【山のふみあと日記】「奥秩父・金峰山南側広場のお宮」




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【山のふみあと日記】「奥秩父・金峰山南側広場のお宮」

【山行】:
・某年4月29日(金曜日・晴れ)

江戸中期の儒学者荻生徂徠の「峡中紀行」に、奥秩父金峰山山頂は
黄金の地だとあります。西麓には金山という地区もあり、武田氏時
代の金の採掘場所ともいい、金鉱にかかわるため金峰山の名がつい
たという。

天文年間以降、長野県側川上村も武田氏の領有になりました。村内
にも金山があって、ここでも武田信玄の命令で金を採掘したといわ
れます。

山頂の五丈岩のわきを南(山梨県側)にまわり込むと、ちょっとし
た広場があり壊れかけた石祠と石灯篭が建っています。甲府市、山
梨市、牧丘町などにある金桜神社の山宮(本宮)ですがいまはすっ
かり荒れ果てています。

かつて山宮には金製の大黒天がまつられていましたが、江戸も末期
の慶応年間に盗難にあい、さらに放火され山宮は焼失していまった
ということです。
・山梨県甲府市と長野県川上村との境


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山のふみあと日記】「北アルプス・三俣蓮華の山賊」


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【山のふみあと日記】「北アルプス・三俣蓮華の山賊」

▼【山行】:
・某年7月31日(木曜日・晴れ)

「北ア・三俣蓮華岳の山賊」
これは先年の夏、三俣山荘のご主人から聞いたものです。

戦時中、縁あってご主人が小屋を譲り受けました。

ところが小屋は拳銃で武装した前科30何犯の山賊一味の棲み家にな

っているとのうわさ。

そこでご主人は、友人2人と偵察に行きました。

おそるおそる小屋に入ります。主人になりすました山賊は「親の代

から真面目にやっているので信用ができた」などと応対。

あげくの果ては「山では助け合わなくては…」と宿料をまけてくれ

るしまつ?

大ボラを吹く荒くれ者ではあるが、あながち話のわからぬ男でもな

さそう。里のウワサも誤解らしい。

氏は山賊の身元保証人になり、警察や営林署をままわり、記者会見

などして名誉回復に努めます。

以後一味と暮らし、協力を得て小屋の再建をはかったということで

す。

なお、三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋のスタンプに私のデザイン

したものがあります。丸い大きなスタンプですので、よかったら記

念に押してください。

・長野県大町市と富山市、岐阜県高山市との境


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