けふも一途に与太ばなし「丹沢表尾根」


▼けふも一途に与太ばなし「丹沢表尾根」
【概略】
 丹沢でおなじみのヤビツ峠から車道を歩き、富士見山荘跡経由、二ノ
塔、三ノ塔、行者ヶ岳、新大日、木の又大日を経て塔ノ岳への尾根を「丹
沢表尾根」というそうです。

 この尾根は展望がよく、また道に迷うこともなく、体力さえあれば初心者
も歩けるとあって、丹沢山塊の銀座コースとして人気があります。丹沢は
修験道山伏によって開かれた山が多いですが、ここも古くから大山を行
場とした修験者たちが入峰修行に歩いていたらしい。

ここ表尾根は、日向修験の峰入りのコース。1963年(昭和38)に発見さ
れた『峯中記略扣(控)』という古文書は日向修験常蓮坊が書き留めた丹
沢入峰修行の作法を示したもの。

 それによると、日向薬師-大山-門戸口-表尾根-塔ノ岳-丹沢山
-蛭ヶ岳-(丹沢主脈)-青根-帰院というルートをたどり、4泊5日かけ
ての奥駈け。

 山中の修行は筆舌尽くしがたいほど厳しく、行者は一人一升の焼米を
携帯、宿泊も野宿が多かったということです。

……【さらに本文と出典】は筆者のページで↓
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けふも一途に与太ばなし「房総三石山・育つ岩と天狗ばなし」


▼けふも一途に与太ばなし「房総三石山・育つ岩と天狗ばなし」
【概略説明】
 房総半島のほぼ中央にある三石山の山頂は、狭い岩峰が突起になっ
ています、その上に立つと、まるで空中に突き上げられた感じになりま
す。

 この山は標高は282mと低いですが、箱根、丹沢の山々や富士山、鹿
野山、高宕山、愛宕山、清澄山まで360度の展望。ほこらのまわりは縁
結びの観音への願かけで、ハンカチ、タオル・ネクタイなど結びつけられ
ています。

 ここは直下の三石観音堂の奥の院になっています。観音堂は三つの
大石に食い込むように建っているのですが、この岩が年々大きくなってい
るというのです。

 かつては傘をさして通れたという。そういえば以前はこんなに窮屈では
なかったようなきします。このあたりにも天狗が棲んでいて暴れまわり、ふ
つうのお坊さんでは勤まらなかったようです。

 ここもかつては海の底だったらしく三つの大岩には貝の化石がついて
いています。

・千葉県君津市。

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けふも一筋に与太ばなし。「奥多摩御岳神社・大口のオオ神」



▼けふも一筋に与太ばなし。「奥多摩御岳神社・大口のオオ神
【本文】
 関東地方の農山村へ行くと、家の戸口にオオカミの絵を描いたお
札を貼ってあるのを見かけます。大口真神(おおぐちのまがみ)の
文字も印刷してあります。このお札は、火難や盗難よけにご利益が
あるといいます。東京都奥多摩町の御岳(みたけ)神社や埼玉県の
秩父の三峰神社で配布しています。大口の真神とは狼のことだそう
です。

 オオカミは大神(おおかみ)に音が通じ、大きく口の裂けた姿か
らこんな名前がついたという。御岳神社の社伝『御嶽山社頭来由記』
(1622・元和(げんな)8年・江戸初期)には、こんな記述があり
ます。(参考書により『御嶽山社頭由来記』となっているものがあり混乱し
ているため、『山岳宗教史研究叢書』名著出版の記述に従いました)。な
お『新編武蔵風土記稿』(巻之114)にも『由来記』をそのままのような文
章で載っています。

 「武蔵国杣郡秩父峯御嶽山に鎮座まします御獄山大権現は、鎮護国
家の霊神、万民豊楽の化徳、当今万歳の治平を往古千歳の始に宣説し
給う霊妙不思議の神徳なり。偖(さて)其来由の万一を伺奉れは、人皇十
二代景行天皇の践祚(せんそ・即位)四十年にあたり、東夷多く叛(そむ)
きて王化に従ひ奉らず辺境騒動するに依て、……」というわけで、日本武
尊が熊襲(くまそ)「征伐」の旅に出かけます。

 そしてさらに東夷征伐のため東国に下り、「上州より当国に来たり給い
て、この御岳に陣営を統(す)べ(統一する)られ、服するを従え、背(そ
む)けるを誅(ちゅう)し給いて東南の国々みな平均せしかば」と、甲斐、
武蔵の平野部を平定していったらしい。そして再び御岳山の陣営に帰
り、なお日本武尊の軍は西北に向かいます。険阻な山路を越え、かつて
御岳の奥の院だった大岳山のあたりで、大きな白鹿が道路をふさいでい
ます。そこで「太占(ふとまに)を以て、山鬼(※邪神)なることを知り給い」
とあります。

 そんな時占いなんて悠長なことやったんですなア。ま、それはともかく、
日本武尊はとっさに山蒜(やまひる・ニンニクのことらしい)を鹿に投げつ
けました。これが大鹿の眼にあたり、鹿はドーッと倒れましたが、「山谷鳴
動して、雲霧四方に起こり」、ついに尊たちの軍隊は道に迷ってしまった
という。そんな時白いオオカミがあらわれ、西北に向かって道案内をした
ので無事に目的地に着き、「大に征し給ふに、賊民或は亡ひ或は従ひ
奉りて終に其地を得給ふ」というわけで、この一帯の人民を従わせること
ができました。

 その時、日本武尊は白いオオカミに「これから本陣に帰って火災盗難
を守護せよ」と命じると、「獣ながらもかしこまりし顔色あらわれて、御嶽山
に向かいて去りしとなり。これ当山の火難盗難退除の守護神たることの由
なり」。

 御岳山にある大口真神社はこの神のお使いのオオカミをまつったとこ
ろで、明治維新の前は「神狗供所」といい、この「おいのさま」(オオカミの
こと)へ供物をお供えをするところだったということです(『奥多摩風土
記』)。

 大口真神のお札は、この神狼のお影をあらわした護符で、御岳神社
で頒布しています。この護符をいただいた人たちは、神社の「古神符納
め所」に納めたり、家の戸口、倉前、また田んぼや畑の中に貼って火難
盗難除けを願うようになりました。オオカミは何百年かの劫(こう・非常に
長い時間)を経ると、全身の毛が白くなり、霊獣になって「白狼」といわ
れ、白狼天狗という天狗に変身するといいます。

 白いオオカミをまつってあるのは大口真神社だといわれる一方、天狗
研究者の知切光歳氏は『図聚天狗列伝・東日本』の中でこんなことをい
っています。「さて、日本武尊によって山の守護神に選ばれた白狼天狗
の祠は一体どこのあるのだろう。山中の御獄本社の背後にある「大麻止
乃豆天神社」は、もとは地主神祠だった。御獄神鎮座以前にはこの地主
神しかなかったというから、これだろうか。それとも天狗岩の上の天狗松
か、貧乏山(日の出山)の東の天狗岩あたりか」とし、天狗とすれば、奥ノ
院の祠にまつられている大天狗だともしています。

 同じオオカミでも神の使いとして崇められれば、従順になってしまうらし
く、地元では次のような話も伝わっています。福生(ふっさ)地方の某が、
夜更けに青梅橋を渡ろうとすると、なにか獣がうずくまっています。見ると
大きなオオカミなので、肝をつぶしましたが何事もなく通してくれたとい
う。また、八王子の恩方(おんがた)集落で村人が、穴の中に落ちたオオ
カミを助けてやりました。するとその夜のうちに、その人の家の裏口にお
礼として、山鳥が一羽置いてあったというのです。

 また『御嶽山社頭由来記』にある「夫より御嶽山に帰陣なし給ひ群臣に
告て宣く、此後千歳逆民なからしめんと自ら着し給ふ所の鎧を解かせた
まひ、岩倉に納めたまふ。武器を蔵めたる国なれば当国を武蔵の国と號
へしと」との一文。武尊が自分の武具を岩倉に納め、そこを「武蔵の国」と
名づけたとあるのです。

 「武蔵の国」と名づけたはいいのですが、その武具を埋めたという場所
はどこか興味のあるところです。これについて先の知切光歳氏は、甲籠
山(かろうざん・奥ノ院)だろうとしています。

兜(甲)を埋めたので甲籠山とするこの山の山名について、宮内敏雄氏
は『奥多摩』の中で、この山名の本当の意味は唐櫃(からびつ)のことで、
これを方言で「カロート」とか、「カロット」、「カラット」といい、その唐櫃を積
み重ねたような険しい箱状の場所、または岩壁が積み重ねたようにそそり
立った場所をいうのだと、反論しています。こんなふうに昔の本の記述を
訪ねて歩くのも楽しいものですね。

▼御岳神社【データ】
【所在地】
・東京都青梅市。JR青梅線御岳駅下車バス10分ケ-ブル6分さら
に歩いて20分で御岳神社。写真測量による標高点(929m)と御岳
神社の社殿がある。地形図に山名と標高点の標高と御獄神社の文字、
記念碑の記号の記載あり。標高点より南西方799mに奥ノ院がある。
【ご利益】
・厄徐・延命・長寿・子孫繁栄・五穀豊穣、防火(火伏せ)
【位置】
・標高点:北緯35度46分58.25秒、東経139度08分58.25秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「武蔵御岳(東京)」
▼【参考文献】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『奥多摩風土記』大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1975年(昭和
50)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭和
53年)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平成
2)
・『山岳宗教史研究叢書・17』(修験道史料集1・東日本編)五来重編
(名著出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編武蔵風土記稿』(巻之百十四):大日本地誌大系12『新編武蔵
風土記稿6』(蘆田伊人編(雄山閣)昭和45(1970)年版:
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本歴史地名大系13・東京都の地名』児玉幸多ほか(平凡社)2002
年(平成14)
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けふも一途に与太ばなし「南ア仙丈ヶ岳・千丈と千畳」



▼けふも一途に与太ばなし「南ア仙丈ヶ岳・千丈と千畳」
【概略】
 仙丈ヶ岳の北には馬の背の尾根が延び、西には地蔵岳があって信
仰登山に使われたという地蔵尾根があります。この地蔵尾根コース
の登山口にある長野県長谷村柏木(いまの伊那市)には「孝行猿」
の説話が伝わります。

 この話は江戸中期の『新著聞集』が元になっています。猟師に撃
たれた親猿はしばられつり下げられました。それを見た小猿たちは
親猿を助けようと囲炉裏の火で手をあぶり、一匹ずつ代わる代わる
親猿の傷口を暖めはじめました。

 それを見た猟師は大いに反省、女房にいとまをもらい、頭をそっ
て世をのがれ、念仏者になって諸国行脚に出たという。これは、19
36年(昭和11)の小学校の教科書「尋常小学修身書 巻一」などに
も載せられたそうです。

 長野県長谷村市ノ瀬から柏木集落を過ぎ地蔵尾根に「孝行猿の遺
跡」もあるそうです。

・長野県伊那市長谷と山梨県南アルプス市芦安との境。

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こんな時にも与太ばなし「長野県大町市・青木湖の伝説」

▼山の与太ばなし「長野県大町市・青木湖の伝説」
【概略】
 長野県松本駅からJR大糸線で、大町駅を過ぎて間もなく、左側に湖が
3つならんであらわれます。手前から木崎湖、中綱湖、青木湖で、仁科三
湖と呼ぶそうです。

 この三湖はそれぞれ「遊びの木崎湖」、「憩いの中綱湖」、「思索の青
木湖」ともいわれ、釣りやキャンプなどで多くの人に親しまれています。仁
科の名前は、この地を治めていた豪族の名前からきているという。

 この豪族は、伊勢神宮領仁科御厨の御厨司(荘官)である仁科氏で、
次第に勢力をこの地まで拡大してきたという。この湖にはこんな伝説があ
ります。その昔、湖の西岸で赤牛が子牛を生みました。子牛は母と別れ、
東岸にすむお百姓さんの家で飼われることになりました。

 親を呼ぶ子牛の悲しい鳴き声に母牛は湖に飛び込み泳ぐうち、力つき
て沈んでいきました。以来、青木湖のヌシは赤牛だといわれようになった
ということです。
・長野県県大町市。

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