奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る 奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る

奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る 奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る

【概略文】400字  石尾根七ツ石山にはおよそ7つの石が人の形をして立っていま

す。平安時代、叔父の平良兼と仲違いを越した平将門は、ついに承

平天慶の乱を起こし、伯父の常陸大掾(だいじょう)国香を殺害。

さらには関東全体を統治しました。

 

 しかし、平貞盛、藤原秀郷ら連合軍に討たれます。この乱の時、

将門たちは奥多摩の奥深く逃げ込みました。それを追ってきた田原

藤太は三頭山山頂からはるか彼方、石尾根の七ツ石山で動く人影。

将門に違いない。ですが、同じ格好の武者が7人ならんでいて本物

がどれか分かりません。

 

 田原藤太は日ごろ信仰する成田山(千葉県成田市)の不動さまに

祈ったところ、「6人は影武者のわら人形である。朝、顔を洗う時、

湯気が立って白い息を吐くのが将門である」とのお告げがありまし

た。

 

 藤太は白い息を吐く将門に向かって矢を放ちました。矢は、ねら

い違わず将門のあたったという。とたんに7人の将門は岩になって

しまったという。

 

 東国武士魂あふれる平将門を慕う奥多摩付近の人々は、いまでも

田原藤太に助言した成田山にはお参りしないといいます。

・東京都と山梨県の境

……【さらに本文と出典】は筆者のページで↓ http://toki.moo.jp//merumaga/octama/oct-07.html

 

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こんな話も大まじめ「修験道の開祖・役ノ行者はどのくらいの山を開山したか」

 ▼山の伝承ひとり画ってん「修験道の開祖・役ノ行者はどのくらい の山を開山したか」

 役ノ行者が開山した山は全国で80座とも90座ともいわれます。飛 鳥時代、小角が37歳。大峰山を出発、3日のうちに出羽の国の羽黒 山に着き、月山・湯殿山・金峰・鳥海山、奥州の秀峰などを巡って 大和に帰ってきました。

 以下、赤城山、日光山、弥彦山、立山、白山、越智山、比叡山、 愛宕山。白峰、富士山、箱根矢倉岳、丹沢大山、天城山、筑波山、 浅間岳、甲斐駒ヶ岳、御嶽山、鳳凰山、伊吹山、笠置山。

 五剣山、背振山、英彦山、高良山、石鎚山、鹿児山、高千穂ノ岳、 速日岳、湯布岳、宇佐山、阿蘇山、朝倉山、宝満山、宗像山、面影 山、岩国山、厳島、式部山、黒髪山、伯耆大山、大江山、熊野三山、 三栖山、生駒山などとならびます。

 ただ山といっても名刹の山号もあり、どこまで山の数に入れたら いいのか迷うのが難点です。行者おん歳、67歳までの間だそうです。

……【では詳しくは】は筆者のページで↓ http://toki.moo.jp/merumaga/temg/temg02.html

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奥多摩のはなし「三頭山・オツネの泣き坂」

「三頭山・オツネの泣き坂」

【概略文】  奥多摩三頭山にオツネの泣坂があります。その昔、お屋敷に働く

オツネは、美男僧・香蘭と深い仲に。心配した住職は、香蘭を山梨

県の寺に移しました。

 

 しかしオツネは忘れられず、毎夜のように訪ねて行きます。短い

逢う瀬を終え、急いで帰りますが三頭山を過ぎたあたりの坂になる

と東の空が明けてきます。

 

 「ああ、夜が明けてしまう。旦郷さまに知られたらどうしよう」。

オツネは泣きながら坂を駆け下ります。こうしてついた地名がオツ

ネの泣坂。この坂にはヤマグリがたくさん落ちていました。

 

 10月、三頭山にとりつくころぐずつきはじめていた空は下るころ

にはもうポツポツと降り始めました。急坂の岩がぬれて、拾ったヤ

マグリを抱えツルツル。ところがこのクリゆでては見たが食べるに

は小さすぎ、結局捨ててしまった。欲深の泣き坂でありました。

・東京都奥多摩町。

……【さらに本文と出典】は筆者のページで↓

 http://toki.moo.jp//merumaga/octama/oct-06.html

 

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むら里のこよみ「七十二候・第52候・【現代中部日本】:サザンカ開花」

むら里のこよみ「七十二候・第52候・【現代中部日本】:サザンカ開 花」10月24日~11月07日ころ

【概略文】(400字)  毎年カレンダーの10月23、24日日のところに「霜降」と書かれ

ています。これは1年を24で割り季節にふさわしい名前をつけた、

「二十四節気」のひとつ。秋もそろそろおわり「霜が降る」ころで

す。

 

 地上から太陽の軌道をながめた黄経では、210度の所を通ります。

二十四節気をさらに三つに区切り、1年を72に割った「七十二候」

というのがあります。

 

 その七十二候では、霜降は第52候(初候)~第54候(三侯)にあ

たります。第52候は24日ころから28日ころで「霜始めて降る」ころ。

 

 これを現代の季節に当てはめると、北日本では「初雪」のころ、

中部日本は「サザンカ開花」のころ、西日本は「ガン渡来」のころ

だそうです。

▼↓【画像】と説明文をどうぞ

 http://toki.moo.jp/merumaga/72koh/72koh10.html

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丹沢のはなし・ひとり画ってん「道志村・雨屋本殿をきらう大群神社」

「道志村・雨屋本殿をきらう大群神社」

【概略】  丹沢大室山の北側・道志村に大室山をまつる神社があります。こ

こはちょっと変わった神社です。

 もともと神とは雄大な自然そのものを敬うことにありました。そ

んな古い形をいまに残しているのがここにある大室神社です。

 もともと神とは雄大な自然そのものを敬うことにありました。そ

んな古い形をいまに残しているのがここ裏丹沢・山梨県道志村にあ

る大室神社です。

 

 丹沢の大室山(1588m)をご神体とし、イニシエより雨屋本殿

をきらう神だそうで、いまでも社は白木の建木だけで建物や屋根が

ありません。そこに埋め込んだ神鏡は雨ざらしです。

 

 1月。この間降った雪が農家の屋根に積もり、大きなツララがた

れ下がっています。白木の建木は最近立て替えたらしく枠組みが新

しくなっています。この神鏡の裏側に何か意味があるらしく、建て

替えの時、宮大工だけが裏面を見ることが許されるといいます。

 

 新しい白い枠組みと青くさびた銅の神鏡がやけに不釣り合いで

す。かつては大室山頂にも「大牟礼山大権現」という石碑も祭って

あったそうですがいまはありません。

・山梨県道志村大室指。

▼大群神社【データ】 【所在地】

……【さらに本文と出典】は筆者のページで↓

http://toki.moo.jp/merumaga/tanzawa/tanzawa07.html

 

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