日本サッカー界では、すでに4年後に向けて、新監督“オシム”という名前があがっています。結果がすべての世界ですから、期待を裏切ったジーコ監督の評価が低いのは仕方ないですね。中田選手は、試合終了後寝転がっていたのが、かなり批判もされてしまいました。
ジーコが現鹿島アントラーズ、かつての住友金属に入団したのが1990年ですから、日本に来てもう16年。どれほどジーコが親日家かということは、こちらに出ています。⇒ジーコ(wikipedia)
本書はジーコの監督就任時から、筆者が節目節目におこなったジーコへのインタビューと、最後には、川渕キャプテン、中田選手のジーコに関するインタビューが収録されています。題にある 『セレソン』、これはポルトガル語で国の“代表選手”のことだそうです。
鹿島時代に手取り足取り選手を指導していたはずのジーコが、代表監督になると、細かい指示をせず、選手は戸惑ったそうです。ジーコにとって選ばれしセレソンとはそういうもの。自己管理を完璧にして、国のために戦うのだと。セレソンに対する敬意がそのまま、日本代表選手に対する指導方法に表れているのがわかります。
トルシエが選手に体をぶつけ、怒鳴り散らし、彼らを一人前扱いしなかったのとは対照的です。トルシエが海外のマスコミに流した、中田に対するコメントです。
『ジダンはサッカーを心から愛している。公園でもし出会ってサッカーをやろうと誘えば、すぐに何時間だって楽しむだろう。しかし中田は違う。もし中田に公園でサッカーをやろうと誘ったら、彼はまずマネージメント会社に電話するはずだ。いくらでやっていいですかと』
筆者はここらあたりが、中田に代表辞退を決意させた遠因ではないかと推察します。トルシエは、“リーダーはいらない”と、他の選手にも厳しい人格批判を浴びせました。以前『山本昌邦備忘録』でも紹介しました。
ジーコは選手を信じきっています。自分の選手を見る目にも自信を持っていますから、少しのミスでは選手を入れ替えません。見ていてイライラするほど、同じ選手にこだわりますよね。選手は自分を信頼してくれたジーコのために勝ちたいと思っているようですが…。
本書を読むまでは、ジーコと長島元巨人監督がダブりました。つまり名選手、必ずしも名監督にあらずのような。長島氏は圧倒的なファンの支持がありながら、なかなか結果が出せませんでしたが、采配に対して激しい批判は聞かれませんでしたね。マスコミも含めて。取り上げられるときも、監督としての能力よりもキャラクター。個人的に長島は大好きでしたが、監督としてはやはり…。彼の言葉はディフィカルトで、イージーにアンダスタンドできませんでした(笑)。
ジーコは違います。サッカーや日本代表に対する考えは明確に述べられています。中田選手ははっきりジーコで無ければ代表辞退を明言していました。自分を殺して戦うトルシエ式のサッカーはできないと。セレソンを最大限尊重するジーコの考え方と、中田のサッカー観は似ているわけです。
中田はジーコを完全に信頼していますが、トルシエ式のディフェンスも、日本にあっていると高く評価していて、それをかえてしまったのは、残念だとも語っています。結果、残念なことにジーコの理想に近いパフォーマンスをするには、中田以外は、力も経験も足りなかったのだなという印象を受けます。
ワールドカップの結果がわかってしまった今、本書を読むのは何とも悲しいですね。とにかく、ジーコは金銭抜きでも日本のサッカーに貢献したかった。ジーコのためにも勝たせたかったなぁ、と強く思ったしだいです。
http://tokkun.net/jump.htm
ジーコ セレソンに自由を講談社詳細を見る |
『ジーコ セレソンに自由を』 増島みどり
講談社:270P:1785円
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