某月某日「紀伊・金剛山の蛇谷」

某月某日「紀伊・金剛山の蛇谷」



修験道の開祖・役ノ行者の修行の場だった金剛山。


そこから東側の御所市へと流れる蛇谷は、飛鳥時代、葛城山と金峰
山に渡す「岩橋造り」で、一言主の神が役ノ行者に逆らい、葛の蔓
で七巻きも縛られ、置き去りにされた所という。


呪縛された一言主神が、どんな手を尽くしても葛を解くことができ
ず、その苦しいうなり叫ぶ声は幾年たってもまだ絶えていないと伝
えています。


なかには一言主神は長さ二丈半ばかりの黒ヘビにされ、いまでは行
者を恨む気力もなくなってしまったという本さえあります。


またその谷は吉野だという説もありますが、まだ確認していません。
・奈良県御所市



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某月某日「西丹沢・菰釣山のこも」

某月某日「西丹沢・菰釣山のこも」


比較的静かな山歩きが楽しめる西丹沢の菰釣山。このあたりの山は
良材ができ、かつては北条氏の命令で小田原まで運搬していたとい
う。


江戸時代は幕府の保護を受け、明治には御料林に指定。このような
山なので、甲斐国と相模国との国境争いが絶えません。


特に天保年間の争いでは、甲州・平野村の名主・長田勝之進が江戸
幕府に告訴。菰を吊るして山頂にたてこもり生活したという。


裁判の結果は平野側が敗訴、いまの県境が決定したという。また戦
国期、武田信玄が小田原城を攻めた時、進軍の信号旗やのろしのか
わりにこの山に菰を吊るし、むしろばたで味方の軍に合図したとの
いい伝えもあります。
・神奈川県山北町と山梨県道志村との境





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某月某日「山の雪形」

某月某日「山の雪形」


春になると山の雪がとけて岩肌があらわれます。ふもとから見ると動物や
人の形になって見えます。


この雪形は、毎年少しずつ形は変わるものの、同じところに出るため、村
人たちは名前をつけて農作業をはじめる目安にしました。


昔は文字の読める人も少なく、また当時の不正確な暦では季節がよくわ
かりません。


それというのも明治時代まで使っていた旧暦(太陰暦)では、1年が354日
で、いまの暦(太陽暦)にくらべると11日あまり短くなっていす。


これでは1年もたつと季節が11日もずれてしまい、そのまま続けると正月
が夏になってしまいます。


そのため暦学者は、二十四節気や閏月などを使って工夫しましたが、そ
れでもやはり不便です。


それに比べ雪形は、毎年ほぼ同じ。また字の読めない人にも一目瞭然で
す。


各地の山々に出る雪形には白く残雪が残るものと、雪がとけて黒い形が
できるものがあります。有名なものに白馬岳の雪形があります。




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某月某日「北アルプス・笠ヶ岳」

「北アルプス・笠ヶ岳」


北アルプスの笠ヶ岳はどこから見ても笠の形に見える山です。槍ヶ
岳の初登頂でおなじみの播隆上人が笠ヶ岳に登り、ここから見た槍
ヶ岳に感激し、槍ヶ岳を開山を決意した話は有名です。


江戸も後期の1823(文政6)年、笠ヶ岳再興を果たした播隆は翌年、
笠ヶ岳の登山道に8体の石仏を4キロごとに建て、山頂に阿弥陀仏
を祀ったといいます。


この登山は大阪や西国からも大勢の信者が集まり、計66人もの集団
登山になったといわれます。いまも笠ヶ岳山頂にはなごりの祠があ
ります。


笠ヶ岳山頂に立った播隆は、東の空に浮かぶ荒々しい穂高連峰の岩
峰の中に、ひときわ天を突く槍ヶ岳を見ました。「おお!あの山こ
そ、絶好の修行の場所だ。」播隆はそう確信、なんとかして槍ヶ岳
に登ることを決意するのでした。


この瞬間から槍ヶ岳開山に挑む播隆の人生が始まるのでありまし
た。そして案内人中田又重郎とともに槍ヶ岳登頂を果たしたのは3
年後のことだったといいます。
・岐阜県上宝村。



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某月某日「北アルプス・内蔵助谷」

「北アルプス・内蔵助谷」


黒四ダムの下流、黒部川左岸の支谷・内蔵助谷(だん)は、上流に
氷河地形のカールとモレイン(堆石)があることで有名です。


大カールの最低部の氷は一千数百年もの年月を経た「生きている氷
河」といわれています。


ここはあの佐々成政も信州への往来に利用したともいわれる所。内
蔵助平はその中流域にある長円形の浸食盆地になっています。


北アルプスに残された数少ない静寂境のひとつで、高山植物の宝庫
として知られています。


7月、真砂沢ロッジから黒部ダムに向かう途中、内蔵助平の鉄橋の
水場近くにテントを張りました。


物音は沢の流れだけ。夜中にふと目が覚めました。テントから顔を
出して覗くと外は満天の星。


外に出て流れ星を肴にイッパイ始めました。天の川はオレのものだ
あ!。
・富山県立山町




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