~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
※喪中はがき
今年も、先週の15日から年賀状の受付が始まった。気忙しいけれど、それはそれで年月や時間を区切り、人生の一つの句読点にはなる。
若い人は、若い人に限らず最近はスマホなどで簡単に済ませてしまう傾向にあるけれど、それは多分時代を反映していて一概に批判は出来ないのだが、昭和20年代にこの世に生を受けた僕には、アナログよりも更に遡った昔々の言葉の交流の時代こそが、心地よく身体を委ねられる”心の古里”なのだ。
という訳で”賀状仕舞い”を宣言する人も増えつつある中、僕は相変わらず宛名を書いてはその人のイメージを蘇らせてひと言を添える、手書きの年賀状を作成している。
10月半ばから届き始めた”喪中はがき”が、今年も去年と同じ枚数の6枚になった。この先もきっと、似たようなペースで増えるに違いないと思うと些かの侘しさを禁じ得ない。
身内の不幸事での喪中と、一人は友人の嫁さんからの死亡告知と合わせた葉書。年齢を加味すれば、若しかしたら今後はその様態の葉書が増えてゆくのかも知れないとも思う。
それ以外に”年賀仕舞”の告知が2枚。年に一度、僅か50~60人との、せめてもの”心の遣り取り”の中で今年は10人近くの人との交換が不必要になったのだ。
それでも僕は、年にたった一回”繋がっている”を確認する機会として、一人ではないことを心に刻む為にも、縁の糸によって生かされていることを認識する為にも、まだ暫くは年賀状作成を続けてゆく意向だ。
年末のそんな細やかな感慨にも、遣り過ごしてきた年月の数の多さと、残されているだろうinochiの存在の短さを想う。それ故僕にとっての元日に届く年賀状は、年に一度のinochiの名刺交換と、そこに居る縁のヒトの存在を再確認する場でもある。
そんなこんなの意味を含ませて、元旦のそれぞれのanataに僕の無事の知らせが届くようにと、宛名の一枚一枚に縁のそのヒトの横顔を蘇らせながら、少しずつ書き始めている。元旦に届くタイムリミットの28日までの投函を目指して。
2021 12/21 まんぼ