたら、何と答えるでしょうか。
筆者のまとめ的な答えはこうです。“知識を取り入れながら、理解力、想像力、表現力を高める” ため。
これだけでは抽象的過ぎて 「はぁ、それで…」 となるのですが、それは人間のあらゆる活動の基礎というよりすべてかもしれませんね。そのあたりを分かりやすい例をあげながら、説明します。現在の教育の問題が社会に及ぼす影響を実感できました。
一見役に立たないように見える教養のようなものが、どれほど自分や社会、あるいは国家や世界にとって重要かをわかりやすく説明してくれます。氏は氷山のたとえを使っていますが、表に出ているものだけを見て感情で判断しては誤る。戦争さえ引き起こしかねないと主張します。
“UFOはいるのか”という論争なら、科学的に現在の物理や化学を駆使すれば、確率から言っても “いない”となります。日本軍の特攻隊という戦法は、効果を論理的に考えると、作戦としては非効率であったと結論付けざるを得ないという調子です。
ベストセラー『国家の品格』を書いた、藤原正彦氏は、エリートは学問だけでなく、絵画や音楽などの芸術も含め、役に立ちそうにないことをたくさんして欲しいという意見でした。
鈴木氏は、ライブドアの堀江氏やニセメールを取り上げ、大混乱を招いた民主党の永田元議員は東大卒であっても、教養のなさ、科学的態度の欠如で失敗を招いたと指摘し、なるべく多くの人たちが幅広い教養を身に付けることによって、社会が感情だけに流されて誤った判断をすることを防いでくれるという考えです。
狩猟民族に比べて、農耕民族の子孫である我々日本人は欧米に比べて残念ながらこの点が弱い。カミュの『異邦人』の例を挙げ、太陽のせいで殺人をおかしてしまうことだってあり得る。不条理だと片付けるのではなく、子供が親や育つ環境を選べない、思考や行動がかなり環境によって制限を受けることの自覚を促します。
特に哲学のような学問は、日本では思想とか宗教っぽくとらえられてしまいますが、以前、『はじめて考えるときのように(野矢茂樹)』 や 『幸福論(バートランド・ラッセル)』を取り上げた時にも指摘しましたが、西洋では哲学は世の中を知るための科学的なものですね。
何でも理詰めで考えていく姿勢で、考えるためには高い知識や教養と呼ばれるものがどうしても必要になってくるということです。いかにゆとり教育が的外れか再認識しました。
そして、子供にはどう説明するかもう一つの問題として出てきますが、教師の役割は非常に大きいわけです。共同体のために、教師の給料を増やせという主張は、残念ながら…(笑)。すでに充分でしょう、別の方法を考えましょうというのが私の意見ですが。
また、競争に勝つ、負けるからというのではなく、社会を良くするために勉強するのだと教えようという意見です。競争よりも協力するために学問や表現力を鍛えるという感じでしょうか。
筆者が“主夫” であり、日本社会における父性の否定、男女の役割分担など、社会が進歩し続けるという点は、左翼的思想に聞こえます。
私は、“リング” も “らせん” など他の著作は読んでおりませんし、映画も見ておりませんので、政治的な立場はわかりません。薄い一冊ですから、まだまだ聞きたいところもあるのですが、勉強をなぜするのか、あるいはさせるのかという点、日本において論理が決定的に欠落しているという点において大賛成です。
非常に興味深い、読み直したいと感じる一冊でした。
なぜ勉強するのか?
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『なぜ勉強するのか』鈴木光司
ソフトバンク新書:170P:735円